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地団駄を踏んでゆけ

時間に追われるなと言われても毎日時間に追われている気がする。それなのに今までと違うのは追われる中で充実度が増しているからなのかもしれない。

私は毎朝、五時〜六時には起きる。基本は五時に起きて化粧やヘアセットを済ませ、お弁当を作り、朝ごはんを作り、朝ごはんを食べて、好きなゲームのログインをして本を読みYouTubeの動画を見て、最後に仏壇へ線香を上げてから家を出る。好きなこと、やりたいことをなるべく朝に回す。

仕事に行く道中、思う事は好きな音楽と共に次の休みは何をしようか、帰宅したら走ろうかスピンバイクを漕ぐか、トレーニングはどこの部位を鍛えようか、働きに行く憂鬱より働いて帰宅したあとのことばかり考えている。

勤める会社は残業も多いが辞めたいという気持ちに不思議とならない。昔の私ならきっともう何もかも嫌だ、と言って投げ出し新しく好きなことを始めていたように思う。

社会に出て、転々と色んな会社で働き培った能力に思考の転換、発想の逆転、先を見る、という考え方が身についた。これは私にとってかなり大きな進歩でこのマインドを持てるようになったことが転職を繰り返してきた中で一番大きな収穫だったのではないかと思う。

毎朝時間に追われて、会社でも時間に追われているけれど今ではなく先の先を見越して物事を捉え動けるようになったことからいくら残業になろうが、いくら今の問題が山積みでも不思議といっぱいいっぱいになってパンクしたり慌てることも激減した。

今働く会社の部長は私が身近で最も尊敬している人だ。入社した時にこの人の話す言葉には圧とは違う人を突き動かす力があると感じた。

たまたま近くにあった山積みのダンボールを指さして部長が言った言葉がとても印象的だった。

「ダンボールが何個あるか見てこいと言われてただ言われた通り指示された物だけ見てくるやつと、ダンボールを見てどんな柄か、何が書いてあったか、どこに送るものなのか、何個あってどこに置いてあったか見てくるやつがいる。言われた通りに動けるのは前者だけど仕事において人と差がつくのは圧倒的に後者だ。物事というのは見るだけではなく全体をどのように見るか。そこからどんな予想がつくか、視点を変えたりこんな場合はどうなるか、物事の正確な位置や意味、場所の把握をすること。考えながら見ることが見るの本当の意味だ。」と言われた。

痺れるほどかっこいいと思った。ダンボールがどうのこうの、なんてどうでもよく、狙った訳でもないのに簡単にサラリと大切なことに気付かせてくれるその言葉の力に痺れたのだ。今勤める会社では発想の逆転や思考の転換が毎日試される。判断ひとつ取り違えるだけでその日の仕事の流れが大幅に変わるのだ。責任もやり甲斐も大いにある代わりに失敗した時の凹みもとても大きい。入社した時に言われたもう一つの言葉。それはミスを恐れるな、ということだった。一度間違えれば次は必ず気をつけるようになる。間違えないやつには仕事の成長はない、と

私がこの会社でなんだかんだ充実しているのは働き方への意識や考え方が常に転換と逆転をしてる人ばかりで新たな発見やひらめきが多いからなのかもしれない。郷に従いながらどれだけ自分が楽しめるか、どれだけ周りを働きやすく動かせるか、どれだけその郷で自分の力を試し発揮できるのか、成長のチャンスしかない。


見る、を鍛えることで、見方が変わるだけで、信じられないほど仕事がしやすくなる。安心感が生まれる。心に余裕が出来ていくらか働きやすくなる。最近はずっと、転職をしてきて良かった。と思うことばかりでそれは培った能力がどこに行っても無駄にならずきちんと発揮されることで、その度にあの時の苦渋の決断は間違っていなかったのだと、自分の背中を押してくれる自信になっているのだ。

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