がんという病

父と話したところ、別段落ち込んでいなかったのが幸いでした。血液検査の結果では、CA19-9という当時は意味不明な指標の数値が異常に高い状態でした。ネットで調べると消化器系がんの腫瘍マーカーとわかりました。

腫瘍マーカーが高いからといって、どう対処すればよいのかわかりません。翌日胃カメラの結果と医師の話を受けて、今後の予定を考えるしかありません。

がんという病をはじめて身近に感じました。

翌朝、家内や弟と病院に向かいました。
父の胃カメラとCTの画像を見ながら医師の説明を受けました。画像診断からは胃がんのステージ4、病理検査結果が出ないと確定ではないけれども、ほぼがんであるということでした。更に肺への転移だけでなく、全身に転移しているとのこと。完治は不可能であり、抗がん剤でもがんの進行を遅らせるだけであること。副作用が少ない分子標的薬を使えないか等、ネットから得た情報を元に質問したところ、医師はガイドラインに沿って対応すると言うのみでした。

その週の金曜に最終的な検査結果が分かるということで、その結果を受けて抗がん剤治療のスケジュールを調整することになりました。私たちは翌日火曜には戻る必要があり、金曜の説明内容は父か弟に後で確認することとしました。
父には、帯津良一先生の「がんになったとき真っ先に読む本」、がんから生還した方の手記などを手渡して関東に戻りました。

がんは正常細胞が変化したものです。がん細胞は、元々私たちの身体を構成する細胞のひとつでした。それが変化するには何らかの原因があったはず。父は1年前に胃カメラ検査をしましたが、そのときは異常がなかったと言っていました。

わずか1年でステージ4になるのか医師に質問したとき、医師は「顔つきの悪いがんもある」と答えました。当時変わった表現だなと思いましたが、後にがん関連本をたくさん読むことで、そのような表現もあることを知りました。
環境の変化として、母が突然心筋梗塞で亡くなったことが挙げられます。この環境変化が心を痛めつけ、更には細胞にも無理をさせたのではないかと疑いました。

実家から帰宅した夜、今後の対応について家内と認識のすれ違いが出ました。家内は20代で父親を亡くし、母親も30代に肺小細胞がんで余命宣告を受けて亡くしています。闘病時の気持ちは家内の方が痛いほどわかっていますが、私はまだ晴天の霹靂から抜け出せず、気が焦っているのか発した言葉で家内の気持ちを傷つけてしまいました。

人はあまりにも想定外のことを経験すると、意志で統御しようにも統御できないほどの感情に襲われることを実感しました。

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