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「田舎に住みたい」という心理

「田舎に住みたい」

元々田舎育ちで就職で都会に行き、しばらくしてまた田舎が恋しくなって「田舎に住みたい」となるのは、わかる。しかし、最近多いのはそういうのではない場合が多い気がしている。

仕事に追われ、日々の生活が疎かになり、一体何のためにこんなに働いているのやら・・・の思考の先に生まれる「あー、田舎に住みたい」。

これは、同僚が唐突に「カフェ開きたい」って言い出すのと同じだ。でも、実際に田舎に住んだりカフェを開く人はとっても少ない。なぜか。実際にやるのは大変だからだ。また、今の毎日に不満こそあれ、じゃーふと思いついた「田舎に住みたい」や「カフェ開きたい」をどうやるかということを具体的なイメージまではできないからだ。なぜか。それは、本当にやりたいのはそれではないからだ。

ではなぜ人は唐突に田舎に住みたくなったり、カフェを開きたくなくなるのか。

人が唐突に田舎に住みたくなったり、カフェを開きたくなる本当の理由

田舎に住みたいと言い出したり、カフェを開きたいと言い出す人たちの多くは本当にそれをしたいのではない。これらを言い出してしまう人たちに起こっていることは「処理能力のキャパオーバー」だ。

人は日々、多くの判断を強いられている。例えば、朝起きて「朝ごはん何にしようかな」から始まり、「何を着ていこうかな」。仕事のデスクにつけば「今日は何をしようかな」、「このメールはどう返信しようかな」「このメールの返答は私の判断だけではできないな、誰に聞こうかな」。お昼になったら「何を食べようかな」。朝起きてから昼までの数時間だけでも山のような判断をしないといけない。

問題は、人の生活というものが必ずしもそれだけ判断が必要なわけではなく、現代の人々の生き方がそうなってしまっているというところだ。

では、なぜ現代の人々はそれだけ毎日の生活で多くの判断をしないといけなくなったか。

現代の人々が日々多くの判断をしないといけない理由

現代の田舎というのは、一昔前の日本でもある。一昔前の日本とは、高度成長期より前、戦前くらいの日本だ。モノが少なく、会社という組織も少なく、人々の多くは百姓で、畑を耕しながら様々な、自分の得意なことで日銭を稼いでいた。

モノが少ないので選ぶことも少ない。人々は目の前にあるもので生きていた。そこに多くの判断は要らない。

現代とは高度成長期以降の日本だ。生活を便利にしようと多くのアイデアから多くのモノが生まれ、ひとつのことをするにもたくさんの中から選べるようになった。それにより、日本の国民は不便がなくなり生活はすっかり豊かになった。が、それが今は溢れてしまっているのだ。それにより、毎日何をするにも多くの判断をする必要が出てしまっているのだ。

田舎に住みたい層が求めている、本当に欲しいモノ

結局、「田舎に住みたい」という人が本当に求めているのは(本当に田舎に住みたいという層もいると思うが)「田舎に住む」ことでなく、日々の判断を減らしたい、ということだろう。毎日「どれにしようか」と悩むことなく「今日はこれをしよう」と、迷うことなく突き進めることができるシンプルな日々。今自分が何をしていて、何に力を入れているか、頑張っているかがわかりやすい日々だ。

子供の頃、私たちは朝起きた時「起きるのめんどくさいな、もう少し寝ていたいな」くらいしか考えなかった。今は、起きた瞬間から津波のように押し寄せる判断の波に押しつぶされそうになっていやしないか。

自分で整理して、都度取捨選択してひとつのことに集中できるタイプなら問題ない。それができない場合が大変なのだ。

あなたが提供しようと思っているサービスが今の時代に必要かどうかの視点のひとつ

「田舎に住みたい」というニーズの奥にある本当の心理は何か。それのヒントは先の項で述べた。こういった心理は、時代時代で変わっていく。今はそうだというだけだ。その心理は一体どういうものかは、一度ゆっくり考えてみてほしい。きっと、今の時代に必要なことが見えてくる。

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