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新発見 興味関心のある事柄に対してのみ「限定」に弱い

こんにちは。
タイトルが長くなってしまいましたが、最近自分は「限定」にものすごく心がぐらつきやすいのだと知りました。ただ、なんでもいい訳ではなく、「興味関心のある事柄」というのが肝です。正直、大手チェーンコーヒーなどで期間限定メニューがあったりしても、〇〇限定の〇〇アクセサリー、お菓子などなどは見ても心は全然動じない事を自分で知りました。その代わり、なんとか記念御朱印などを見かけたり、本限定刊行50冊!みたいな触書になると内心は歓喜で打ち震えています。興味のあるものに限られますが。表面上にあまりでてなくても、子どものようにめちゃくちゃはしゃいでます。記念や希少なものというのに関心があるのかもと思いました。

そうでないものの時は、「おお、こういうものがあるんだ。」という感心にはなりますが、釘付けになるほどではない自分というものが見えてきた気がします。

前に父とイギリスの食事は本当に「まずいんだろうか。」というのを聞いたときに、「これ、読め。」と言って林望の『イギリスはおいしい』という本を借りたことがありました。読み終わって、その一番最後のページになんと本人のサインが書かれていたので驚きました。本人に会ったのか聞いてみたら、「古本屋に行くとそういう本がよく売ってる。」と言われました。いろいろつっこみどころがありすぎて「なんてこったい」と衝撃にやられました。そんな本が我が家にあるということにも一人で感動してしまいました。父が手に取った本が偶々のサイン本だったのです。

自分自身が経験してちょっと苦い思い出に近いことがありました。少し前に惹かれた神社が世界遺産に登録されて何周年かの記念御朱印が出されていました。ところが、自分がそれを知った時には既に2年近く経っていてもう今は無い、復刻もないということでした。その時に顔が渋いどころか顔面梅干しみたいになるくらい悔しかったことがあります。それでも普通の御朱印はしっかり頂きました。普通のでも美しかったです。

ただ、売り切れましたならまたあるかもなーという淡い期待がありますが、復刻はないは其れよりもかなりダメージがある事を知りました。と同時に、自分にも欲張る部分があるのだと認識しました。先にも申し上げたように食べ物で限定とか言われてもそんなに食いつきません。でも、こういうのに対して気持ちに波があることにはっとさせられました。案外、諦めきれない未練を持つことの面を知りました。もう一個そういう苦い思い出もありますが、これはまた別の機会にしましょう。今でも悔しいなと思う事はありますが、直後に比べればだいぶ落ち着いては来たように感じます。

こういう事があってか、ことに限定の御朱印があると「こ、これは」と慄き乍らも、じっくり自分にとってこの文言は、この印はどうかなどを問いながら、決まったらよしっと若干勇み足で頂くようになってしまっています。でも、通常分だけで済ませられたら、それはそれで手軽になっていいのだろうなという気もしています。恐らく私の欲張りの境界線は「わかってはいるが、それを無しに済ますことができてない」という点だという気がします。お酒やアクセサリー、お菓子に比べれば価格はそれほど高くはないですが、「塵も積もれば」なんとやらです。身を滅ぼさない様に、何が必要でそうでないかをちゃんと見分けていかなくてはと思わされます。

持ち主についてでも触れたかもしれませんが、「選んで選ばれる」という御縁に対して、もしっかり尊重していきたいと思います。

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