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短編|『季節はめぐり、僕らはどこかでまた出会う』 第5話(全6話)

エピソード5 「新月」


 ベットに横たわっていた僕は目を覚まし、ベット脇の椅子に座っている高橋深雪たかはし みゆきの存在に気づく。ずいぶん疲れているのか、僕は顔だけを高橋深雪の方へ向けるが、ほとんど身動きができない。

「こんな風に真人まさとさんとお別れするとは思わなかったな」

 高橋深雪は手元の手帳を見ながら僕に話しかける。

「何を言ってる?僕はまだ別れるつもりなんてないよ」

 ぼくの言葉に、高橋深雪はフフッと微笑む。

「始まりがあれば終わりはあるの。それは、私たちにとっても例外ではないってことね」

 まったくそのとおりだ。頭で分かっているつもりでも、僕は高橋深雪と別れることを認めたくなかった。これまでも多くの人と出会い、そして別れてきたが、高橋深雪と別れなければならないことを想像するだけで、僕は絶望的な気持ちになった。

「ほら、小説と一緒。本を開けば物語が始まり、読み終わって本を閉じれば物語はそこでお終い」

「でも、僕たちの人生は誰かが書いたものじゃない」

「そうかしら?私には、人生だって予め決められたストーリーを追っているだけのようにも思えるけどね」

 深雪らしい解釈だ。この時代には珍しく、高橋深雪は直筆の文字で文章を書く。エッセイ、小説、紀行文など。どんな形式であれ、深雪は自分の言葉、そして文字で文章を作りあげ、独特の世界を構築する。仕事だけではない。深雪は毎日手書きの日記を綴り、またその日の出来事をブログに書き残す。日常の出来事さえも一つの物語のように綴る深雪の文章には熱狂的なファンもいた。

「あなたとの出会いだって、私は偶然だとは思っていない。そして、別れも。それって定められたことなんじゃないかな」

 高橋深雪の言葉を聞いて、僕は悲しまずにはいられない。

「真人さんか話してくれたことや一緒に過ごした時間のこと、いつか物語としてまとめたいと思っているの」

「そうか。君らしいね。可能であれば、ハッピーエンドにしてもらいたい」

「そうね。でも、何が幸せなのか、それが誰にとっての幸せなのか。読む人によって、その判断は分かれると思う」

 高橋深雪はそう言うと、僕の傍らから離れ、南側にあるは大きな掃き出し窓へ向かって歩き出す。カーテンを開け、外を眺める。僕は仰向けになっていた顔を窓の方へ向ける。陽はすでに落ち、街灯が空から舞い降りる雪を白く輝かせる。雪は夜の方が美しく見えるもんなんだな。もちろん、光さえあれば、の話だが。

「まさか、この時代に天然の雪がまた見られるようになるなんてね。今日は新月だったわね。まあ、そもそも雪雲で夜空は見えないけど」

 ここ数十年でこの星の気候は大きく変化した。人類はずいぶんと長い間環境問題に取り組んでいたけど、結局は目の前にある生活の利便性を最優先した。いびつに進化した人類は、生物としての肉体的な存在の破滅よりも、社会的な生き物としての精神的な存在の消失を怖れたということなのかもしれない。

「私が書きたいのは、終わりのない物語なの。満ち欠けを繰り返しても、決して無くならない月のようにね」

 僕には深雪が何を言おうとしているのか理解できなかった。ただただ、窓の外の光る白い粉を眺めていた。しばらくすると、何だかすごく眠くなってきた。

「僕が眠ったら、君は僕から離れていくんだろう?」

「そうなるわね。でも、私が離れるということは、あなたも私から離れるってことと同じ。相対的に考えれば。私たちはそれぞれの道を歩んでいて、たまたま交わっただけ。それを運命と言えばそうなのかもしれないけど、人の道は同じではないからさ。結局はまたそれぞれの目的地へ向かって進むことになる。それだけのこと」

 そうだな。僕たちはそれぞれの道で交わって、少しだけ並走した。そしてまた別々に歩いていくだけなんだ。そうであっても、僕は限られた時間を深雪と一緒に歩めたことを感謝すべきなのかもしれない。感謝か。でも僕が本当に感謝すべき相手って、いったい誰なんだ?

「じゃあ、眠りについたら、僕は君の夢を見ることにするよ」

「夢か。夢の中に私が出てきたら、どちらの世界が夢の中なのか分からなくなるんじゃない?」

「そうだね。そうなったら、僕はもう目覚めなくても良いかもしれない」

 ゆめうつつ。今こうして僕が目で見ている世界だって、夢ではないと言い切ることはできない。目を閉じた先に、本当の現実世界があるかもしれない。夢の世界の創造主が僕自身であるように、この現実世界にもおそらく創造主がいるのだろう。

「目を閉じて現れる世界のほうが、いろんな人に出会えるかもしれないよ。真人さん、あなたが大切にしていたお母さんにだってね」

 そうだ。僕が生きるこの世界から離れて行った人たち。その人たちにもまた会えるかもしれない。でも、今の僕は、目の前にいる高橋深雪と別れたくない。これが偽らざる僕の本心だ。でももう、睡魔に勝てそうもない。

「深雪、僕はもう眠ることにするよ。今までありがとう」

「うん。これまで真人さんが私にしてくれたことに対しても、すごく感謝してる。夢の中で会いましょう。だから、サヨナラではないよ」

「分かった。僕たちは、お互い自分の道を進むだけなんだよな」

「そう。じゃあ、ゆっくり休んでね」

「ああ。おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 そして僕は眠りについた。これで深雪と離れ離れだ。

 でも悲しむことはない。

 僕は別の世界でまた、深雪に出会えることを知っているから。



エピソード6へつづく

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。