あなたはどのくらい、子供から信頼されていますか?
ニュージーランド在住で、総合診療科医、ライフコーチ、Havening technique ®️プラクティショナーなどをしています。
先日、noteのどなたかの記事で「信用」と「信頼」という言葉を取り上げているのを見て、ふと思いました。
「信用」と「信頼」の違いは何だろう。
この違いが、子供が大人に心を開いて、深いレベルでコミュニケーションできるかに関わってくるのではないか、と。
(言葉は使う人によって、少し異なった意味合いを持っている可能性があるので、この記事を読まれた方が、私と全く同じように感じるかどうかは分かりません。)
「信用」と「信頼」
ググってみると、だいたい私が感じている様な定義がありました。
「信用」は何か客観的な証拠があって、(信じられる)と感じられる事。
例えば、対象が医者なら「数十年の経験」とか「どこどこ病院の部長」とか「良いレビュー」とか「本を出版しているとか」があると「信用」できると感じられる。
「信頼」は、もっと主観的で、証拠がなくても(信じられる)と感じられること。
つまり「あの人は、最初に会った時から信頼できるなと思った。」みたいな感じですかね。
ただ「信頼」は主観的と言っても、多分色々な観察がなされて、「信頼できる」という結論が出されていると思うですよね。
例えば、『物腰が穏やかだ』とか、『選んでいる言葉に思いやりが感じられる』とか、『対応の仕方が丁寧だ』とか。
ある人に遭遇して、その人を観察して得られた情報に、観察した人が意味をつける。
例えば、「私の話を親身になって聞いてくれるから、良い人なんだ。」
そして「信頼」できるという結論を出す。
あなたは「信用」されている? それとも「信頼」されている?
では、お子さんのいらっしゃるあなた、または職場でお子さん達と接するあなたに質問です。
お子さんは、あなたの事をどれだけ「信用」していると思いますか。
「全く信用されていない」を0、
「完璧に信用されている」を10としましょう。
いくつでしたか。
では良く似ているけど、少し異なる質問です。
お子さんは、あなたの事をどれだけ「信頼」していると思いますか。
「全く信頼されていない」を0、
「完璧に信頼されている」を10としましょう。
二つとも同じ値でしたか。
個人的な経験なのですが、自分の子供時代を思い出します。
私の親は、私が習いたいものを習わせてくれたり、お金が必要であれば払ってくれたり、勉強がよくできれば褒めてくれたりする親でした。
子供達に、意図して身体的、精神的な危害を与える事はありませんでした。
「信用」に値する親だったと思いますし、私も彼らを「信用」していたと言えます。
では「信頼」していたか、と言われると、(そうではなかったかなぁ)と感じます。
(何故かな)と考えてみました。
理由として思いつくのは、
彼らは、彼らが「正しい」「子供の為になる」と信ずることをしており、多くの場合は親自身のエゴを満足させるやり方であった。
私が、実際にどのように感じ、どの様に考えているかを受け入れるスキルがなかった。
(もちろん、私が子供の頃はそのように親を客観視することができませんでしたが。)
私は「良い子」であり続けましたが、
自分の親に「自分が困っている事」「自分が悩んでいる事」などの心の底をしゃべる事はありませんでした。
今大人になって分析してみると、多分私は幼少期からの経験から
「何かを言っても、親には興味を持って聞いて貰えない」
「親の考えるアドバイスを押し付けられる」
という事を学んでいたのだと思います。
私は多分それなりにスキルがあった子供だったんだと思います。
親や教師に期待される勉強がそこそここなせ、他の人とある程度効果的なコミニケーションする言語のスキルもあった。
必要であれば、リーダーシップを取ることもでき、身体的な能力も人並み以上であるものが多かった。
でも、スキルレベルが高くない子供であったら、『信頼できる大人がいない』ということが、多分もっとインパクトを与えていたのではないかなぁと思います。
例えば、部屋に引きこもって親と全く話をしなくなるとか。
暴力を振るって、反抗する様な行動をとるとか。
この辺りは、親のスキル(子供に要求することは親のスキルレベルに左右される)と子供のスキルのバランスで、
親のスキルが低くても、子供のスキルレベルが高ければ、少なくとも外見上はうまく行っているように見えるし
親のスキルが高くても、子供のスキルレベルが低ければ、「問題行動」が起きることもある、のではないかと思います。
「信用」から「信頼」に移行するのに必要なものは何か。
他人を信ずるに至るには、色々な理由があると思います。
自分の基本的な物質的ニーズを満たしてくれる(家とか食べ物とか)
自分に身体的危害を加えない
自分に酷い言葉を浴びせない
自分の話を聞いてくれる
自分を理解しようと努力してくれる
自分が困ったら、いつでも手を差し伸べてくれる
自分の物質的な欲求を満たしてくれる(iphone とか)
自分の問題を解決してくれる
自分の考えや言動を尊重してくれる
などなど。
私が「信用」から「信頼」に移行するのに必要だと思うのは
「この人は、何があっても自分の味方である」と信じられること。
そのためには、必要なのは
私の話を、批判せず、純粋に興味を持って聞いてくれる
お願いしないのに、私の問題を解決しようとしてアドバイスを押し付けない (笑)
私がいないところでも、私を信じていることを言動に示す
その人の言動全般が、私がロールモデルとしたいものである
私がお願いしたら、一緒に問題解決を手伝ってくれる
まあここまでパーフェクトに私の期待に沿う人はいませんが(笑)、近い人はいます。
最後に
私達は、周りの人全員を「信頼」する必要もないし、「信頼」される必要もありません。
ただ、自分が「信頼」関係を持ちたい人との間が(上手くいっていないなぁ)と思ったら
ちょっと立ち止まって、「何が欠けているんだろう」と考えてみてください。
それは相手のスキルレベルかもしれないし、
ご自分のスキルレベルかもしれない。
まずは相手の話を純粋に興味を持って聞くことかもしれないし
人の問題を解決しようとする、自分の衝動を抑える事かもしれない。
時間は十分あります。
ちょっと時間をとって、自分の内面も見てみる。
そして少し何かを変えてみると、連鎖的に変化が見られるかもしれません。
私の勧めているCPSの方法もお役に立てるかもしれません。
もしもうまく行っていない関係があったら、今日からちょっとだけ変化を起こしてみましょう。
応援しています。😊
今日も長文を読んで頂き、ありがとうございました。
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