働くことはただの手段である
「そもそも働くって何なの?」「仕事とは何?」
就活の時からずっと、働いている今も変わらず
答えのない問いに悩まされてる時があります。
仕事がしんどい時はよく、
「え、そもそもなんでわたしは働いてる?」という哲学的な広い疑問の中へ(笑)
ここ3か月くらい、すごく深いところで潜って、
人生について考えていたので、その時考えていたことを書いてみようと思います。
日々の中では、仕事を辞めたい。というか今の環境から逃げ出したい。と思う節が多々あります。
もし今、手元に一生暮らしていけるお金があったら、
つらい時に簡単に逃げ出して好きなことをして生きていたと思います。
それができないのはなぜか。
頭の中ですぐに出た答えは、
生活するにはお金が必要で、逃げ出してニートになるのは現実的ではないから、と単純な話でした。
(スーツを着て転職活動すらしたくない心持ちの状態)
でも私は、お金のために今の仕事をする、
お金をモチベーションにして仕事を頑張れる価値観は持ち合わせていません。
まず働くことと仕事って、なんだか私の中では別のことに感じます。
動詞と名詞みたいな。
=
状態と方法みたいな。
そう、仕事をするために生きてるわけではないですよね。
わざわざつらい思いをするためにみんな働く必要なんてないと思ったんです。
じゃあ何のために?
そこで、こうやって考えたらラクだ!と気付いたことがありました。
私は、死ぬまでに人としてできる限り成長したい!
働くこと(=フィールド)を通して私は成長している。
あくまでも、今の仕事は自分が成長するためのただのステージであり、通過点。
そこに出てくる登場人物や反面教師たち(上司)は、
人生ゲームのピンみたいな感じ。指で簡単に弾き飛ばせる。
または、跳び箱の前のジャンプ台みたいな感じ。
(嫌な奴らがいればいるほど高く跳べるので、私のためになります。)
って思うようにしたんです。
今よりも視野を広く、視座を高く。
ここをジャンプ台にして、もっと次のフィールドで戦っていく、
私は本来こんなレベルの人が集まる場所にいるべきじゃないって思うようにしました。
そうしたら、仕事での出来事や、上司から言われたこと、言動に対して一喜一憂しなくなりました。
ずいぶん気持ちとしては、ラクです。
マリオのステージ1みたいな感じで、(DS世代笑)
最後のクッパに辿り着くまでにまだまだステージがある!
ステージ1をクリアして成長しないと、ステージ2に行けない。
長い長い人生を考えたら、低俗なことで悩んでる暇なんてありません。
私は成長するため!と考えたらストン、としっくりきましたが、それが人によっては違うのかなあと思います。
もちろんお金のためでもいいし、人脈を増やすためでもいいし、苦手を克服するでもいいと思うし。
とにかく、ななめ上に目標?みたいなものを置けば、倒れた時に這い上がれるかなあと思いました。
毎日ポジティブでいるなんて苦しくて、
ネガティヴからポジティブにどうやって立ち上がるかを身に付けている人の方がよっぽど強くてたくましいと思います。
私たちが小さい頃、就活の時、
「何をしたい?」「どの業界で仕事をしたい?」ってたくさん聞かれます。
幼稚園児が、七夕の短冊にサッカー選手になりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか、書いていますね。
でも、社会に出たら、そういう話ではありませんでした。
見ていて胸が苦しくなります。
無意識のうちに、大人が子供に考え方を強要してしまっていることが現れているようで。
働くことの意義を伝えられていないようで。
働くことや仕事が、
はたまた、内定をもらうことがゴールになってしまっている気がしてなりません。
「何の仕事を通して、自分はどうなりたいのか?」
そうやって考えられる人ってきっと少ないと思います。
少しでも、違う観点で考えてみることによって気持ちがラクになるかもしれません。
私のように悩んでる人が少しでもスッキリできますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?