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「天竜材で、健康と幸せを守り、育む。」ブランディングプロジェクト


はじめに

(左から)株式会社NOKIOO代表小川、三立木材株式会社代表河島さん、NOKIOO吉田

大正15年(1926年)に材木商として創業した三立木材株式会社様は、日本三大美林に数えられる良質な天竜材を活用した不動産活用が強み。時代の流れとともに業態を進化させ、近年では不動産や建築、リフォームを事業の3つの柱としています。代表取締役社長 河島由典(かわしま・よしのり)さん(以下:河島さん)は、2019年に4代目へ就任しました。経営理念の大元となる自身の想いを明確にし、社員と共有したいと考え、志ブランディングに取り組みました。原点に立ち戻り、チームもより強固になった同社の取り組みについて、河島さんに伺います。

4代目の自分にできること。家余りの時代に自社の存在価値を問いなおす。

代表取締役社長 河島由典(かわしま よしのり)さん

同社の位置する浜松市天竜区二俣町は、広大な森林を抱く北遠地域と浜松市街地を結ぶ中間地域。天竜材や繭などの取引場所として栄えました。『暴れ天竜』と呼ばれた一級河川の天竜川。その大河を納めるには、浜松北部の天竜地区に植林する必要がありました。なぜなら河川に流れだして止まない水量を、上流で保水・調整する必要があったからです。
 
そのために植林されたのが檜や杉でした。その後、何十年という時を経て、植林された樹々は建材として利活用されるように。高度経済成長期には、住宅の新築や不動産の売り買いで会社を成長させました。しかしながら、近年は少子高齢化が進み、住宅の数の方が世帯数を上回る「家余り」の時代に入っています。河島さんは新たな住宅を造りつづける業界の在り方に疑問を感じていたといいます。
 
「30年、40年と暮らした施主様から、リフォームのニーズをいただくことが増えていました。住宅や建物を造り、引き渡して終わりではなく、長年住み継いでいただけるようアフターサービスを充実させたい。そのように考えリフォーム事業に注力していくとともに、社員のみんなとこの想いを共有したいと思うようになりました」(河島さん)
 
先代の時代には先代自身の強いリーダーシップで発展してきたという同社。河島さんは、社員全員が主役で、主体的に活動できる会社にしたいという想いが強く「モチベーション高く取り組めば、仕事は楽しいもの。社員が主体的に仕事に取り組めるよう、私はみんなを支えるリーダーでいたい。企業理念があれば、みんなが同じ方向に向いて働けるはず」と考えました。
 
まずは、自身の頭に思い浮かぶ言葉を紙に書き出すことから始めた河島さん。社員に伝えるにはピンとくる言葉が見つからないまま、数年が過ぎていきました。

社員を動かすには、「三立木材らしさ」の言語化が必要だった。

企業の理念を語る河島さん

そんなある日、30年以上も理念経営を続けているという、ある経営者と出会い弟子入り。師匠の経営理念に共感し、その言葉を借りて自社の経営理念としました。その後、少しずつ始めていたリフォーム事業の組織化がスタートし、それと同じころに社内の組織変更も行いました。役職を明確にし、適材適所な配置を行うものの、組織変更が円滑に進まなかったといいます。このとき河島さんは、経営理念を社内外に浸透させる必要性を感じたそうです。
 
「経営理念は自分が理解しているだけではダメで、メッセージとして社内外に発信できるよう、自社ホームページを作りなおそうと考えました。以前のホームページは作ってから時間が経っており、現状の事業内容や自分の想いとのズレを感じていたこともあります。かねてからマーケティングのご支援をいただいていたNOKIOOさんに相談したところ、『時間をかけて、ミッション・ビジョン・バリューまで策定しましょう』と提案いただいたのです。時間も費用もかかるので、清水の舞台から飛び降りるような気持ちでした(笑)」(河島さん)

全9回のセッションで想いを共有、言語化

決断を後押ししたのは、「三立木材らしさは何か?」という問いが社内でよく聞かれたことでした。どのような家を造るべきか、どのような仕事が評価されるのか、社員の皆様が議論するような場面が見受けられたそうです。
 
「そのように言語化されていない『モヤモヤ』をみんなで整理し、共通認識を持たなければいけないという自覚を持ちました。共創ワークに取り組んだ結果、“変わらない大切なもの”が見つかりました。それが、『天竜材で、健康と幸せを守り、育む。』というミッション(企業の存在意義)です」と河島さん。

いつまでも、住み継がれる家を。地域の家守として、ひと、まち、やまと向き合う覚悟ができた。

私たちのMVV

MISSION(ミッション) 
 天竜材で、健康と幸せを守り、育む。

VISION(ビジョン)
 誇りをもって住み継ぐ、地産地消のふるさとに。

VALUE(バリュー)
 森ー時とともに深まる自然美。
 真ー想いが積み重なる住まい。
 心ー傾聴し、寄り添う、安心感。

Slogan(スローガン) 
 ひと、まち、やまの家守。

ミッションの概念図。
三立木材は、お客様の健康で幸せな暮らしを第一に考えてきました。人々が地域に根を張り、地域を支えることでその地の文化を発展し続けてきました。その地が発展し続けることで、豊かな自然は、心地のいい景観となり素晴らしい自然素材にもなっています。その材木は家族が健康で笑顔に暮らせるような自然素材の効能があります。
地元で生まれ、育ってきた会社が地元の魅力を広めていく。地元への愛が育まれていく。この営みの真ん中にいるのが三立木材だと思っています。



「社員は、この場所で生まれ育った私自身が感じているよりずっと、天竜の山や二俣のまちを心のふるさとと考え、どう地域に貢献できるのかを考えながら仕事してくれていました」と河島さんは語ります。
 
たとえば、二俣地域の小学校に通うお子さんをお持ちの設計士さんは、子どもたちに誇れるふるさとであるよう、二俣町を素敵なまちにしたいと語ってくれました。世代が変わっても建物は残り続けるため、住み継がれる家を遺す・建物を守るという「建物発想」で仕事に向きあっています。
 
暴れ天竜と呼ばれた天竜川の治水にも、山の地中に水を留めてくれる天竜材の役割が欠かせません。まちの保全のためにも天竜材を使い、山の管理を持続可能にすることが自分たちの役目である、とパート社員の方も熱い想いを持っていました。
 
「思えば、さまざまな事業者が天竜材を軸として繋がり、そのなかで弊社も営みを続けてきたわけです。天竜のように、木材の産地と消費地が背中合わせになっているエリアも全国的に珍しい。けれど、そうした『ふるさと』がいつしか当たり前になっていたのですね。社員の心の中に天竜材が息づいていることを知り、天竜材は私たちの経営理念にとって必要な言葉なのだと実感しました」と河島さん。
 
しかしながら、天竜材を経営の軸とすることには、一抹の不安もあったそうです。河島さんは次のように続けます。
 
「取り組み前に実は、次なる成長の突破口となるような新しい何かが見つかったらいいな、と思っていました。リフォーム事業はフランチャイズで始めたこともあり、天竜材以外も扱うようになりましたし、他地域への展開といったことも今後はありえるのではないか、と目論んでいたためです。
ですが、それは私の危機感や不安からくる考えで、みんなの想いは天竜材に戻ってきました。二俣町に根差した会社・商売であることが改めて認識でき、この地域に軸を置いておきたいという覚悟を持ちました」
 
このようにして明確になった河島さんの想い。行き先に迷わない道しるべを得ただけでなく、経営理念を共有しあえるチームも醸成されました。当初の目的だった社員の皆様の自発性も育ってきています。経営理念をもとに、それぞれの社員の皆様が自分にできることを考えるようになったためです。たとえば、天竜材のファンを増やすのも1つの役目という発想から、森林ツアーといった企画が生まれています。

天竜材の植生を見学できるツアーを企画、運営。 引用:三立木材株式会社様ホームページ

「プロジェクトを終えた今、自分自身の言葉遣いや出会う人が変わったと感じます。たとえば、自社の新規事業開発やDXに取り組む『挑む中小企業プロジェクト2023』『次世代人材研修』にも、NOKIOOさんからお誘いいただき参加しました。参加した企業のみなさんと切磋琢磨することは、以前の弊社にはあり得なかったこと。志ブランディングに取り組むと決めたときに、私も4代目として会社の舵を取る覚悟が決まったのかもしれません」

ライター|菅原岬(sugahara misaki)
PJ運営・インタビュアー|小川健三(ogawa kenzo)吉田遥那(yoshida haruna)
PJディレクション|青山紗己(aoyama saki)長岡佳成(nagaoka kanaru)

あとがき

河島さんから志ブランディングのご用命をいただいたのは、河島さんが代表になられてから数年後のこと。ご自身でもようやく経営の方向性が見えてきたタイミングで、志ブランディングを通じて社員の皆様と想いを共有していかれました。この経営層と社員が未来を創っていく営みを、未来共創ワークと呼ばせていただいております。以前はリーダーが牽引する組織でしたが、未来共創ワークのあとは同志であり、仲間のような雰囲気が醸成されていると感じます。チャレンジの機会も増えていて、原点に戻る勇気と代表としての覚悟を持つ大切さを学ばせていただきました。


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