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鎌倉の山族と海族を繋ぐもの

普段よく聴いている音声配信「VOICY」でチャンネル検索を眺めていたら、かつて西荻窪で食堂を開いていた料理家のくしまけんじさんの番組に出会った。チャンネルのプロフィール欄には「鎌倉の山の家からお届けします」と記載がある。聴けばちょうどコロナ禍に見舞われた2020年に西荻窪のお店を閉めて鎌倉に移り住み、現在は料理教室を開かれるなどして鎌倉で活動されているという。

くしまさんが営んでいた西荻窪の食堂には、オープンしたての頃に噂を聞きつけて一度だけ伺ったことがあった。内装を手がけたのはアンティークや骨董を扱う「タミゼ」の吉田昌太郎さん。食堂の内装も「タミゼ」を思わせる白壁と木を基調とした素敵な空間だった。今も使い続けている花器や焼き物の多くが吉田さんのお店で出会った物である私は、くしまさんの作る優しい料理はもちろん吉田さんらしい凛と冴える空間にも心をくすぐられ、満たされた気持ちでお店を後にしたことをよく覚えている。

くしまさんの移住を知ったのとそれほど時を離れずして、作家 小川 糸さんの最新刊『椿ノ恋文』を読み始めた。ドラマ化もされた小説『ツバキ文具店』の第三弾で、言わずと知れた鎌倉が舞台の人気シリーズだ。シリーズを書くに当たっては小川さん自身も鎌倉に移り住み、しばらく逗留したと聞いた。年末に第二弾の『キラキラ共和国』を読了し、新刊を読むのを楽しみにしていたのだ。

小川さんやくしまさんに限らず、鎌倉に移り住む作家やアーティスト、作り手たちの話は昔から多い。近年ではサーフィン好きが高じて、湘南暮らしを始めた会社勤めやフリーランスの友人たちも増えてきた。一方、私は大学を出るまで鎌倉で暮らし、数年間離れてから再び戻ったり出たりを繰り返して、現在は都心に暮らしながら鎌倉と東京を毎月行き来する日々を送っている。親族が移り住んでからかれこれ100年近く、代々この地に住み続けてきている。

私にとっては当たり前の古くて小さな故郷に、
何故こんなに沢山の人々が移り住むのだろう。
時々不思議に思うことがある。

移住者の中には私と同業の方も多くいて、中には鎌倉にまつわる本を出されたり、雑誌で自身の暮らしを紹介されている方もいる。前出の小川 糸さんもある意味そうだし、古くは「鎌倉文士」と言われた文豪たちも同じだ。出身か否かは関係なく、昔から才気溢れる人たちが移り住み、この地を愛して多くの作品を生み出してきた。そういう歴史と風土のある町なのだ。

『椿ノ恋文』の中で、鎌倉には「山族と海族」がいると書かれた下りに目が留まった。そうそう、作家、学者、芸術家などインテリ層が多いのは山族で、サーファー、ファッション業界人、クリエイターなど、どちらかというと現代的で自由を愛する気風の人々は海族に属するという印象だ。幼少期は山奥で、現在の住まいも史跡の上に建つ私は、完全なる「山族」である。湘南出身とは名ばかりで、恥ずかしながらヨットやサーフィンは一度もやったことはない。インテリでは毛頭ないが、窓外に目を向ければどっしりと重たい山に囲まれた住居で本を読み、内省したり、こうして文章を書いたりするのが、何より好きな内向きな性壁を育むに至った。

鎌倉は陰陽真逆な気質をもつ人々が、
小さなエリアに住む不思議な町である。

山族の代表格といえば、浄妙寺の山の麓に暮らす料理家の辰巳芳子先生や鎌倉山のホルトハウス房子先生、緑深い北鎌倉に居を構える養老孟司先生などが真っ先に思い浮かぶ。小説『ツバキ文具店』の主人公 雨宮鳩子ちゃんの住まいを鎌倉の奥地、二階堂エリアに設定した小川糸さんもきっと山族気質のはずだ。川端康成が『雪国』を書いた時期に暮らしていたのも、発表された年代から二階堂に住んでいた頃であったと思われるから、やはり山族か。今の鎌倉を牽引する人気の飲食店を営む方々も、お住まいを聞いたことはないけれど、山族の気風を感じる。深掘りして味や文学、学問を追求する。いずれも才能豊かな御仁ばかりである。

一方、海族で思い浮かぶ友人・知人たちは一様に軽やかで、皆明るい。一年中少しこんがりと焼けた肌で、都会人のように日焼けによるシミや皺を気にする気配は一切なし。一日の中で隙間時間を見つけてはボードを片手に浜辺へ向かい、波へ飛び込む。風に吹かれながら「成るように成るさ」と言い聞かせるように、自然に任せで人生のボードを漕いでいく。

そんな対照的な二つの"族"を繋いでいるのは、
きっと「痛み」なのだと思う。

今から20年以上前のことだけれど、仕事の取材で「カフェ ヴィヴモン ディモンシュ」の堀内隆志さんに「鎌倉でお店を始めたきっかけ」について話を聞いたことがあった。それまで会社勤めをされていた堀内さんは希望した部署に配属されず、仕事で悩みを抱えていた。もっと自分のペースで働きたい、自分のやりたい仕事がしたい。悶々とした時間を過ごす中で、堀内さんは美術作家の永井宏さんと交友を深め、その考えや生き方に触発されてカフェ開業を思い立つ。そして永井さんがアトリエを構える葉山からも程近い、今の鎌倉の地にお店を構えたのだという。

都心に暮らしながら、まるでしがみつくように東京と鎌倉を頻繁に行き来する私もまた、痛みを抱える同志だ。鎌倉には堀内さんのように、都会暮らしに別れを告げ、自分らしい生き方を求めて移り住む人も多い。お金優先の生き方を選べば、東京から電車で約1時間と言えど、命綱の横須賀線もよく止まり、心理的にも車両から降りた瞬間に携帯の電源がオフになるようなこの町を選ぶ必要はない。それでもここに暮らすことを決める人たちには、自分らしい働き方で、自分らしく生きようとする魂の輝きと引き受けた心の痛みがある。

私は故郷だから、この町に帰っているわけではない。
輝きと痛みの中に共にいたいのだ。

生来、目には見えない"気"をとらえることが得意なこともあってか、私は自身が山族でも海族の人に同じような"痛み”を感じることができる。大好きなサーフィンを通じて人生を謳歌し、海風を楽しむ陽気そうな人たちの多くもまた、きっと都会で何らかの葛藤を抱え、自分の人生の運転席に座ろうと意を決して鎌倉の地にドライブしながらやってきた。振り返って考えれば、『ツバキ文具店』の主人公の元に代書を頼みにやってくる個性豊かな面々もまた、それぞれに悩み深い人たちばかりだったではないか。

山族も海族も、心に小さな絆創膏を貼って暮らしている。
そうして"人生"という店の軒先に立ち、いつもニコニコ笑いながら、山族も、海族も、分け隔てなく出迎える。

まるで心に、沸かしたての美味しいお茶を注ぐように。
悩みなど素知らぬ顔で、温かく見守るように。

鎌倉の祇園山頂上から由比ヶ浜の海を眺めて。鎌倉は山も海も溶け合いながら、小さなエリアにまとまっている。

【SHOP DATA】Sahan
ヘッダー写真は鎌倉駅からすぐ近く、線路沿いにあるカフェ「Sahan」。小説『ツバキ文具店』にも登場するお店で、私もこの本を通じてお店の存在を知りました。ご飯の定食の日とパンの定食の日があり、私が伺ったのはごはんの定食の日でした。小川糸さんは着る服がミナ ペルホネンの服一択と以前どこかで読んだことがありますが、このお店に来ていた人もまさにその世界が好きそうな文化系女子ばかり。一人でカウンターに座り、窓外に見える横須賀線を眺めながら黙々と食事されていました。目の前を電車が通るといっても、東京ほど本数もなく、ガタンゴトーンガタンゴトーンとゆっくりと通り過ぎる横須賀線はもはや馬車のよう。電車の騒音でさえ、心地よく感じるから不思議です。








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