新宿駅西口広場、またはモダニズムの夢の名残

名画座やケーブルテレビで半世紀ほど前の日本映画を観ていると、ときどき「あっ、新宿映画だ!」と胸の内で声をあげることがあります。〝新宿映画〟とは、文字どおり、新宿で撮影された映画のことで、物語の背景という以上に、街中の風景がたしかな存在感をもって、フィルムに定着された作品を指します。もちろんこれは極私的な定義でしかなく、一般性は皆無ですが。

新宿映画の最高峰は、なんといっても『セーラー服と機関銃』(相米慎二監督、薬師丸ひろ子主演、1981年公開)で、この快作については、そのうち触れる機会もあるでしょう。今回、ご紹介したいのは、おなじく新宿映画史に燦然と輝く『新宿泥棒日記』(大島渚監督、横尾忠則主演、1969年公開)です。この強度に満ち満ちた傑作には、新宿駅西口広場を特徴づける中央開口ランプウェイ、あの8の字のかたちをした優美な立体道路を、登場人物たちが走りまわるシーンがあるのです。

監督は大島渚。松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手として頭角を現し、1961年に松竹を退社したあとは、自身の製作会社・創造社を拠点に多彩な作品を世に送り出します。『新宿泥棒日記』もそのうちのひとつです。

個人的な好みからすると、大島監督の映画は苦手な部類に属するのですが、『新宿泥棒日記』にかぎっては、都市の様相がいきいきと映し出され、60年代の時代精神がギラギラと乱反射しているせいでしょう、いやおうなく画面にひきこまれます。熱気と倦怠、詩情と俗情が綯い交ぜになったショットが連続し、気がつくと目の前に魔術的新宿が現出している。映像としての達成度は他に類がありません。

劇映画といえば劇映画ですし、ドキュメンタリーといえばドキュメンタリーでもある。その場その場の即興的な撮影や、周囲の状況に応じて自在に変化する演出は、虚々実々の街である新宿にふさわしいものだったにちがいありません。横尾忠則はあくまでも狂言回しにすぎず、真の主役は現実と虚構が渾然一体となった新宿という街そのものであるといいたくなる仕上がりです。

と、ここまで記してきたところで、横尾さんのインタビューに目を通したら、なんと主役を演じた人物が同じようなことを語っている。わたくしの見立ては間違っていなかった!

「役者に素人を起用して、台本もろくになく、ハプニング的な要素を取り入れてドキュメンタリーとフィクションを一体化する。それが大島渚の方法でしたね。それで映画の話を聞くうちに、僕が主役ということにはなっているけれど、本当の主役は新宿だなと思ったんですよ。新宿という都市を主役だと思ったら自分も気が楽じゃないですか。実際できあがった作品をみると、新宿でなければ成り立たない映画でした」(横尾忠則インタビュー「失われた新宿——新たな文化の創造に向けて」、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館『あゝ新宿——スペクタクルとしての都市』展図録、2016年)

映画監督の大島渚が騒乱の新宿を表現したとすれば、建築家の坂倉準三は統制の新宿を構想しました。

坂倉は日本のモダニズム建築を牽引した建築家です。生まれたのは1901年ですから、その歩みは20世紀の歴史と重なる部分が多々あるでしょう。1929年、坂倉はフランスへ渡り、ル・コルビュジエに師事します。最晩年に手がけたのが新宿西口広場の設計監理。亡くなったのは1969年。奇しくも『新宿泥棒日記』の公開と同じ年でした。

新宿西口広場は、1960年代に本格化する新宿副都心計画の一環としてプランニングされたもので、そこには当然のように都市の未来図も重ねられていました。いま、わたくしたちが目にしている場所は、かつて夢みられた未来でもあるのです。

この空間が強い印象を与える理由として、地下から地上へ吹き抜ける開口部の存在が挙げられます。地下のロータリーと地上への走行路が織りなす曲面の流れは、機能的かつ幾何学的に構成されているからこそ美しい。松隈章はこう評しました。〝ル・コルビュジエのもとで「輝く都市」を直接学んだ坂倉にとって、動線は建築づくりの中心であり都市へと発展していく概念だった〟と。

混沌を象徴する『新宿泥棒日記』の中に、秩序を象徴する新宿駅西口広場が登場し、混沌と秩序の二項対立をいともたやすく無効化するのが、コンクリートのスロープを勢いよく駆け抜けていく(『いだてん』!)横尾忠則である——そう考えると、中央開口ランプウェイの8の字は、裏表の区別がつかないメビウスの帯のようにも見えてきます。

坂倉準三がデザインした空間は都市の流動性を整序しようという試みでしたが、かといって内側に閉じこもることなどはなから考えず、大胆なくらい外側へ開かれた構造を採用した。あの疾走シーンが映画的な興趣をもちえたのは、映画のダイナミズムと建築のダイナミズムが見事に重なりあったからである、と読み解くことも可能でしょう。

せっかくですから、おしまいに新宿駅西口広場の空間的特性を活かした新宿映画の佳作をもうひとつ。『前科・仮釈放』(小澤啓一監督、渡哲也主演、1969年公開)は、『新宿泥棒日記』と同じ年に公開された日活ニューアクションの1本ですが、終盤、京王百貨店の前に設置された巨大な排出口の前でヤクザ同士が殺し合いをするのです。なんとなく足を運んだ名画座でかかっていたという、ただそれだけのフィルムで、内容も典型的なプログラムピクチュアでしたが、しかしこの場面があまりにもクールで、それゆえ忘れがたい1本となりました。

念のため言い添えておくと、『前科・仮釈放』に出てきた排出口は、いまも残っています。60年代にはピカピカだったであろう構造物は、すっかり植物に覆われ、そのぶん『天空の城ラピュタ』のように打ち捨てられた風情を醸し出しています。ただし坂倉準三のモダニズムは王道中の王道、なにしろル・コルビュジエ仕込みですから、のびやかな造形美はけっして色褪せることはありません。京王百貨店で買物をする際は、モダニズムの夢の名残にも、どうぞ目を向けてみてください。


◎新宿駅西口広場:1964年(昭和39年)着工、1966年(昭和41年)完成。全体の設計監理を担当したのは坂倉準三建築研究所。西口広場の開発は、当時、東京都が進めていた新宿副都心計画を支える一大プロジェクトでした。歩行者用通路の共有が可能になったおかげで、国鉄(当時)、小田急、京王、地下鉄、バスなどの相互乗り入れと乗客の移動がスムースに運ぶようになりました。

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