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短編|『季節はめぐり、僕らはどこかでまた出会う』 第4話(全6話)

エピソード4 「野生のポルカ」


 妻が亡くなってからずっと一人で暮らしてきた僕には、中村綾乃なかむら あやのとの出会いは救いだった。彼女もまた夫を亡くし、同じような境遇の僕に気持ちを寄せてくれたのかもしれない。
 10月に入ると朝の気温が急激に下がっていった。この間まで30℃を越えていた日中の熱気は秋風に吹き飛ばされてしまったのだろう。夏の間、お互い仕事で忙しかった僕たちは、10月の第2週に休みを合わせて山間やまあいの温泉旅館に2泊する旅行に出かけることにした。標高が高いその温泉旅館の周辺は、すでに紅葉が始まっているという。旅行の初日、僕は着替えとプライベートで使っているモバイルパソコンをバッグに詰めこみ、もう10年以上乗っている国産のSUVに乗り込んだ。中村綾乃の家は僕の家から車で10分ほどの場所にある。彼女は車を持っていないから、一緒に遠出する時はいつも僕の車で移動することになっていた。約束の時間の5分前に中村綾乃の家の前に着く。エンジン音で気が付くのか、僕の車が着いたのとほぼ同時に中村綾乃が家から出てきて、荷物を後部座席に置いた後、助手席に乗り込む。

「おはよう。今日も5分前行動。きっちりしてるね。はい、これ」

 中村綾乃はドライブに出かける時にいつも持参する小さなポットを僕に手渡す。

「ありがとう。コーヒーだね。これがあれば眠気に悩まされることはないな」

 僕はポットに入ったコーヒーを一口飲む。浅炒りの豆だろうか、あっさりとした飲み口ではあるが、飲んだ後に鼻から抜ける香りがとても華やかだ。

「そうそう。あれ、ニュースで見た?」

 中村綾乃の質問に、僕は首を振って答える。

「綾乃、『あれ』だけじゃあ分からないよ」

「正式名称は忘れちゃったけど、人の意識に関する全ての情報を機械に移植することを認めた、なんとか倫理法っていう法律が下院を通過したって話」

「ああ、あれね。でもあんなの、一握りの権力者や金持ちを対象にしたやつでしょ。仮想現実の世界に住むなんて、ゲームみたいだ」

「そうだよね。でもさあ、この星の環境破壊もずいぶん進んだからね。人類が生身の肉体でこの星に住めるのも、あと百年くらいらしいよ。それもニュースで言ってた。それを見越した法律なんだって。そう言われても、現実味はないんだけどね」

 中村綾乃はそういうとフウーと深めのため息をついた。そして顔を助手席の窓の方に向けた。景色を眺めているのか、それとも考え事をしているのか。もしかして、寝てしまったか?しばらく黙っていた綾乃は車が温泉旅館へ向かう細い山道に差しかかろうとした時、ふとこちらを向いて口を開いた。

「この前ね、台所に置きっぱなしにしていたジャガイモが芽を出してたの」

「ふーん。ジャガイモねえ」

「勿体ないから、芽を取って食べようと手に取ったんだけど、その芽をじっと見ていたら、食べる気が失せちゃった」

「なんで?」

「ジャガイモの意思を感じたから」

「は?」

「おかしくなったと思ったでしょ。そりゃあそうよね。でも、私が言いたいのはジャガイモが動いたとか、何か言ったとかそういうことじゃないの」

 じゃあどういうこと?と僕は頭の中で唱えると、それに反応するかのように綾乃は話し続ける。

「ジャガイモだって生きている。つまり、私はその芽から『生きる意思』を感じたってこと。難しいこと抜きにして、そのジャガイモは生き延びようと必死に芽を伸ばした。それだって立派な意思でしょ」

「生きる意思か、、、僕はそんな風にジャガイモを見たことはなかった。そういわれると、そうかもしれない。生きる意思は明らかにそこに存在する」

 僕は綾乃の言うことに妙に納得してしまった。そうだよな、意思っていうのは、何か目的に向かっていく主体としての在りようなんだよな。

「人間だって、まずは生きる意思こそが生物としての存在理由だと思うの。文明の発達だって、効率よく種を繁栄させるための手段だったはず。でもさ、人はその文明によって環境破壊をしたり、自ら作り出した兵器によって殺し合いをするんだよね。そう考えると、ジャガイモの方がよっぽど賢いんじゃないかって思う」

 綾乃の言葉は核心をついているように感じた。でも、僕の中の何かがそれを素直に認めようとしない。ジャガイモなんかに負けてない、、、なんて、それこそちっぽけな自尊心がそう思わせているんだろう。

 運転し始めてから1時間半ほど経った。車は山道の突き当りまで来た。温泉宿の小さな看板が道端に立っている。看板の奥には、小さいながらも端麗な佇まいの門があり、その奥には木々に囲まれた白壁の旅館が見えた。門の手前に、数台分の駐車場がある。僕は区画線にきっちり収まるように車をバックで駐車した。僕がコーヒーの入ったポットを持ち、車から出ようとしたとき、左手首を綾乃がグッと握った。僕はまた運転席に引き戻される。少し間をおいて、綾乃は僕に話しかける。

「もし。もしだよ。自分の意識を機械に移植することが可能になったら、あなたはどうしたい?生き続けるため、機械の一部になりたいと思う?」

 僕は少し考えてから言葉を選んで答える。

「タイミングにもよるけど、僕はチャレンジすると思う。別に、永遠の命を手に入れたい訳じゃない。ただ、いつまでも残しておきたいと思うんだ。これまで出会ってきた人たちとの記憶を。もちろん、綾乃と過ごした日々の事もね」

「ふーん。そうか」

「君は?」

「うーん。私はねえ。機械は嫌だな。機械音痴だから。どうせだったら、ジャガイモになるわ」

 呆然としている僕を横目に、中村綾乃は自分のポットを持ち、助手席のドアを開けて外に出た。

「ジャガイモだって生きているんだからねーーーーー!!!!!」

 中村綾乃は赤や黄に染まった渓流沿いの木々に向かって、堂々と大声でそう言い放った。



エピソード5へつづく


サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。