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【エッセイ】私を思いやる存在

 猫は死ぬ前に姿を消す。それは自分の死を悟ると飼い主に心配かけぬようにだと聞いていた。

 しかしそれは、具合が悪くなると静かな場所で体を休め、体が回復するのを待つためなのだという。だが、そういった本人の意志とは異なり、回復を見込めず息絶えてしまうことでそのように解釈されているようだ。

 そうなると、飼い主としては何ともやるせない。
 自力で回復しようとする健気な彼らを助けることも、看取ることもできず、消息不明のまま帰る日を待ち続けなければならないからだ。

 だが、すべての飼い猫がそうではない。私が生まれて初めて飼った猫のレオもそうではない猫のうちの一匹だ。

 レオは、中学一年の部活帰りに拾った猫だ。真っ黒の毛にグリーンの瞳の彼女は、「ミーミー」と鳴きながら、段ボールの中から目やにだらけの小さな瞳で私を見ていた。ふわふわと羽の様なやわらかな毛に包まれた彼女は、抱き上げた私の両手に収まるとその小さな命と体温で、つい何か月か前までランドセルを背負っていた私に母性を目覚めさせた。

 目覚めた母性は、凄まじい勢いで私を支配する。まず我が家で決められた「ペット飼育禁止」という常識を頭の中から消し去り、ただ我が子を守り育てる使命感だけを植え付けた。そうなった血気盛んな「十三歳女子兼母」を止めることなど誰にも出来ない。「十三歳女子兼母」である私の母親も初めは反対していたが、私の熱量に負け渋々承諾した。

 そうなると、本来なら保護者である私が彼女を食べさせていかなければならない。しかし、そこはまだ学生の身、その部分になるとすぐに都合よく十三歳女子に姿を変え、学業を頑張るという名目で母親におんぶにだっことなった。

 そうして母性のみで突っ走った「十三歳女子兼母」の育児は、周囲に助けられ何とか成り立った。もちろん、おかげで何不自由なくレオはすくすくと成長したが、大人になったレオが母の私に相談もなくシングルマザーとなった時は、大変家族を困らせた。しかし、かわいい子猫たちには敵わないもので、その子たちも一緒に我が家で暮らすことになった。

 そうして、子宝にも恵まれ忙しい子育て期間を終えた彼女は、いつしか老後を迎えた。幸運にも彼女は、老後を迎えるまでの十二年の年月を大きな病気もケガもなく過ごしていた。

 そんなある日である。いつものようにフラッと出かけた彼女が帰らなかった。一日目は、「どこで遊んでいるのかな。まったく」といつものこととあまり心配はしていなかった。今までにも一日や二日の外泊はしていたからだ。

 しかし、三日目を過ぎた頃から胸騒ぎがした。そうなると、居ても立っても居られず私の中のザワザワしたものからの解放を願い、彼女を探し始めた。

 仕事から帰ると、懐中電灯を片手に捜索に出かける。近所に存在する猫の隠れ家的場所や猫ちゃんを飼っているご近所さん宅など心当たりを探す。人間の目線では見つからないのかと思い、這いつくばり猫の目線になって探したりもしたが、その日彼女は見つからなかった。

 そうなると、益々不安が募り今度は交通事故を疑う。翌日からは家の周辺から範囲を広げ、車通りの多い道まで捜索した。

 私は、日々車を運転していて思うことがある。動物が車に引かれた姿の何とも無残なこと。そしてその姿を目にするたびに、「どうかあの世では穏やかに過ごせますように」と祈り、犠牲になる動物がいなくなるよう細心の注意で運転することを心に誓う。

 それでも減らない動物の事故死に、「自動車がぶつからない」という技術だけでなく、「ぶつかってくるものを避ける」という技術の開発を切に願うのだった。

 話は逸れたが、そうして彼女を探し続ける日々が続いた。しかし彼女は一向に見つからない。もちろん、見つからないことには大変落胆したが、その反面彼女が交通事故ではないということに確信が持てたことは、唯一の救いでもあった。

 そうこうしているうちに二週間以上が過ぎた。もう帰ってこないのではと思っていた矢先に彼女は現れた。

 現れた彼女は、ガリガリにやせ細りあばら骨を浮き上がらせていた。ツヤのあった毛もゴワゴワになり、鳴き声も声になっていない。極めつけは肛門にたかっていた大量の蛆虫。それらは、懸命に駆除しても肛門から這い出し、どのくらいの数だったか分からないほどだった。

 それらがいなくなったのを確認すると病院へ連絡、彼女の状態を伝えるとすぐに病院へ向かった。彼女は診察台に上がっても身動き一つせずに、獣医師に身を任せていた。そして、診察が終わると医師は優しい声でこう言った。

「残念ですが、もって一日か二日ですかね」と。続けて、
「あとはゆっくり家で休ませてあげて」とも。
 私は、溢れそうになる涙をこられて医師に挨拶すると診察室を出た。

 彼女を連れて車に乗り込むと人目もはばからず、声を上げて泣いた。もう何も考えられなかった。ただただ悲しいのだ。懸命に涙をぬぐいながら家に向かった。

 家に着き部屋に入ると、彼女と過ごす時間を延ばすため出来ることはないか動き回った。まずは、何か口に入れなくてはと好物だったものや水を用意した。しかし、彼女は横たわったまま動こうとしない。ならばと好物を口に運ぶが食べることはなかった。少しでもと思い、スポイトで彼女の口を湿らせると、始めのうちはペロペロと舌を動かし少しではあったが飲んでいる様子だったが、徐々にそれもしなくなった。

 呼べば声にならない声で答えていた彼女も、答えることなく眠っている。そうなると私にできることは、呼吸を確認するだけとなり一時たりとも彼女から目を離せなくなった。もうすぐ来てしまうだろうお別れの時を何もできずただ待つしかなかった。

 そして、その時は静かに訪れ眠るように彼女は旅立った。しかし、もうこの世にはいないのだと分かっていても、眠っているだけと錯覚してしまう。何度も彼女の名前を呼び、子供のように泣いた。

 どのくらいの時間が経ったか、泣きつかれてぼんやりと彼女をみていると、彼女の寂しそうな姿に気づく。自分のことばかりで彼女を思いやれなかったと自分を責めながら花屋に走った。他にも彼女の好物を買い、彼女の元へ急いで戻る。「天真爛漫」が売りだった彼女に寂しそうな姿など似合わないと、買ってきたそれらを飾ると徐々に私の気持ちも落ち着き始めた。
 そうして、ゆっくりと彼女の死を受け入れていった。

 彼女の死を受け入れてからは、悲しみが寄せては返す波のようだった。それは場所を選ばず仕事中も食事中も訪れ、そんな時は更衣室やトイレに逃げ込み涙を拭いた。

 そうやって彼女との別れはなかなか癒えなかったが、今になって思うことがある。彼女が、私に見せたくなかっただろう姿で戻ったのには理由があったのではないかと。

 彼女はきっと、どんな姿であっても私ときちんとお別れをすることで、私の悲しみが続かないことを願ったのではないか。そう思うと、今こうして彼女のことを書くことができるのも、最後のお別れのおかげなのだと思える。

 だとすれば、私より先に出産をし母となった彼女が、「子猫の母になりたいと願った私」を越えて、いつしか「私を思いやる母のような存在」になっていたのだろう。

 そうなると、彼女の母になりたかった私は彼女にとってどんな存在だったのだろうか。母にはなれなかったかもしれないが、姉ぐらいには思ってくれただろうか。今はもうこの世にいない彼女に、あの世で会った時にはぜひ問うてみたいと思う。


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