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恋愛映画で泣けないアラフォー主婦が二十年ぶりに「セカチュー」見たら、「恋愛」とか「結婚」とか「人生」について語りたくなってしまった……



1.  恋とはどういうものかしら?

コロナ禍が落ち着いてからというもの、友人と会う機会があれば酒を飲んでいることが多い。
中でも京都タワーの地下は特にお気に入り。
フードコートなのでお酒を飲まない人と会う時でも気兼ねなく呑めるし(笑)、各々好きな料理を選べていい。


今年の正月休みも、真っ昼間から京都タワーで飲んだくれていた。
幼い子供二人を夫に任せた私は、婚活中の友人Aちゃんと会っていたのだ。

タイとベトナム料理が楽しめるお店で、おつまみ盛り合わせとアジアのビール3種飲み比べセットを頼んだ私たちは、コートを着たまま小瓶片手にすぐ乾杯。

酔っ払うと私は、漫画、ドラマ、映画、劇……などフィクションの話ばかりしてしまうので、会って早々、現実の話をすることにした。
「婚活、どう?」と。
するとパッタイをもぐもぐしたAちゃんから「いや〜〜、しんどい。初対面の人に、まず『好き』ってならん……『好き』でもない、あんま知らん人と会うのが、めんどい。そもそも、『好き』ってなったことないかもしれへん」という答えが返ってきた。

青いラベルに虎が印刷されたタイガービールの瓶に直接口をつけながら、私は思った。

そういえば私も——
『顔が良い』と『優しくしてくれた』以外で、誰かを好きになったことないような……

「旦那は大事やけど、出会い『結婚相談所』やったしなぁ……純愛映画みたいな『好き』、私も経験ゼロやわ(笑)。『セカチュー』みたいなヤツ!?」
『セカチュー』というワードに「懐かしいなぁ、映画めっちゃ流行ってたなぁ、高校生? いや大学生の時やっけ?」と笑ったAちゃんに「『セカチュー』、好きやった?」と尋ねると……

「いや……すごい流行ってたけど、実は……あんまり」と、感動巨編を否定する?後ろめたさからか、Aちゃんがモゴモゴしだしたので「実は私も……良さが全然わからへんくて……原作も読んだと思うけど、泣けへん自分が冷たいんかな、って自分にガッカリした記憶が……」と被せた。

ここで一応『セカチュー』について。

通称「セカチュー」こと『世界の中心で、愛をさけぶ』は、片山恭一の青春恋愛小説。2001年4月に刊行。2004年以降、漫画化・映画化・テレビドラマ化・ラジオドラマ化・舞台化されている。
(参考:Wikipedia)

ここでは、映画版の登場人物と簡単なあらすじを紹介。

主な登場人物
◎少年時代(1986年)
・朔太郎(四国に住む普通の少年、森山未來)
・亜紀(朔太郎の同級生で病死した朔太郎の恋人、長澤まさみ)
◎青年時代(2000年?)
・朔太郎(東京で契約社員で働いている?、大沢たかお)
・律子(大人になった朔太郎の婚約者、柴咲コウ)

あらすじ
1986年、あの夏…。最も輝いていた高校時代に突然訪れた最愛の恋人の死。そして今、初恋の女性を失ったことで“喪失感”を抱えながら生きる青年と、そんな彼を愛した婚約者。この二人の愛は未来を紡ぐことができるのか…。
(下記リンクより引用)


という映画なのだが……
感想の方向性が一致したことに安堵した私たちは、あやふやな記憶で『セカチュー』に対して議論を重ねた——。

A「『泣かせよう、泣かせよう』としてくるところが、しんどかったんかな?」
私「うん、あの頃……もう二十年前くらい? 闘病の末、恋人が死ぬ物語が流行ってたし。『泣かされ疲れ』してたんかも」
A「『神様、もう少しだけ』とか『恋空』とか……純愛、流行ってたなぁ……そいえば『セカチュー』もドラマ化されてたような……」
私「なんか……エアーズロック、あ、今ってウルルか。そこで主人公が泣き叫んでて、なんか……絶妙のタイミングで『Your love forever〜♪』って、平井堅が歌いだす記憶が……それって、映画、ドラマ?」
A「え、映画は見た気がするけど……そんなシーンあったっけな……アレは、空港で『助けてください!』って泣き叫ぶ森山未來を見るだけの映画やという記憶が……」
……

という調子で、お互いほぼ覚えてなくて埒が開かない。
気づいたら、当時二人とも好きだった岩井俊二映画の話(またもや二十年ほど前の話)で盛り上がり、結局Aちゃんの婚活についてほぼ謎のまま、その日はご機嫌で解散してしまった。

私たちがまだ若者だった頃は……
『セカチュー』が大ヒットしていた2000年代初頭は……
「『恋』や『仕事』に『夢中』な人が、多かったよなぁ」なんて思いながら——

2.  二十年分の「恋愛」「結婚」「人生」に対する思いが止まらない

それから、上の子の小学校入学準備などが忙しくて忘れていたのだけれど。
ふと、それなりに恋愛もして、結婚した今。
『セカチュー』見たら泣けるかも?と、思った私は……
家族不在の平日昼間に、Amazonプライムで『セカチュー』を鑑賞することにした——

ラスト——
青年になった朔太郎は、早逝した亜紀の願いを叶える為に、婚約者の律子とオーストラリアのウルルに向かう。
ウルルに辿り着き赤茶けた大地に立った二人は、広い空に、亜紀の遺骨を放つ。
すると風に舞った白い粉は、魔法のように消えていった。
そうしてエンドロールと共に平井堅の『瞳を閉じて』が流れ出した頃……
私の頬を、ポロリと涙が伝っていた。

え!? 初めて、恋愛映画で泣けた……!?
いや、これはメインディシュの青春時代の恋愛パートに涙したわけではないから……「愛」に泣けただけで……「恋」に泣いたわけではないのかもしれないけど……

人は、いつか必ず死ぬ。
どれだけ別れたくない人がいても、死によって必ず別れがくる。
二十年前に『セカチュー』見た時はピンとこなかったけど……
そんな当たり前のことに、やっとアラフォーで気づけた……
成長したぞ!やったー!

しかし……

それなりに恋愛をしてきたつもりやったけど、全部ドブに捨てたいもの(略して「ドブ恋」)ばかりで、肝心の青春恋愛パートは「こんな恋もあるんやな……」と、人ごと感が凄くて感情移入ゼロ。
二十年前の私も同じように、「こんな恋してるん、リア充だけやろ……」と、眩しさに顔を歪めただけだった。
ヤンキーとギャルが全盛期だった頃に「エヴァンゲリオンが好きな事だけは、絶対バレちゃダメだ、バレちゃダメだ……」と息を殺すように青春時代を過ごしていた人間が、キラキラ青春恋愛映画に感情移入できるわけがない(笑)

当時は、恋愛こそが『一世一代のイベント』という空気感が凄かったので、
「異性にモテる」=「性的魅力が高い人」=「人間的に価値がある」という、謎の数式が私の中に深く刻まれていたし「恋愛ドラマの良さがよくわからない」=「恋の仕方がよくわからない」=「自分には価値がない」という数式を想起させる、恋愛映画やドラマが苦手やったんやなって、今更、ハッとする。

2000年代初頭は「ブス・デブ・メガネに人権無し」って空気が、まだまだあって……
人より、オシャレや異性に興味を持つ時期=思春期が遅かった私は……
あの頃、ちょっと生き辛かったんやな……(当時の眼鏡女子な私を、抱きしめてあげたい)

しかし一方で「がんばったら、好きな人とも両思いになれるし、好きな仕事にもつける!」的な前向きな空気も流れていたので、
大学生になった私は「オシャレして自分磨きしたら、私だって素敵な恋ができるはず!」と大志を抱き、ファッションやメイクを勉強した。

それからそれから。
「好きなことを仕事にする!」と張り切って中小広告代理店(超ブラック企業)に就職した。やる気まんまんの、社会人デビューだった。
が……思春期が遅過ぎて、恋愛はちっとも上手くいかなかった……
なんというか「激務」&「地獄のドブ恋サイクル」をくり返していただけで……(以下、詳細)

1.『顔が良い』顔面偏差値高め男子に夢中になる。
2.まるで相手にされなかったり、適当な扱いを受ける。
3.心がボロボロになる。
4.忘れる為に仕事に打ち込んだり、酒を飲みすぎたりする。
5.今度はカラダがボロボロになる。(身も心も弱る)
6.弱ってるので、『優しくしてくれた』顔面偏差値普通もしくはあんまりな男子を、簡単に好きになる。
7.両思いになることで自信が戻り、元気になる。
8.元気になると、『優しくしてくれた』顔面偏差値普通もしくはあんまりな男子に興味をなくす。
再び「1.『顔が良い』顔面偏差値高め男子に夢中になる」へ戻る……

恋なんて、顔面偏差値と顔面偏差値のシーソーゲームといったところだろうか……
「無償の愛」とは程遠く、自らの欲望しかない……

そして気づく。
『顔が良い人が好き』=『この人の遺伝子が欲しい』という、式に。
すなわち、私の『恋』は『性的衝動』に過ぎなかった。

優しくしてくれた人の『愛』に気づけたら、素敵な『恋愛』になったかもしれないけれど……

こうして「地獄のドブ恋サイクル」を繰り返しながら転職したりしているうちに、社会人になって十年、あっという間だった。

二十代という華々しい時代を「ドブ恋」で溶かしてきた私は……
「恋」を「愛」にできた成功体験の無い女は……
恋をした人と、生活を一緒にしたいと思える人が、まるで一致しない女は……

「結婚」のために「恋愛」を捨てる決意をする。

身近な異性(社内)や、コンパでお相手を探すことを諦め、結婚相談所に登録したのです。

そうして、今の夫と結婚してはや十年近く。
子供も二人できて、それなりに仲良くやってる。

出会った瞬間から結婚を目的にしているので、
現夫とは「子供は欲しいですか?」「タバコは吸いませんか?」など、お互いの条件をガチガチにすり合わせてから結婚した。
恋愛結婚の動機が「理由はわからないけど、大好き! 一生一緒にいたい!」という「激しい情熱や感情」だとしたら、私の場合は「お互いの条件の合意」により「この人だったら、穏やかに暮らせそう」と「理屈で納得した」というところだろうか。

だから「好き」を、結婚に繋げる方法が、
まるでわからないし、なんのHow Toもない(笑)

冒頭の話に戻るが、婚活中のAちゃんが言っていた「初対面の人を『好き』にならなくて、婚活がしんどい」という悩みに対して、「何の解も持ち合わせていないし、なんの役にも立たない」ということだけが、『セカチュー』を二十年ぶりに見直してわかったことだった(笑)

しかし——
恋愛結婚のことはわからないけど、
そもそも、何で「結婚したい」と思ったんやっけ?っと、今度はそっちを掘り下げてみることにした。

私がドブ恋を繰り返していた、2000年代初頭から2010年代初頭。
ブラック企業という言葉を初めて知って、リーマンショックで景気の恐ろしさを知って、東日本大震災で『絆』という言葉が再注目され始めたあの頃。
世の中ギリギリ「恋も仕事も、努力したらもっとよくなる。だから、恋も仕事もあきらめない!」的な空気が、まだあった。

そんな二十代だった頃、私は三十代から四十代のお姉さんたち(自分から見て、一回り上くらい)を、これからの人生のお手本にしようとよく観察していた。
「好きな人と恋をして、やりたいことを仕事にする!」ムーブメント真っ盛り期に、二十代だった人たちを、だ。

素敵な人もたくさんいた。
今も仲良くしている人たちもいる。

しかし、中には「恋も仕事も頑張り過ぎて」、不倫をする人たちがいて……
酔っ払った彼女たちは、仕事の愚痴が止まらなかったり、恋愛遍歴自慢がやたら多かったり、酔いに任せたバレバレ行動により不倫が周囲にバレたりで、仕事を頑張っていても、周囲からは「イタイな」って目で見られて散々な感じ。
その様子を見ている内に「十年後とか、私もあんな風になるんやろか?」という考えがよぎった瞬間、マジでヒヤッとしたのだ。

不倫はしてないけど、ドブみたいな恋愛ばっかして……
失恋しては、仕事か酒に逃げて。
残業続きで、ストレスばっか溜めて。
このままではいつか、社内で愚痴を聞いてくれる既婚者に甘えるようになって……
私も不倫とかしてしまうんちゃうかって。

なんか……「恋」も「仕事」も、夢も希望もないな。

って、思ったのが「婚活」の動機の一つだった。

結局、「あんな風に、なりたい」というキラキラした前向きな動機より
「あんな風には、絶対になりたくない」という切羽詰まった後ろ向きな動機でやっと動く。

私は、そういう人間なのだ。

そして「恋」や「仕事」に夢を見出せなくなった当時の私は、「結婚」や「出産」に夢や希望を見出して、すがったのだった——

やけど今、令和になって。
Z世代と呼ばれる、私たちアラフォー世代から見て一回りほど下の人たちは「結婚」も「出産」もいらない人が増えているらしい。

理由は色々あるやろうけど、私が一回り上のお姉さんたちを見て「恋と仕事に突っ走り過ぎたら、あんな風になるんや。ああは、なりたくない」と思ったように、同じようなことをZ世代と呼ばれる若い方々が、私たち世代を見て思っていたら……

保活とか、ポイ活とか、百均の話とか、夫と子供の愚痴とか……
とりあえず生活に疲れ果てている話ばかりしてるアラフォー世代の女性を見て
「仕事も結婚も子供も手に入れた人たちの荒れっぷり、ヤバくてヒクわ〜〜。『子育て罰』とか言っているし。ああは、絶対になりたくない」って、思われていたら……
挽回したいなって思った(笑)

一個人ができることとしては、『幸せそうなオバさん』を目指していこうと。

私が年上のお姉さんたちを見て「恋」や「仕事」に絶望してしまった時みたいに、今の若い人たちは「結婚」や「出産」に絶望して……
「趣味」や「友達」に、希望を見出しているのかもしれないけれど。

どれかを選んだら、どれかを捨てるのではなく。
「恋」も「仕事」も「結婚」も「出産」も「趣味」も「友達」も。
なるべく全部、諦めないで生きていけたら。
あと、生活っていうか現実の話ばかりではなくて、ほんの少しだけ「夢」を見る時間がもてたら……

『幸せそうなオバさん』に、一歩近づく気がした。

これまでの半生、「恋」は上手くいかなかったし、「仕事」も「出産」と同時にやめた。
子育てに時間の大半を費やしているので、「趣味」や「友達」と会う時間も独身の頃に比べたら減っている。

やけど、今を悲観するんと違って「この先ずっと同じ状況は続かない」「子育てに時間の大半を費やすのも、あと十年くらい。人生百年時代のほんの十年
」と、できるだけ楽観して生きていくように心がけたいなって。
今は、「仕事」を諦めてるけど、子供達に手がかからんくなったらまた働けるやろうし、趣味や友達との時間も、もっと作れるようになる、と。
(共働きという選択肢以外にも、夫婦間で、十年ごとくらいに『ライフ』と『ワーク』の交代が簡単にできる世の中になったらいいなって、個人的には願う)

あと、最近また、友達とお酒を飲む時間を持つようにしたら、人生がすごく楽しくなってきた。それと同じように、今の生活の中に『夢』を見る時間を足せば、ええんとちゃうかな?って、思ってる。

「恋」や「仕事」に『夢』を見て、「生活」を蝕まれている人を二十代で見てきて、「『夢』は『酒』と同じ。溺れたらエラいめにあう。甘い毒や」と、断とうとしてたけど。
それが行きすぎて、最近の私は「生活」ばっかりやったな〜〜って、思った。
お酒をいっぱい飲み過ぎひんように気をつけるんと一緒で、夢もデカすぎるヤツやなくて、ちょっと頑張ったら、実現できそうなものを思い浮かべる分には、ええやんって。

そやけど令和に生きてると、ぼんやり『夢』を見る時間すら、スマホに奪われている気がする。

スマホが普及するようになって、十年余り。
めちゃくちゃ情報を目にする時代になった。

朝起きてまずSNSを開いたら、実際には見たことのない人の『愚痴』や『自慢』で溢れてて、ウケてるツイートをぼんやり眺めているうちに、ついつい『やりたいこと』=『見たこともない誰かに、素敵って思って「いいね」をたくさんもらえること』になってる気がして怖い。

それは自分の『夢』とは、全然違う。

次にSNSを閉じてネットニュースを開けると「お得にポイントを貯める方法」や「百均グッズだけ使った整理整頓術」などのライフハックや「あなたのエコバック、洗ってますか?」などの注意喚起が、続々と目に入る。

なんとなく下にスクロールしているだけやのに、色んな人に「やった方がいいよ」「気をつけた方がいいよ」ってアドバイスされてるような気持ちになって、それが次第に「やらなければいけない」に変わっている。
ほとんど、やってもやらんくてもどっちでもいいことばっかやのに……

だから、スマホを閉じて。(『セカチュー』の主題歌、平井堅の『瞳を閉じて』ならぬスマホ中毒な私たちへ)
『本当の自分の気持ち』『本当にやりたいこと』『心の底から楽しい』と思えることについて、ゆっくり考える時間を作るように、最近私は意識して過ごしている。(その一つが、文字を書くこと)
すると、今頑張ったら叶えられそうな『夢』や、子育てが落ち着いた時に実現したい『夢』が、ぽっかり心に浮かんでくる。
スマホをスクロールしてる時間より、楽しい。

例えばそれは、「子育てが落ち着いたら、お金を貯めて夫とイギリスに行ってみたい(二人とも、シャーロック・ホームズが好きだから)」とか「自分の書いた文章を本という形にして、ページをめくってみたい(趣味で、同人活動をしているので)」とか……
ささやかなものやけど。

現実がしんどいな、疲れたなという時に、『夢』を思い浮かべると、ふっと心が軽くなる。

二十年ぶりに見た『セカチュー』は……
そんな、ふと『夢』を思い浮かべる時間と似た、ゆったりとした空気が流れていた。

生まれ育った瀬戸内の島から、ほぼ出たことが無い主人公の朔太郎とヒロインの亜紀。
「まだ見ぬ場所」や「知らないこと」だらけの二人が、「行ったことのないオーストラリア・ウルル」に憧れを熟成させて、思いを馳せる空気が——だ。

情報化が劇的に進み便利になったこの二十年の間に失われたものの一つに、「憧憬」があると思う。
余白を感じることが少なくなった令和が、ちょっぴり切なく感じた。

3.  愛とはどういうものかしら?

しかし、映画の余韻も束の間。
散々『夢』とか『憧憬』とか言ってしんみりしていた私は、二、三日もしたら「今日の洗濯指数」とか「子供のプールがある日の確認」など、現実に追われるようになった——

そんな中。
あれ、梅雨が始まったのかな? 
てな感じの、ジメジメした2024年の6月某日——

土曜日の真っ昼間から、私はまた京都タワーで飲んだくれていた。
幼い子供二人を夫に任せて、今度は「結婚はしない」と決めている友人Bちゃんと会っていた。

正月にAちゃんと行ったお店が良くて、再びBちゃんとトライしようと思ったら、なんとお店が閉店していた。
この前は、めちゃくちゃ寒かったから、暑い日に薄め?のビールが飲みたかったのに……残念。

別のお店で、クラフトビール三種飲み比べ&おつまみ三種セットを注文した私たちは、小さいグラスでまず乾杯。

すると「久しぶり〜!」と盛り上がる私たちに、少し年上らしいお姉さん二人組が「コレ、どこで頼まれたんですか?」と、ビールとおつまみセットを指して尋ねてこられた。
「すごく、美味しそうだったから」「私たちも、飲みたくなって」と、はしゃぐお姉さんたちを見ていたら、なんだか私は嬉しくなった。
たぶんBちゃんも、同じような気持ちやったと思う。
「ここの角を曲がって、あ! この道から行った方が近いですよ」とか「他に、このメニューも美味しそうでしたよ」と、聞かれてもいないことをいっぱい喋ってたし。

やっぱり幾つになっても、気のおけない友達とお酒飲む時間って最高。
楽しそうなお姉さんたちが、私たちに改めて教えてくれた。

「そういえば、最近『セカチュー』を、めっちゃ久しぶりに見たんやけど……」と、私はビール片手に告げてみた。
すると、通勤電車で浅田次郎の「蒼穹の昴」と、アガサ・クリスティーの「ナイル殺人事件」を交互に読むのが忙しいらしいBちゃんは「見たことない(笑)」と、めっちゃどうでも良さそうな感じだった。

ちなみに本格ミステリー好きの夫にも「『セカチュー』って、流行ってたやん? 好きやった?」って聞いたところ「え……理解不能だった」という答えが返ってきた。

類は友を呼ぶようで、私の周りは「純愛? それで腹が膨れるのか?」みたいな人間が多い。

やけどその日も、Bちゃんと最近読んだ小説の話とか、観に行きたい劇の話とかいっぱいして——すごく楽しかった。

私が『セカチュー』で泣いたのは——
ラストシーンで描かれた『命を失った肉体は大地に還り、形を変えて自然の中で生き続ける』という、アボリジニの人々のアニミズム的死生観に胸を打たれたからだ。

人はいつか必ず死ぬけれど、自然の中で生き続けると思えたら、生きることも死ぬことも、少しだけ気楽に考えられる。
やおよろずの神様があちこちにいる日本で四十年近く生まれ育った人間の心に、この死生観はすっと馴染んでくれた。

死んだら、お別れすることになるのがつらい。
そう思える、家族がいて友達がいて……私は今、とても幸せだ、ということに気がつけたことが幸せだった。

結婚して、子供がいる私。
結婚しないし、子供もいらないBちゃん。

一瞬、全然違う世界線の住人になったような気がして寂しくなっていた時もあったけど。
人生百年時代。
あと十年もしたら、私とBちゃんの世界線はまた似たようなものになるだろう。

どっちかが死ぬまでにあと何回、Bちゃんとお酒飲めるかな?

「恋」のことはよくわからないままアラフォーになって、これからもあんまよくわからないまま生きていきそうな私だけれど。
「愛」のことは、少しだけわかるようになってきたのかも。

性的魅力=自分の価値だと思い込んで、恋がうまくいかなくて落ち込みがちだった昔の私に言ってあげたい。

恋がわからなくて下手くそでも、
アラフォーの私、結婚して子供ができて友達もいて……めっちゃ楽しく生きてるよって。
あと、人生の前半は「顔面偏差値」と「学歴」がアドバンテージかもしれんけど、人生の後半は「体力」と「友達」が大事なんだぜってな(笑)

私の人生、悪くないな。
いや、むしろ……
今のところ、めっちゃいい人生だな……って思えて幸せだったっていう話でした。

おわり

※目次の「恋とはどういうものかしら?」は、大好きな岡崎京子漫画のタイトルからお借りしました。

最後に……
趣味の同人活動の愚痴日記も、noteで書いてます(宣伝)


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このみ のこ
ありがたく、角ハイボール(濃いめ)に溶かします。

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