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【54.55日目】救急で運ばれてもうすぐ2ヶ月経つ11月頃の日記

昨日の夜、いっくんとパパとゾンビのゲームをやって夜更かししたからか、今日はやけに眠くて全員が8時まで寝てた珍しい日。

リビングに移動した後もゴロゴロしてなかなか動き出せなかった。


起きてからは作り置きをしたりして家事を一通り終わらせた。
ここ最近やってなかったくらいできた。

そういえばパパが今年のクリスマスプレゼントはなにがいい?と聞いてくれた。

落ち着いたらちょっといいご飯でも食べに行こうと。

うれしかったけど、飛行機代にあてていい?と聞くと、そうだねと言ってくれた。
なかなか厳しい今年の冬…。

お昼ご飯を食べて、3人は温泉に行き私は1人でカフェに来て本を読んだ。


合流してからサッカーしに外に出てお散歩したり平和な時間だった。
すごく寒くなって外で遊ぶのも辛くなってくるけど、空気が気持ちいいと思った。

【55日目】

この前まで半袖でもいけたのに一気に冬になった。
9月に倒れて急いで飛行機に乗った日からもうすぐ2ヶ月経つ頃。

ステロイドさんのおかげでこの時間が持てているんだよなぁ。ありがたやステロイドさん。


おばあちゃんも施設に入っていつどうなるかわからないと言われてからかなりの年月が過ぎた。
最後に会ったのは6年前。
この時点で孫のこともわからなくなっていたし歩くのもやっとだった。
それでもそこから6年も生きたのだ。


その後は去年亡くなった事しか私はよくわからない。
最後はぽっちゃりとした体型も痩せ細り、意識もない中、延命処置をしていた。
孫の私としてはもう100歳近くてベッドで寝たきり、子供達のこともわからない状態なら自分のタイミングで…と思ってしまうが、
ギリギリできるところまで延命処置をして
叔母たちはやはり自分の母だから生きていて欲しかったんだなと思った。

正解がないからわからないところだよね。

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