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【あなたの“ikigai”なんですか?】在学中にフルーツ園の経営者へ

100年続く果樹園で、ときに若手就農として、ときに震災避難町民として、ときに新しい農業の形として、注目を浴びている青年がいる。

まるで星を宿したように輝く瞳をもつ、関本元樹(せきもとげんき)さんだ。関本さんは、東日本大震災の原発事故の影響で福島県大熊町から移住してきた。

「先代が築き上げてきたストーリーのほとんどは大熊町にある」
そう屈託ない笑顔で語ってくれた。

関本さんより提供:インスタグラム

亡き父親が残した「フルーツガーデン関本」を継いで、梨とキウイフルーツの生産をしている。

一心不乱に、
"もう一度食べたい、大切な人にも食べさせたい果物作り"
を目指して。

関本 元樹 (せきもと げんき)
福島県大熊町出身。100年続く"フルーツガーデン関本"を5代目として営む。2011年の東日本大震災により、故郷を離れ避難生活を余儀なくされる。果樹園復活の新天地にとして、千葉県香取市へ移住する。
フルーツ栽培のみならず、地元飲食業とコラボしたり、故郷の大熊町で直売所復活祭を開催したり、精力的に活動している。

*本記事は、人間の強さや優しさ、そして希望を映し出した「生きがいチャンネル」に基づき、発信しています。


約100年の歴史をもつ果樹園を継ぎ、"もう一度食べたい、大切な人にも食べさせたい果物作り"を営む

ー 突然ですが、生きがいという言葉をご存じでしょうか。

日本語での生き甲斐はなんとなく聞いたことはありましたし、親しみは感じていたんですけど、生きがいの言葉の本質はそんなに考えたことがなくて。

僕の中では人生のモチベーションみたいなものだと思ってます。

ー 後ほど、関本さんの生きがいに迫っていきたいと思います!まずは千葉県香取市でフルーツ栽培を始めた経緯についてお聞かせください。

元々、関本家は福島県大熊町で100年ほど前から果樹園を営んでいました。あの東日本大震災の後に避難を余儀なくされ、大熊町と気候が似ているここ千葉県香取市で再度、梨とキウイを再開しました。

2013年に再開したので、約10年ほど前になります。

HPより引用: 平成15年夏・千葉県香取市にて

ー コンセプト等はあるのでしょうか。

"もう一度食べたい、大切な人にも食べさせたい果物作り"がモットーです。

農家として作物を育てることはすごく大変で、たくさんの思いが込められてるのはもちろんですが、それは誰かに食べられてこそ初めて価値が出るものだと思っていて。

美味しかったり、 すごく感動したりすると、もう一度食べたいって思うはずなんですよ。僕も実際、食べ物にかかわらず、心が動かされたらもう一度って思います。 美味しかった!という感想よりも、もう一度食べたい!という感想をいただいた時がすごい嬉しくて。

きっとみんな大切な人がいると思うので、その人に食べさせたい!と思ってもらい、どんどん幸せが連鎖していくような果物作りができたらいいなと思っています。

関本さん提供:インスタ引用

ー素敵な思いをありがとうございます。最初から家業を継ぐことは考えられていたんですか。

農家の長男に生まれたので、いつかは継ぐんだろうなあとほんわかした思いはありましたが、想像よりも早くなりました。

僕の中で正解というか、目指す農家の将来像は祖父と父親です。
生まれてから農家の子として育ち、2人の背中をみて農家をやってるので、当たり前すぎて"あの二人が憧れだ"と思ったことは正直少ないですが(笑)

でもその背中を見て、同じ道をたどってるってことは、憧れはやっぱり祖父と父親なんだなと思っています。

*****

震災をきっかけに大きな環境変化。先代からの想いを繋いでいく。

ー 13年前に東日本大震災は、関本さんにとって、どのような体験だったと振り返りますか。

僕の記憶よりもメディアの映像の方が、頭の中ではよぎりますね。
10年以上経ちましたが、当時のことは今でも鮮明に覚えてます。震災後から今日までの日々も覚えてますし、人生の1つの区切りであったと思っています。人間関係などもすごく変わり、僕の人生の中で、とても大きなきっかけが生まれたのかなと思っています。

関本さん提供:2021年、梨園の跡地。

ー 当時の出会いや気づきというのは、いまのお仕事や人生にどのような影響を与えていますか。

生まれてから震災の時まで、ずっと一つのまちで育って、そのコミュニティだけで育ってきました。 震災という一つのきっかけで、自分の意思とは別の環境にいかないといけなくなった時、そこにはまたコミュニティがあって。

新しい環境に入り込むのは、自分の意思だけじゃなくて、周りの人の理解や手助けが必要なんだとすごく感じましたね。今の家族(奥さん)もそこで出会ったわけですし、いいこともあったなと思っています。

関本さん引用:令和5年夏・大熊町にて

ー故郷である大熊町に対して、どんな想いがありますか。

どんな思いで作るのかや育て方は、先代の築き上げた歴史の中で、いまの時代に合うような形になっているわけです。そして、そのストーリーのほとんどが大熊町で作られてきたものです。

いま自分がこの地で作ってても、今までの過程を重視すると、やはり大熊町は欠かせない存在だなって思ってます。

ー故郷から新しい土地に移り、この地でフルーツガーデンをスタートさせ、初めて収穫した時のお気持ちはどうでしたか。

"一回途絶えたものがやっと復活した"
関本家にとっては、そんな想いが一番ありました。

僕個人にとっては、ようやく農家として、農作物を育てられるような人間になった。やっとスタートラインに立てたという思いが強かったです。

ー新しい土地での挑戦に、難しさを感じたことがありますか

普通に生活できることがどれだけ幸せなのかということは、つくづく感じました。
一家の大黒柱であった父親が亡くなってから、次の関本家の主人公に自分が なるんだという覚悟があったからこそ、その逆境を乗り越えられました。
自分が主人公じゃなかったら、多分その逆境を乗り越えられずに、ほかのことに気を配って気を紛らわしてたんじゃないかなって思います。

ー農業は関本さんにとっては、どういう存在なんでしょうか。

生まれてからずっと親しみがあり、農業は大変なことも楽しいこともすごく多くあるものです。"人生=農業"ぐらいまでに生きてきましたしね。

僕は父親を見て育っています。今はもういないけど、木を植えて実るまでの過程とか、自分の息子が作ってるって言ったら嬉しいだろうなとか、そんな思いで作ってるんです。
僕が自分で始めたわけじゃないストーリーですから。この家族みんなで作り上げる、一つのストーリーなんだなと感じています。

関本さん提供:インスタ

ー農業をやってて嬉しかった瞬間やエピソードを教えていただけますか。

農業は、自然と隣り合わせの作業です。
日々どうしたらいいかと悩むことは多いのですが、果物を取って、それを誰かに食べてもらって、もう一度おかわり!と言っていただいた時が、“あ〜やっててよかったな”、農業って素晴らしいものなんだなって感じます。

*****

自分を漫画の主人公のように俯瞰しながら、後世に意味のあるストーリーを創っていく

ー 東日本大震災という未曾有の経験をされた関本さん。何が起こるかわからない不確実性の高い現代において、どのように向き合っていけばいいとお考えですか。

自分がやりたいこと、自分が一番モチベーションが上がることが、僕は農業ってだけで。人によって違うと思うんですけど、どんなに環境が変化しても、自分がやりたいことを明確にすれば、生きる意味を見いだせるのではないかと思ってます。

ー 今後、挑戦していきたいことはありますか。

新しいこと、何かに挑戦したいってのは思います。
その何かっていうのは、今僕が想像できるようなものだと、多分誰かがもうすでに挑戦しているので。

今後農業をどんどん進める中で、いろいろ大変なことがあると思いますが、試行錯誤して自分なりのやり方や道を築いて、そこで挑戦の目標ができればいいなと思っています。だから、その道を作ることがこれからの挑戦です。

農家という生き方を極めてみたいなと、思ってます。

関本さん提供:インスタ

ー関本さんにとって、"生きがい"はなんだと思いますか。

僕の生きる意味は、家族もありますが、今まで僕がこの世に誕生するまでに築き上げたストーリーを、僕で終わらせないぞっていう思いが一番強くて。

今一緒に作業しているじいちゃんもそうですけど、もうすべて今までのストーリーが意味のある歴史だと思っています。
それを後世に繋いでいくことで、僕の存在もまた、この歴史において意味のあるものになっていくんじゃないかなと思ってます。

ー最後に、読者にメッセージをお願いします。

僕はまだ24年ぐらいしか生きていませんが、多分ほとんどの人が若い時って自分目線で物事を処理して選択をしてると思うんです。

僕は24年間でいろんな環境が変わっていく中で、自分目線の選択だけじゃダメな場面がものすごく多かった。どんな時も自分を俯瞰して、それがいいのか悪いのか、自分が周りの環境に与えている影響ってなんだろうというのを、とても深く考えるようになりました。

今までの人生やストーリーを、自分が書いてる漫画の主人公というように、自分を置き換えて俯瞰してみるようにしています。そうすれば、もちろん自分のモチベーションには逆らわないけど、外の環境にも適用できる人格が形成されると思うんです。

本当にやりたいことは何かわからなくても、自分のモチベーションを重視していおけば、何か見つかるんじゃないかなと思っています。


あとがき / Writer 南條佑佳

わたし達が無意識に毎日おこなっている、“食べる”ということ。
大量消費社会の中、誰がどこで生産しているのか、どのようにしてわたしたちの手元に届いているのか、無頓着になりがちだ。
しかし、時間をかけて丁寧につくられた食のルーツを知ることは、豊かな時間や心を育ててくれるのではないだろうか。関本さんの話を聞いていると、そう感じた。

わたしと同じ、24歳の関本さん。
突然の出来事で故郷を離れ、千葉にやってきた。新しい環境下でいろんな経験をしたゆえに、農業を継ぎ、先代の想いと共に家族を守る。
彼はまだ2年目と言っていたけれど、作業具をもって仕事場へむかう後ろ姿が、今でも目に焼き付いている。とても力強く見えた。

関本さんのフルーツは、今や地元でますます人気になっている。
味とその想いに感銘をうけた人たちが、これは大切な人にも食べさせたいと、笑顔の輪がどんどんと広がっている最中だ。
これからも、彼の想いとフルーツが、いろんな人の手に渡ってほしい。


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