ただ、そばにいてくれた人
日々の中で、ちょっとした「ありがとう」の言葉を交わしたり、「今日は寒いですね」なんて会話をした日は、私は気分が良い。
「きっと人間って、何気ない会話で成り立っているところがあるんだろうな」
そう思った時、ふと忘れかけていた時間を思い出す。
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中学生の頃。秋に不登校になって、何もできない冬を越し、少しずつだけれど回復してきた春の時、私のお家にその人はやってきた。以来、毎週その人は私のお家にやってくるようになった。
※不登校になった時のことは、下の記事に書いてあります↓
当時、私は昼夜逆転生活だったし何より人と接することが怖くて、普段仲良くしていたお友達が心配して電話をくれても、どうしても出ることができなかったくらいだったので、当然その人とも会えず、お家の二階の自室にこもっていた。
でも不思議な好奇心とともに、その人が来た三週間目あたりには、私は階段の段差に座っていて、その人が母と話をしたあとの帰り際に、初めてその人と目を合わせることができた。
髪がさらさらとした、綺麗な女性の方だった。
「支援センターの方だよ」と母に言われたが、当時の私はイマイチ、ぴーんと来ず、「何者だろう…?」と思っていた。
それから、少しずつ私は朝遅く起きてから週に一回来るその人と会う時間を待つ生活になった。
中学生の頃、私は漫画に夢中になっていた。そして、もともと絵を描くことが好きだったので引きこもっていても、勉強と絵を描くのだけはカリカリカリカリ続けていた。
その人に自分の絵や漫画を見せるようになった。
「『バクマン』って知ってる?」と聞かれ、漫画の話で盛り上がったり
ニキビに悩んでいた時、「私も『チョコ断ち』したことある」と言われ、こんな綺麗な人でもニキビに悩んでいたんだ…と思ったり
飼っている家の犬に「待て」とか「お手」をさせてみたり
(不思議と犬もその人には懐いたのだった)
当時は気付かなかったけど、本当にただの何気ない会話だった気がする。ただ、そんな話をして、犬はしっぽを振りながら、私と母は手を振りながらその人の帰りを見送る。
ただそばにいてくれて、うんうん、そうだね、そっかぁ、なんて会話をしたことが、自分の抱えている心の痛みを癒してくれる時間になっていたし、その人が暑い日も寒い日も毎週自転車を漕いでやってきてくれなかったら私の今の人生はきっとなかったと思っている。
肯定も否定もせず、ただそばにいてくれた人。
そういう人が当時の私には絶対必要だった、と思う。