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騙された山本太郎が可哀想で仕方ない。

ご存知のように、れいわ新選組は、衆参両院で「ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議」に反対票を投じました。

別に反対するのはいいと思いますよ。いや、むしろこの決議は「誰かが反対しなきゃいけなかった決議」だったかもしれません。「全会一致とか、ファシストっぽくてキモい。それじゃプーチンと一緒だ」と、「全会一致阻止のための反対」をしていたら、むしろ気高く尊いものになっていた可能性さえあります。だから別に「れいわは、反対した。人非人だ!」なんて思わない。むしろ上記のような理屈で反対していたのなら、少なくとも僕は諸手を挙げて万歳し「偉い。れいわはえらい!」と喝采さえしていたでしょう。現にこれに近いことをれいわの大石議員は言っています。

この理屈はよくわかる。非常によくわかる。いやむしろ、「そうよね。今になって核武装とか言ってる時流を見る目のないアホな安倍晋三と戦争に関する決議で同じ投票行動するのは、死亡フラグだよね」と納得さえします。

惜しいんですよ。めちゃくちゃ惜しい。大石議員のような理屈で反対してればよかったのにね。しかしれいわ新選組は、この大石議員のような考え方は、れいわが反対する理由ではないと言うのです。

れいわ新選組は「声明文」と「記者会見」で反対した真意を解説しています。

お読みになればわかるように、この「声明文」なるものは極めて幼稚で、幼稚であるばかりか、歴史修正が入っており、ロジックとしてもサブスタンスとしても、「ネトウヨやん…」とドン引きする内容でしかありません。

例えばね、声明文では

・今回の惨事を生み出したのはロシアの暴走、という一点張りではなく、
米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せず、を反故にしてきたことなどに目を向け、この戦争を終わらせるための真摯な外交的努力を行う

とあります。

しかし、「米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せずを反故にしてきたこと」なんて事実は、ありゃせんのです。 記者会見では、ドヤ顔をしてこんな資料をメディア陣に見せていました。

このパワポのスライドが登場した時、メディア陣は一瞬、「引いた」感じになってました。「おお。さすが山本太郎、すごい資料出してきよった」と感動して「引いた」のではありません。「あ。あかん…この人、痛い人や……。」という引き方。

なぜそうなったか。答えは単純です。別に難しい「国際政治学の知識」とか「外交に関する該博な知識」なんて必要ない。アホでも一瞬でわかる「この資料の矛盾」が2点あるんです。

まず一点め。

これはアホらしすぎて、子供じみたように聞こえるかもしれんのですが、「山本太郎が子供みたいなことをしている」(某全国紙政治部記者)以上、仕方ないんで、我慢して読んでください。書いてる僕もアホらしいんだから。

この資料は、声明文にある「米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せずを保護にしてきたこと」を説明するために提示されたものです。だとしてら、「米欧主要国」が出てこなきゃいけないはず。が、この資料に出てくるのは、アメリカだけです。他の国の名前はどこにも一切ない。何が、「米欧主要国」やねん。

2点目。

これも子供でもすぐわかる話です。

ここで提示された資料は、当時のアメリカの国務長官だったジェイムス・ベイカーと、ソ連共産党書記長(当時の肩書き)ミハイル・ゴルバチョフの会談議事録です。日付は1990年2月9日。ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月9日ですから、そのわずか3ヶ月後。
ベルリンの壁が崩壊したといえども、1990年2月9日時点では、東ドイツ(ドイツ民主共和国)はまだ国家として存在していました。そしてゴルバチョフのソ連邦だって健在。健在どころか、全然崩壊の予兆さえ見せてなかった頃です。バルト3国が、「人間の鎖」で独立をアピールしていたといえどもまだ独立が叶っていなかった頃です。それどころか、この1ヶ月後の1990年3月に強行的に独立宣言を行ったリトアニアを、ゴルバチョフはそれから9ヶ月後の1991年1月に戦車で踏み躙ることさえしています(血の日曜日事件)。東ドイツはまだ国家として健在、バルト3国でさえ未独立、それどころか、ゴルバチョフはソ連の強大な地上戦力を用いて東ヨーロッパ各国をまだまだ力で支配し「得ていた」のが、ベイカー・ゴルバチョフ会談のあった1990年2月9日です。そんな1990年2月9日に、「ソ連邦崩壊後のNATO東方不拡大の約束」がどうやってできるんです?

当時のゴルバチョフが、「あのな、ベイカーはん。わし、あと1年半したら失脚すんねん。ほんでな。ソ連、崩壊しよんねん。そやからさ、今のうちに、NATOはソ連崩壊後に東方拡大せーへんって約束してや」とか言ったとでも言うんでしょうか? 織田信長が「あんな。輝元はん。わし、あと1年半したら本能寺で死ぬねん。わしが死んだら、秀吉が中国大返ししよるから、あんじょー面倒見たってや」と主張していた…みたいな、素っ頓狂な理屈ですよね。

ソ連の崩壊は、れいわ新選組が「ソ連崩壊時のNATO東方不拡大の約束」の証拠資料として提出した1990年2月9日から1年半後にようやくスタートします。ゴルバチョフは東ヨーロッパ各国の独立の機運やソ連を構成する各地域の権限拡大に融和的になります。しかしそれを快く思わないソ連の保守派=ガチガチの共産主義者=も軍部を中心に存在しました。ゴルバチョフが、ソ連構成各国の権限拡大を約束する「新連邦条約」に各国代表と署名しようとしていた1991年8月19日、ついに軍部が蜂起。モスクワを占拠します(8月クーデター)。しかし市民の人気の高かったエリチンがモスクワ市民と共に立ち上がりクーデター勢力を一掃。ここに完全にゴルバチョフ=連邦大統領の権威は地に落ち、エリチン=ロシア共和国大統領の権威が高まり、「ソ連の大統領の権威よりも、ソ連構成国家の一つであるロシアの大統領の権威が高まる」という状態になります。その後約6ヶ月かけて、徐々にソ連は自己崩壊を始めてゆき、ついに、1991年12月、ベロヴェーシの森(注1)でロシア・ウクライナ・ベラルーシ三カ国による「独立国家共同体の設立に関する協定」、いわゆる「ベロベェーシ覚書」が締結され、名実ともにソ連は崩壊します。

僕が「れいわ新選組が出してきた”新資料”なるものが、クソの役にも立たないのは、別に、難しい国際政治学の素養や、外交に関する知識がなくてもすぐにわかるはず」というのはここです。

ってかね、2秒立ち止まって考えたらわかるんですよ。ソ連崩壊の時系列なんてきょーび、ちょっと気の利いた中学入試にも出てくる話です。いやそりゃね「冷戦の崩壊」を記憶してない人はいますよ。若い人で学校の勉強の苦手な人ならね。しかし、山本太郎氏は、僕と同い年のはずだから、1974年生まれでしょ?当時16歳だったはず。一番多感な時期ですよ。あの時の「ソ連、危ないなぁ。東ドイツ、大丈夫かいな」という緊張感や、その一年半後の、ソ連の8月クーデターの時の「どないなるん?ソ連、大丈夫?ソ連の軍部、モスクワで市民を殺したりせへーん?」という緊張感を覚えているはずです。同時代人として、覚えていないはずがない。

しかし僕は「山本太郎がソ連崩壊の時系列を頭の中に入れてなかったこと」を責めるつもりはありません。別に知らんかったら知らんでしゃーない。そして、16歳の頃、別にソ連の崩壊をニュース番組で固唾を飲んで見ていなかったのだとしても責めません。むしろ、16歳の男の子なんだから遊んでる方が健全です。僕の方が不健全。したがって、ここまで縷々「あの資料は、ソ連崩壊のはるか前のものである」ことを書いてきたものの、山本太郎やれいわの執行部の中に、その知識や素養がなかったことを責めるつもりは一切ありません。繰り返しになりますが、知らんもんは知らん。そして別に政治家だからって知っておかなきゃいけない知識でもない。いやむしろ、政治家なんて「知らんことを知らんとし、教えてもらう」のが仕事なんですから、知らん方がええぐらいのことです。

それに、「れいわが、決議文に反対した理由として挙げた、資料がクソの役にも立たない資料」だからって、「れいわが決議文に反対したこと」を全否定する材料にはなりません。ウソでもクソでも根拠にするのは政治家の仕事。どんどんやればよろしい。

が、が、が

そういうことではなくて、「あの資料に飛びついた」という姿勢そのものが、極めて害悪なんですよ。「物事を知らなかったこと」「結果的に嘘をついていること」が問題ではなく、「その動悸が不純」だと言いたいのです。「動機が不純」である以上、誤謬が小さなポイントにしか存在しなくとも、「動機が不純」なんだから全否定せざるを得ない。

冷静に考えてみてください。

ロシアがウクライナに侵略を開始して数日。その絶妙なタイミングで、なぜか極東の小さな島国の小さな野党が、「新たに発見された資料に気づく」なんてことがあると思います??? いや、そりゃ一般論として論理的に考えたら可能性はゼロじゃないですよ。でも、「NATOが悪い」「鬼畜米英」と言いたくて仕方ないプーチンより先に「その資料の価値に気づく」なんてことが、このタイミングでありうると思います?プーチンにとっちゃ、「ほらぁみろぉ。やっぱり米欧主要国はNATO東方不拡大を約束しとったじゃぁないか」ってことが一番言いたいはず。しかしそのプーチンさえ何も言ってない。そしてそう言いたいプーチンは必死にその資料を探すはず。プーチンが探せない資料を、極東の島国の政党が(自民党だって立憲民主党だって同じです)プーチンより先にプーチンの欲しがる資料を見つけ出すなんてことがあるわけないんですよ。お前ら「MMR」かよw

こんなこたぁ、ありゃぁせんのじゃ。

ここなんすよ。ここ。「うほぉ 俺たちすごい資料見つけたぜ!」と思えてしまうその性根。その性根が問題だというてるんです。

その性根から生まれてくる議論は、どの方向にどれだけの長さ伸ばして行っても、所詮はセンセーショナリズムとナルシズムがないまぜになった気色の悪いものになるだけです。そりゃもう、マインドとして、アホなネトウヨと同じですよ。

事実、ネトウヨはそうしてるわけ。南京大虐殺はなかった、従軍慰安婦は性奴隷ではないという「結論」が、「あらかじめ」先にあって、「その先入観」から、資料の取捨選択をし、「自分の理想とするストーリー」に合致する資料だけを取り上げ、「ほらやっぱり、南京大虐殺はなかったでしょ」とかやってる。馬鹿じゃねーかと他人から笑われるあの態度を、れいわ新選組は採用しちゃったんです。

おそらく、れいわ新選組は、「いや、でも、アメリカも悪いはず」と思っていたのでしょう。そう思うことは別に構いません。しかし「アメリカも悪いはず」という自分の着想やバイアスや先入観を絶対視してはいけない。ましてやその先入観にしたがって、資料の取捨選択をしたり、冷静に資料を読まないなんてことがあってはいかんのです。ましてや政治家が。

(2022/03/06追記)そりゃね、ウクライナがNATOに加盟したら、ロシアは脅威に感じて怒るでしょうよ。少なくとも「おそらくロシアは怒るだろう」ってことは容易に想像できる。そして「ロシアが怒るからNATOの東方拡大はやめておけ」と主張することも、「NATOの東方拡大はアメリカ帝国主義の発露だ。実質的な侵略行為だ」と主張することも、自由ですし、自由どころか必要なことでさえあるかもしれません。しかしそれはあくまでも「評価」や「意見」でしかない。その評価や意見の表明はどこまで自由ですしどんどんやればいい。ですが、だからと言って「その意見や評価を裏付けするような資料を捏造する」「全く違う資料をその意見や評価の裏付け資料として利用する」なんてことが許されるわけがない。れいわ新選組は、今回それをやっちゃった。れいわ新選組が今回やったことは、歴史修正でしかありません。いやもっと厳密に言えば、「歴史改竄」であり「詐欺」です。

山本太郎は偉大な政治家だと僕は思っています。そして懐の広い政治家であろうと思っています。ケレン味の多い動きをさせたら日本一の政治家でしょう。しかし、懐が広いあまり、ケレン味が多いあまり、「人生、ケレンしかない」みたいないかがわしい人を、そばによせすぎです。

おそらく今回、山本太郎は騙されたんだと思います。功名心満載の「学者」(ええ鉤括弧つけますとも)とか「コンサルタント」みたいなヤツが、山本太郎の懐の深さと、脇の甘さやケレンに対する理解を当て込んで、つけいってきたのでしょう。

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それではここで一曲聴いていただきましょう。青江三奈さんで「伊勢崎町ブルース」

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で、そういうヤカラにつけ入られた山本太郎は、「どや!世間とは違うこと言うたったでー!!!!」というアホみたいな根性をまんまと利用されてしもうたんでしょう。

そう思うと、山本太郎が可哀想でならんのです。

勿体無い。実に勿体無い。

「ウクライナ決議」に反対した事実は消えません。そして消す必要もないと思います。「反対したことそのもの」はダメなことでも、批判されるべきことでもないです。むしろ、尊くさえある。

が、動機がいただけない。結論に至る思考の機序がいただけない。

その部分だけを早急に自己批判し、訂正しなければ、山本太郎およびれいわ新選組の今後は、「いつかは総理大臣」ではなく、「たんなる楢崎弥之助」になってしまうでしょう。

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注1 プーチン大統領はいま、ウクライナ側との和平会談の場所をベロヴェーシの森にしろと指定しています。彼の頭の中には「偉大なるロシアを分割してしまったあの屈辱的なベロヴェーシ合意を上書きしてやる」って思いがあるんでしょうね。第二次大戦でナチスドイツがパリを陥落させた後、ヒトラーがコンピエーニュの森でフランスに降伏文書にサインさせたのと同じことです。あの時の「ドイツが第一次大戦でドイツが屈辱的な降伏文書にサインしたコンピエーニュの森で、今度はフランスに降伏文書にサインさせてやる」という執念に燃えていたヒトラーと、今のプーチンは全く同じことをしています。

参考のため、手塚治虫が『アドルフに告ぐ』で、コンピエーニュの森をどう表現したか置いておきますね(文藝春秋ハードカバー版の第三巻 p156-157)。

ヒトラーあんま似てなくね?
ここらへんのコマ割りは、映画っぽくて実にいいっすよね


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