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短編|『季節はめぐり、僕らはどこかでまた出会う』 第1話(全6話)

 ある冬の日のことだった。彼は私に向かって唐突に昔話を始めた。彼はこれまで自身の過去について語ったことがなかったから、私はちょっと驚いていた。でも彼の目は真剣だった。だから私は黙って彼の話を聞くことにした。彼の話はとりとめがなく、時系列もめちゃくちゃだったけど、何かを掘り起こすかのように時間をかけ、言葉を選び、その言葉を力強く発するその様子は鬼気迫るものがあった。これから書くいくつかのエピソードは彼の語ったこと、つまり彼の記憶データと、彼に関する私の記憶データ、それぞれの欠片かけらを組み上げた、彼と私の最初で最後の共同作品である。




エピソード1 「スターゲイザー」


 その年の冬もとても寒かった。数年ぶりに都心に積雪を観測したその日に、僕は全国チェーンの居酒屋で、地元から上京してきた小島環こじま たまきとテーブルを挟んで対峙することになった。

「久々に会ったっていうのに、なんだよその不細工なつらは」

 大ジョッキに入ったビールを飲みながら小島環は僕に話しかける。

「なんだよ、はこっちのセリフだよ。僕だって仕事を切り上げて来たんだ」

 小島環と僕は中学、高校の同級生だ。高校卒業後、環は僕の親友だった小島智哉こじま ともやと結婚し、1男1女を授かった。しかし、智哉は下の子が生まれて間もなく交通事故で急逝した。僕が小島環に会うのは智哉の葬儀以来10年ぶりだった。

「それで、お前は35にもなってまだ独身なのか?」

 今の時代、30代で独身であることは珍しいことではないと言い返そうとしたが、話すだけ無駄だと思い口をつぐんだ。

「お前は女の趣味が悪いからな。ろくでもない女ばっかりにひっかかってんだろ。あ、お兄ちゃん、ビールお代わり!」

 小島環は店内に響き渡る大声で注文した。

 小島環は昔から口が悪かった。そして久しぶりに会っても口の悪さは相変わらずだった。頭は悪くないとは思うが、とにかく徹底的に口が悪い。智哉はこの女のどこに惹かれて一緒になったんだろうか。僕はそれがずっと理解できないでいた。理由はどうあれ、二人を結びつけるきっかけとなったのは僕だった。高校2年生のある夏の日の帰宅時、僕は同じ電車に乗っていた小島環に智哉が好意をもっていることを伝え、二人はその週末にデートをすることになる。それから二人は付き合い始め、高校卒業後に結婚した。

「おい、話聞いてんのか。さっきからお前、なんかボーっとしてんな」

 小島環の言葉で僕の魂は高校時代から居酒屋のテーブルに引き戻される。

「で、君は何の用で僕を呼び出したんだ?」

「何の用?なんか大事な用がなければ一緒に酒飲んじゃダメだって言うのか?そんな冷たいこと言うなよ。長い付き合いじゃねえか」

「まあ、そりゃあそうだけど。だって10年ぶりだぞ。急に電話があったもんだから、特別な話でもあるのかと思ったんだよ」

 実際のところ、小島環から電話がかかってきたときに、僕は電話に出るかどうかかなり迷った。それは相手が小島環だったからではない。僕は高校を卒業してからずっと地元を離れて暮らしていて、地元の友人たちとは全くと言っていいほど連絡を取っていなかった。だから、小島環の電話は僕にとって地元代表からの電話と同じような意味をもっていた。僕にとって地元からの連絡というものは、同窓会の話か悪い便りのどちらかでしかない。その時は本気でそう思い込んでいたし、そのどちらにも僕は興味がなかった。

「お前は相変わらずバカだなあ。特別な話ってなんだよ。あれか?私がお前にプロポーズしに来たとか、、、ぶはっ!」

 小島環は飲もうとしたビールを吹き出した。

「汚いなあ。ほら、これで拭けよ」

 僕はバッグに入れていた予備用のハンカチを小島環に手渡した。

「おお、サンキュー。気が利くところは変わってないな。会いに来るのに理由なんてないだろう。会いたいと思ったから会うだけ。そうだな、強いて言えば、お前が、、、真人まさとが今も真人まさとであることを確かめに来たってところだな」

「何言ってんの?僕は今も昔も僕のままだ。何も変わっちゃあいない」

「それはどうかな。大体見た目がもう昔とは違ってるぞ。昔はもっと若々しかった。それがどうだ?今は疲れ切った顔して、目の下にクマ作って、背中を丸めてトボトボと歩くようなオジさんになってんじゃねえか」

「それを言ったら君だって同じだろ。同じだけ歳を取ってるんだから」

「そうか?高校生の娘がいるにしては若いって言われんぞ」

 確かに、小島環は僕に比べたら若々しく見える。小島環は昔からいつも実年齢よりも若く見られることが多かった。そして今もそれは変わらず、周りの人が二人のことを見たら、同い年だとは思わないだろう。僕が老けているせいで、もしかしたら親子に見えるかもしれない。

「だいたいな、昨日の自分と今日の自分が全く同じ人間だってこと、お前は証明できんのか?」

 小島環の問いに、僕は即答できない。

「ほれ、どうだ?こんな質問にサラッと返事できないようだから、お前は女にだまされんだ」

「なんでそこで女の話になるんだよ。騙されたことなんて無いよ」

「それは嘘だな。女は必ず男を騙す。好きな男に対してなら尚更だ」

 そんなこと言ったら男だって同じだ。人間、誰だってその場その場で違った仮面を被って生きている。そして僕は小島環がどんな風に男を騙しているのかが気になった。智哉も騙されたってことなのだろうか。

「お前はあれか?この世界のどこかに『運命の人』がいるって信じているタイプか?」

「まさか。若い頃はそんな人がいる気がしていたけど、そんなのは妄想に過ぎないよ」

 小島環に向かってそう言いながら、僕の頭の中では数名の女性の名前が浮かんだ。

「そろそろ酔いも回ったろ。お前が昔付き合ってきた女の話でもしろよ」

「嫌だよ」

「クソつまんねえ男だな。酒のつまみにもならねえ。あっ、つまみだけに、お前は『つまめねえ男』だ。ぶはははは!ああ、酒がねえな。お兄ちゃん、熱燗もってきて。4合な!」

 僕はそれまでの人生で付き合った女性のことを思い浮かべた。今こうして僕が一人きりで暮らしているということは、結果的に彼女たちは運命の人ではなかったのだろう。僕は店員が持ってきた熱燗を手酌でお猪口に注ぎ、熱い液体をグイっと体に流し込む。小島環の声が少し遠のいた気がした。たぶん、あと数回、お猪口の日本酒を体の中に入れれば夢の世界へのトリップが開始できるだろう。そして僕は矢継ぎ早にお猪口に酒を注いでは飲み干した。酔った。そう思った直後、僕は眠りに落ちていた。そして、短い夢を見る。


 僕は真っ暗な空間にいる。遠くにはたくさんの星。僕は自分の身体の状態を確認しようとしたが、身体が自由に動かない。しばらく周りをボーっと見ていると、星たちが少しずつ動き出す。星たちの動きはどんどん早くなり、その様子は銀河間を高速で移動するスペースシップに乗っているようにも見えた。動いているのは星ではなく僕自身だ。そして、星だと思っていたその光をじっと見ると、それらは人間の頭だった。僕を通り過ぎる瞬間に、その頭は僕を振り返り、ニヤッと笑う。でも、怖いとは思わなかった。なぜなら、その顔は僕の家族や友人、会社の同僚など、知った顔ばかりだったからだ。遠くに強い光が見える。僕の目的地はあそこみたいだ。その強い光に到達する直前、小島智哉の顔が僕の横を通り過ぎる。多くの顔が僕を見て笑みを浮かべるなか、小島智哉の表情は哀しげだった。そして、小島智哉の顔をした光の塊は、口をモゴモゴと動かし何かを言おうとしている。それを目で追っていた矢先、僕は暖かで強い光の中に吸い込まれた。



 目を覚ましたときには、もう目の前に小島環の姿はなかった。お会計はすでに済まされていた。僕は慌てて店を出て周りを見渡すも、小島環の姿はどこにもなかった。仕方なく僕は雪化粧した音のない街の中を駅に向かって歩いた。駅に向かう歩道には数センチの雪が積もっていて、二人分の足跡が残されていた。その足跡も、降り続ける雪で少しずつ霞んでくようだった。僕は、何かにすがるようにその足跡を追って歩き続けた。


 結局、それ以来、小島環と再会することはなかった。また会いたいって思っている訳じゃないけど、もうちょっとマシな別れ方をすれば良かったかなって、今さらながら思っているんだ。



エピソード2へつづく

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。