見出し画像

受験戦争って意味があったの?

ニュージーランド在住の野田です。

来月娘がニュージーランドの高校を卒業します。(現在2023年11月です。)

その娘の傍で、ニュージーランドの教育を幼稚園から高校まで見た私が切実に感じる事。

「私が日本での受験戦争に費やした、貴重な子供時代の時間を返して欲しい!」

私の日本での学生生活

私は、日本生まれの日本育ち。

私の父親は「世の中で最も大切なのはお金と学歴」という感じの人でした。
(この価値観は、彼の生まれ、育ちに深く関係すると思います。また後日このテーマで記事を書きます。)

私はその期待に応えるべく、中学、高校、大学と「良い学校」に入るために受験勉強を続けました。

夜は真夜中近くまで勉強。
学校の休みは、予備校主催の受験用の講座に行く。

周りのみんなも同じ様な生活をしていたので、その様な生活に疑問を挟む余地もありませんでした。
学校の部活もしていたので、毎日の生活は「勉強」か「部活」という感じでした。

大学に入るまでの私の目標は「医学部合格」。
その為に「クラスで上位に入る」「模試で上位に入る」などの目標に向かっていく。
そんな毎日でした。

ニュージーランドでの学校教育に対する印象


2002年、ニュージーランドに移住しました。

ここで子供達のレベルを見てびっくり。(特に算数)

「その年で、まだtimetable (日本でいう九九) できないの?」
「二桁のかけ算、まだどうやってやるか知らないの?」

日本なら小学校低学年の誰でもやれそうな事が、ニュージーランドでは中学生でもできなかったりする。

英語だって
「あんた達ネイティブスピーカーなのに、そんな簡単な単語、知らないの?」とか「こんないつも使っている単語のスペリング、わからないの?」とか
驚くことが多かった。

ニュージーランド人の夫に「日本だったらねえ、こんなの小学生でも知っているよ」なんて自慢げに言ったりもしていました。

ちなみに、ニュージーランドでも、塾の様なものが存在します。
ただ、特に小学生、中学生のレベルでは、どちらかと言うと学校のカリキュラムについていけない生徒達を助ける、という印象です。

(勿論、高いレベルを目指して学校の時間外にチューターに教わっている子もいました。そういう子達はグループで教えられる「塾」でなく、「個人のチューター」つまり家庭教師をつけている事が多い印象でした。

私の住む地域は田舎だからかもしれませんが、子供が小学校の時から高いレベルを目指すべく家庭教師をつけているような親は、あまりいないようでしたら。)

今から考えると、日本から来た私は「ニュージーランドの教育レベルの低さ」をちょっと馬鹿にしていました。

そんな私でしたが、時間が経つにつれ、考えが少しずつ変わってきました。

うちの夫と話をしたり、彼が自分の息子と話しているのを聞いた時、
(彼は何でも知っているなあ)と思う事がよくあったのが、まず最初のきっかけです。

うちの夫は大学に行き、いくつかの異なった分野のプロとして働きましたが、子供の頃は勉強に興味があったとか、成績が良かった訳でなく、どちらかというと「落ちこぼれ的な」子供だったそうです。

まあ普通の大学へ行き(ニュージーランドは8つしか大学はなく、全て公立)、その後いくつかの分野でプロとして働きました。(医師や弁護士ではありません。笑)

そんな彼と、歴史や政治、科学や一般常識の話をしていると、彼は何でもそれなりに説明したり、コメントできるんですよ。

それに比べて、自分は、高校生までの時期にあんなに一生懸命覚えた色々な事を、現在は殆ど覚えていないのに気づきます。

ゴロで覚えた年号とかはまだ覚えているけれど、例えばこの戦争はどうして起こったのかとか、説明できない!
公式は覚えているのだけれど、どうやって使うのか覚えていない!

大学受験の前は、全て頭に入っていたのに…..

私の娘(ニュージーランド)での学校の勉強

では、私の娘のニュージーランドにおける学生生活はというと、
中学校くらいまでは、学校の後に時々習い事があり(歌とかダンスとか)、それに行く。
習い事が無い日は、家でだらだら。

宿題もほとんどなし。(私立の学校とかは、違うと思いますが)
教科書がなくて、予習や復習というのもやり難い。

こんな調子だったので、高校では、私は心配で娘を塾に通わせましたが、塾のない日は家でだらだら。
ダンスだけは好きで、高2までレッスンに通い、高3になっても頼まれてコンペだけ出たりしていました。

学校の科目は、必修の学科(数学とか科学系の学科や英語など)の中から進路の方向に合わせた学科と、それ以外の学科を含めて、高校卒業に必要な単位が十分取れる様に自分で選びます。
(この辺りのシステムも、また後日記事を書いて紹介しようと思います。)

理科系に行きたい娘は、高校最後の年である今年は、数学や科学系の中からいくつか選び、最後にもう一つ何かの科目を選ばないといけない時に、「Textile and fashion technology(TFT)を取りたい」と言ってきました。

TFTでは主に服飾のデザイン、布の染色、ミシンやオーバーロッカーの使い方など、テキスタイルに関したいろいろな技法を習い、自分のプロジェクトを完成させます。

私は、いわゆる勉強系の科目をとって欲しくて

「心理学とかはどう?将来役に立つんじゃない? それか、もう少し数学系や科学系の科目を取ったら?

TFTなんてファッションデザイナーとかになるんじゃなかったら、将来の役に立たないでしょう。」

とアドバイス。

しかし、彼女曰く「楽しみにできる様な科目がないと、一年やっていけないよ」との事。

(学校に行くのを「楽しみにできる学科を取る」という選択肢があるのか⁉️) と
驚きを覚えました。

Tiger motherになるのをやめる選択をした私だったので、疑心暗鬼ながらも、結局は娘がTFTを選択する事に同意しました。
(Tiger mother についてはこちらの記事をご覧下さい。
https://note.com/nodanori/n/n75ae603c5f82)

学年末の現在、TFT以外の科目は、塾のおかげか、ニュージーランドの高校で求められるレベルが日本とかなり違うのか、うちでだらだらとしていたのに (いやいや、彼女曰く、ベッドで横になりながらちゃんと勉強していたらしい。笑)、それなりの成績。

(決して「凄く良い」成績ではないですが、ギリギリという程低いレベルではない。)

必要な単位は取れた様で、大学進学が決まり、今のところforensic science 法科学の道を目指しています。

私が(無意味な科目じゃないの?)と思っていたTFT に関しては、娘の作った衣装がニュージーランドの学生のマイナーなコンペで1位をとったり、別の衣装がローカルなファッションショーのある部門で1位になったり、学年ではTFTで1番の成績を取ったため、トロフィーをもらったりとか。

今から思うと、TFTを選択したからこそ、この様な楽しい経験ができ彼女の世界が広がったんじゃないかな、と思います。

私と彼女の関係にもプラスになりました。

私は趣味でモノを手作りするのが好きなので、娘がダイニングルームで課題に取り組んでいる時は、私も横で自分のプロジェクトに取り組み、お互いに作品を見せ合ったり、アドバイスを求めたり、励ましあったり。

これがもし、彼女が楽しいと思えない学科の勉強ばかりの一年だったら、こんな母娘の楽しい時間も経験できませんでした。

娘の友達で勉強が良くできる子達も、学校が休みの時期は遊んだり、バイトしたり、趣味したり。色々と勉強以外の事をしている子が多いです。

最後に


ニュージーランドでも医学部に進むには、やはり高校の時点でそれなりの学校の成績が必要です。
(学校内で作られるテスト(internal)と全国統一のテスト(external)の結果が参照されます。)

ただ、最終的に医者になるための課程に進めるかどうかは、大学に進学してから一年後に決まるので、日本みたいに各大学が用意するマニアックな試験問題を解ける様に訓練する必要はないのです。

プロになるため(例えば医者になるため)に大学で学ぶことのレベルが、日本に比べニュージーランドが低い訳ではありません。

(ちなみに娘が進むオークランド大学は、全世界のランキングで130番くらい。日本の大学でそれよりも上のランキングにあるのは、東大と京大だけのようです。)

つまり、日本でこんなに子供時代を医学部に入るための受験勉強に費やしてきても、医者になってしまえば、日本の医者がニュージーランドの医者よりも優れている訳でもない。

むしろ日本では、人間性を培ったり、勉強と部活以外の経験をする機会はあまり与えられずに、他人よりも勝る事に重きを置いている。
だからこそ、職業や出身学校などで人を差別する、ちょっと偏った大人になりがち。

この日本の受験のシステムは、社会の構造とか文化など色々な要素と関係しているので、勿論「はい、変えましょう」といって変えられるものではありません。
解決策を述べる事が今回の記事の趣旨ではないので、「どんな解決策があるか」についての考察は、また後日書いてみたいと思います。

とにかく私が今回書きたかったのは

日本の、偏差値を良くするため、又入試に受かるための勉強のために、どれだけ日本の若い人たちの貴重な時間が無駄に過ごされているか、という事です。
(勿論、全てが無駄だったわけではありませんよ。)

若い人達には、頭も柔軟なその時期にもっと学んで欲しいことがあります。

「良い学校に入る」ためでなく、人生を豊かにするために、学んで欲しい。
その様な学びが、結局学生を終えた後でも、私たちが学び続けていく基盤になると思うのです。


「親も育つ子育て」を広めるために、私の持っている知識、経験、資料をできるだけ無料で皆さんに届けたいと思っています。金銭的サポートが可能な方で、私の活動を応援していただける方は、サポートをしていただけると嬉しいです。