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レコ芸ロスのつれづれに⑤これから読むつもりの音楽書3冊【#うちの積読を紹介する】

はじめに

 noteのお題で面白いものを見つけました。「#うちの積読を紹介する」です。読んだ本の感想文ではなく、まだ読んでいない本について書けというのです。
 私にも「積読」が何冊かあります。その中から、現在休刊中の雑誌『レコード芸術』(以下、レコ芸)にゆかりのある人が執筆した本をピックアップしました。レコ芸愛読者だった私から見て筆者はどういう人なのか。その本を読もうと思ったのはなぜなのか。そんなことを「積読」の言い訳もしながら書いてみたいと思います。まだ読んでません、なんて著者に対して失礼極まりないのですが、どうかお許しくださいませ(全部で3,900字くらいあります)。

浅井佑太 著『シェーンベルク』

 浅井佑太という書き手に興味を持ったのは、レコ芸の「神盤」特集(2023年4月号)がきっかけです。カラヤン指揮ベルリン・フィルの《ツァラトゥストラはかく語りき》について、筆者はどう聴いたのかという文章がとても印象に残りました。
 R.シュトラウスの交響詩をカラヤンが指揮、しかも演奏はベルリン・フィルとなれば、まずは絢爛豪華なサウンドを思い浮かべてしまいます。でも浅井氏によると、カラヤンの演奏の真髄はむしろ比較的地味な部分にあると。派手さとは無縁のところで、音楽全体をオペラ的なドラマとして捉えた音調が良い、というのです。
 カラヤンに対して、私はこうした見方をしたことがなかったので、とても新鮮に感じました。これからはこの人の書くものをチェックしよう、と思った矢先、残念ながらレコ芸は休刊することになってしまいました。

 レコ芸休刊の少し前に、浅井氏の著書が出ました。十二音技法の創始者、シェーンベルクの評伝です。
 ネットで調べたところ、浅井氏の研究領域は、新ウィーン楽派他20世紀以降の音楽とのこと。シェーンベルクはお手のものでしょう。これは買わなくては、と即通販サイトで注文しました。

 しかし、です。私はシェーンベルクがあまり得意ではありません。《浄められた夜》や《グレの歌》といった調性のある作品は聴きやすいのですけれど、無調以降の作品は耳に馴染みにくくて、積極的に聴きたい作曲家ではないのです。《月に憑かれたピエロ》や《ヴァイオリン協奏曲》あたりとなると、たまに話題盤が出た時に聴いてみる程度。未聴の作品は多いです。
 そんな作曲家の評伝です。買ってはみたもののすぐには読む気にはならなくて、いつの間にか「積読」状態に。
 でも、この本の「はじめに」では次のようなことが書かれています。
 シェーンベルクが十二音技法を発表したのは晩年と言ってもよく、主要作品の大部分は調性音楽であること。シェーンベルクの作品につきまとう難解なイメージは、しばしば偏見と先入観の上に築かれたものだということ。
 まさに私もそのような「偏見と先入観」の塊です。これを読んだらシェーンベルクの印象も変わるに違いありません。浅井氏の視点を通してカラヤンのイメージが変わったように、です。
 今年はシェーンベルク生誕150年。このタイミングで今年中には読み始め、未聴の作品にも親しめるようになれたらいいなあと思います。

 この本は音楽之友社の「作曲家◎人と作品」シリーズの中の一冊です。伝記と作品紹介がコンパクトにまとまっていて、私のような初心者レベルのリスナーにはちょうどいい内容。他の作曲家のものも何冊か持っています。

飯田有抄・前島美保 著『ブルクミュラー 25の不思議 なぜこんなにも愛されるのか』

 今年はブルクミュラー没後150年なのだそうです。
 没後150年の催しがYouTubeで配信されていました。その中で、プロのピアニストが演奏するブルクミュラーは「これがあの曲か」と思うくらいすてきでした。
 そういえば、こんなふうにブルクミュラーの作品を「鑑賞」したことはありませんでした。ブルクミュラーとは私にとって、ピアノ入門者向けの教材『25の練習曲』の作曲者でしかなく、そもそもクラシック音楽の作曲家だと認識していなかったのです。
 子供の頃にピアノを習っていれば、多くの人がブルクミュラーの練習曲を弾いたことがあると思います。私も小学生の時に3年ほどピアノのお稽古に通い、何曲か教わりました。久々にブルクミュラーの名前を目にしたら懐かしくなってしまいました(ちなみに私が使っていた楽譜では「ブルグミュラー」と表記されていました)。

 先日図書館でたまたまブルクミュラーの本を見つけました。2名による共著です。そのうちのひとりが飯田有抄氏でした。

 飯田氏の名前は、数年前からレコ芸で見るようになりました。インタビューの聞き手の他、新譜のレヴューやオーディオ記事などいろいろなところに登場しています。中でもピアノ曲やピアニストについての記事が多かったように思います。おじさん比率の高かったレコ芸に女性の書き手が加わって、なんかすごく嬉しかったです。
 飯田氏の文章で印象に残っているものはいくつかあるのですが、特にベルトラン・シャマユが弾く『Good Night!』というアルバムのLP評(2021年1月号)が忘れがたいです。このアルバムにはさまざまな作曲家の、ピアノのための子守歌が収録されており、CDでも発売されています。
 このアルバムの世界観の中では、子守歌は甘く夢見心地なだけでなく、時として暗く寂しく怖くも聞こえる、という指摘に感銘を受けました。音楽でも批評でも、これまで馴染んできたものを異化してしまうようなものが私はとても好きです。このCDは私の大切な愛聴盤となりました。

 その飯田氏の著書ならば読んでみようと、図書館から借りてきました。きっと、ブルクミュラーの知られざる魅力が掘り起こされていることでしょう。
 目次によると、練習曲以外の作品や人物像、『25の練習曲』が日本のピアノ教材として定着した経緯などについて書かれているようです。多少なりともブルクミュラー体験のある身としては、なかなか興味をひかれます。
 が、ボーッとしている間に返却期限が近づいてきました。なるべく早く読もうと思います。

広瀬大介 著『楽劇 エレクトラ』

 広瀬大介氏はレコ芸で協奏曲部門の月評も担当していましたが、本領はやはりワーグナーやリヒャルト・シュトラウスではないでしょうか。
 特に、私はR.シュトラウスの魅力について多くを教わりました。レコ芸2014年6月号のシュトラウス特集で、《ドン・キホーテ》《英雄の生涯》《家庭交響曲》の3作品を論じた文章は印象深いです。これを読んで私のシュトラウス観が一新したと同時に、楽曲分析に基づいた深い解釈に触れて作品の聴き方も変わりました。

 昨年、広瀬氏の書いた《エレクトラ》の対訳本が出た時はすぐに購入しました。2022年に同じ出版社から出た《サロメ》がたいへん良かったので、今回も期待できると思ったからです。

 オペラ鑑賞には対訳本があると重宝します。歌詞の意味がわからないと楽しめないからです。
 CDならブックレットがついていますし、映像ソフトであれば日本語字幕つきのものが販売されているので、そう困ることはありません。YouTubeでも一部では日本語字幕の入ったものがあるようです。また、予習せずにいきなり公演を観に行ったとしても、たいていは舞台の脇に字幕が表示されます。
 ただ、この頃は観たいオペラの国内盤CDは手に入りづらくなっています。海外盤やストリーミングでオペラを聴く時などこのような対訳本があると助かります。
 また、字幕というのは、音楽の流れに合わせるために訳の全てが表示しきれていないこともあるといいます(限られた文字数で伝えるためには相当の工夫があったことでしょうけれど)。正確な訳を知るにはやはり対訳は欲しいです。

 《サロメ》の対訳本で良かったと思う点はいくつもあります。
 まず、本の構成です。左ページに対訳、右ページにその場面に対応する楽曲解説が載っています。これはすごく便利です。CD付属の冊子だと、たいがい歌詞と解説のページが離れていたり別冊になっていて、あっちを開いたりこっちを開いたりするのが面倒でした。でもこの体裁なら同時に読めます。
 対訳に関しては、日本語訳が読みやすく、また格調の高い文体が美しいです。そのあたりのこだわりについては著者ご本人がnoteに記していますのでご覧になってみてください。

 音楽の解説のほうも、ひじょうに読みごたえがあります。これは何のライトモチーフか、この調は何を表しているか、といったことを知ると、音楽を聴くのが何倍も楽しくなります。これらの詳細な分析を読むと、いかにシュトラウスが凝った曲作りをしていたかがわかります。
 昨年新国立劇場の公演を鑑賞した時もこの本を読み直して臨み、たいへん堪能しました。

 対訳本は実際に音楽を聴きながら読んだほうが良く理解できます。
 《エレクトラ》の本はまだ手つかずです。このオペラは以前CDで鑑賞したことがあるのですが、聴いているとすごく疲れるのです。父親の仇をとりたいと復讐心を燃やすエレクトラ。その執念を表した音楽は、歌もオーケストラも強烈でパワフル。テンションの高い音楽がけっこう続きます。体力や気力にじゅうぶん余裕のある時に、じっくりと取り組みたいです。
 シュトラウス愛にあふれた広瀬氏の解説を読めば、うるさく感じられる音楽にも、いろいろな意味が込められていることがわかるのではないかと思います。
 シュトラウスのオペラはまだたくさんあります。ぜひシリーズで続けて欲しいです(次は《ばらの騎士》などいかがでしょう?)。

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