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短編|『季節はめぐり、僕らはどこかでまた出会う』 第2話(全6話)

エピソード2 「春の歌」


 未来は誰にも予測できない。僕はそう思うし、世の中のほとんどの人はそう思っている、と想像する。未来は予測できないからこそ希望があるし、またその裏返しとての不安もある。

 それは確か3月の終わりだったと思う。僕は桜が満開になった街の公園にいたんだ。空は雲一つなく、公園を歩く人たちは皆笑顔を浮かべている。きっと僕のように期待と不安が入り混じったマーブル模様の心を持って公園に来ている人はいないんだろうな、なんて自分勝手な想像もした。この日は付き合って1年になる樋口佳奈ひぐち  かなからプロポーズの返事をもらうことになっていた。待ち合わせ時間ピッタリに待ち合わせ場所の公園のペロペロ小僧像こぞう ぞう前にやってきた。

「やあ、待った?」

 樋口佳奈は僕の姿を見つけてそう言った。少し歩こうという彼女の提案に従い、僕たちはペロペロ小僧の前を離れて芝生の丘を登り始める。丘を登りきると次は公園内で桜が一番華やかに集まっている神社の方向へ足を進める。樋口佳奈はあらかじめ歩くコースを決めていたかのように迷いなく僕の前を歩き続ける。5分ほど歩いたが、樋口佳奈が僕に話しかける様子はない。僕は早くプロポーズの返事を聞きたかった。その不安と緊張に耐え切れず、彼女の横まで追いつこうと足を早めた。彼女にあと4歩ほどで追いつく距離まで近づいたとき、彼女が後ろを振り返った。僕は不意を突かれ、ビクッとして足を止めた。

「あそこのベンチに座ろう」

 樋口佳奈はそう言って、神社の桜並木から少し外れた場所にあったベンチに向かって歩き出し、大人なら3人が座れるくらいの長い木製のベンチの端っこに座った。僕も彼女の横に、少しだけ間を開けて腰を掛ける。

「桜の花ってほんとに綺麗だよね。私たちはどうして花を見て美しいって思うんだろう?」

 急な問いかけに、僕は彼女の横顔をじっと見つめるだけで、言葉が全く出てこない。

「あ、別に答えを求めているんじゃないの。私はさあ、色には何かしらの意味があるって思ってるんだ。色ってね、光を反射のしかたによる見え方の違いなんだって。物体そのものに色彩はない。こないだネットで見たの。そう考えると、ますます不思議に思うよ。どうして私たちは花や葉っぱの色を美しく思うんだろうかって」

 そんなこと、僕は考えたこともなかった。色はもともとそこにあって、四季折々に咲く花や草木の色、空や海の青は美しいものだと決まっているものだと思っていた。でも、「自然は美しい」っていつから思うようになったんだろうか。愛は尊い、便利こそ善、闇は怖ろしい、科学の発展は素晴らしい、人を殺してはいけない。これらは本能的なものなのか、それとも社会的に後付けされたものなのか。

「あ、あれだよね。プロポーズの答え。真人くんが欲しがってるのは。うーん。じゃあ、今決めるよ。コイントスで」

 え?コイントス。こんな大事なことを、コイントスで決めるのか?そんなことを思っているうちに、樋口佳奈は財布から銀色のコインを一つ取り出す。硬貨ではないようだ。ゲームセンターのコインゲームに使うものだろうか。

「このコインに描いてあるキャラクター、『パコちゃん』っていうんだけどね、これがある方が表。文字が書いてある方が裏ということで。どうする?表が出たら私たちは結婚する。裏が出たら別れるってことで良い?真人くん、そこは決めていいよ」

 いやいや、表と裏の話じゃない。そもそも、どうして君と僕の結婚をコイントスで決めなければならないんだ?君の意思というものはどこに行ってしまったんだ。

「私、嫌なんだよね。自分の意思で大事なことを決めるのって。自分で決めたことに対しては、自分で責任をとらなくちゃダメでしょ。私はそれが嫌。なんていうかな、私がどうしたいかなんて実は関係なくて、私たちは決まっている未来に向かって進んでいるだけだって思うの。だから、何かを決める時にはコイントスする。コインにすってことね。神様が決めたことにすれば、後悔しなくて済むから」

 それは逆なんじゃないのか。僕は樋口佳奈の言っていることが全く理解できなかった。僕だったら、結果はどうであれ、自分で決めた方が後悔は少ないと思う。

「でもさ、結局それって自己満足の問題でしょ。自分で決めたことが良い方向に行ったら、それは自分の選択が正しかったと喜べる。でも選択に失敗したら、すごく後悔する。結果が決まっているのにそれに対して一喜一憂するのって無駄だと思うの。大事なのは、結果を受け入れるかどうか。心構えの問題なんじゃないかな」

 ふーん、そういう考え方ってあるんだな。樋口佳奈の話を聞いて、僕は妙に納得してしまった。でも今はそんなことが問題なんかじゃない。プロポーズの答えがコインの裏表で決まってしまうということだ。

「じゃあ、パコちゃんが出たら私たちは結婚する。出なかったら別れるってことで。じゃあ行きまーす。それっ!」

 樋口佳奈は僕の答えを待たずにコインを空へと高く跳ね上げた。

「ということで、私たちは結婚しないことに決まりました。今、ここで別れるという結果となりました」

 プロポーズの答えは二つあって、そのうちの一つが選択されたにすぎないのだけれど、僕の頭の中は真っ白になった。僕は平気な顔をしていつもりだけど、かなり無理をしていたんだろう。表情とは裏腹に、両膝に置いた拳を無意識に強く握り締めていた。そんな僕の心境を知ってか知らずか、樋口佳奈は話し続ける。

「人生なんて、結局は辻褄合わせなんだよ」

 僕は気持ちを落ち着けようと、頭上に咲き誇る桜の花と、その背景になっている真っ青な空を見上げていた。気持ちも落ち着きかけていたそのとき、樋口佳奈が唐突に「もう帰る」と言い出す。呆然とする僕に、すごい剣幕で「早く立って!!」と言いながら僕の手を引く。しばらく座っていたせいで、僕の足は覚束ない。でも、樋口佳奈はその細い腕から想像がつかないほどの強い力で僕を引っ張る。僕がベンチから立ち上がり、ベンチから数メートル離れた。樋口佳奈は立ち止まり、ベンチの方向を見つめる。僕もその目線を追ったときだった。空が揺れるかのように視界がグラついた。次の瞬間、ベンチの傍らに立っていた大きな桜の木がドォーンと大きな音を立ててベンチに倒れた。僕の足はガクガクと震え、神社の参道にペタンと座り込んだ。

「私はね、お互い、元気なままの姿でお別れしたい。それだけが望みなの。じゃあね。さようなら」

 樋口佳奈はそう言い残して、鼻歌を奏でながらペロペロ小僧像の方向へ去って行った。僕はそれを目で追うことしかできなかった。


 ずいぶん昔の話だけど、僕は今でも桜の花が咲く頃になるとその日の出来事を思い出す。樋口佳奈には未来が見えていたのだろうか。まあ、今となってはどうでも良いことだ。彼女にはもう二度と会えないし、その真相について何も分からないまま、僕は人生を終えることになるのだから。



エピソード3へつづく

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。