見出し画像

【連載#15】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜

第十五話 滑稽でもいいじゃないですか

 

 年が明けて最初の土曜日。元旦に中学時代からの親友である山家やんべユウタと妹のミドリに背中を押され、タケルは同じゼミの大学院生でバスケ部のコーチでもある中村アヤノを誘って出かける約束を取り付けた。あれこれ思案して、行き先は仙台市の郊外にある仙台市天文台に決めた。目的はそこにあるプラネタリウムだ。アヤノもプラネタリウムが好きだとのことで、タケルの提案は即決された。が、問題はそこまでの移動だった。電車で行くにしても、そこからバスに乗り換えなければならない。タケルがアヤノに相談すると、

「私、車出します」

 というアヤノの一言で問題は解決した。
 そんなわけで、タケルは自宅アパート近くにある市民センターの駐車場でアヤノの迎えを待っているところだった。
 年が明けてからもタケルの実家のある山形市内は雪の日が続いたが、山を挟んで隣接している仙台市内はほとんど雪が降っていなかった。この日も太平洋側らしいカラっとした冬晴れ。時折吹く風が冷たいが、凍えるほどではない。駐車場脇に設置してあるベンチでボーっと空を眺めていたタケルの前に、大きな車体のSUVが一台走りこんでくる。タケルの近くまで来たそのSUVの窓が開き、中から丸いレンズのサングラスをかけた女性が顔を出す。

「お待たせしました。乗ってください」

 中村アヤノだった。タケルは「よろしくお願いします」と言って助手席に乗り込む。

「では、天文台に向かいます」

 アヤノは慣れたハンドルさばきで車を切り返し駐車場を出る。

「この車、おれの想像してたのと違い過ぎてびっくりしました」

 タケルは素直な感想を述べる。

「これ、母の車なんです。ふるい型のハイラックスサーフ。海に行くとき使ってるみたいです」
「あれ、もしかしてユキノさんもサーファーなんですか?」
「はい。今では父よりも海に行く頻度が高いです」
「そうですか。そこは想像通りで納得です」

 車は西公園を通過し、広瀬通との交差点を曲がって西道路のトンネルに入った。そこから天文台のある錦ケ丘までは一本道だ。愛子あやし駅から真っすぐ延びる道との交差点を左折し、錦ケ丘の住宅地を上って右側に天文台が見えてくる。出発してから10分ちょっとで目的地に到着した。
 二人は車を降りて天文台の入り口まで歩く。この日のアヤノは、ベージュのダウンジャケットに細身のブルージーンズ、それに黒のスニーカーだ。髪は耳の下あたりで編みこまれたポニーテール。タケルは黒のダウンジャケットにストレートのブルージーンズ、ミッドカットのブーツ、頭にはグレーのニット帽を被っていた。

「アヤノさんは良いですね。何を着てもお洒落に見えます。同じような服を着ているのに、おれが貧乏くさく見えますよ」
「そんなことないです。これらは全て私の専属スタイリストであるニコさんの指示に従ったものです。ニコさんの力がなければ、私は田舎の中学生みたいな服装になってしまいます。今度菅野くんもニコさんにコーディネイトしてもらうといいですよ」
「いえ。おれは遠慮しておきます。アヤノさんみたいに活かすべき素材さえもありませんから」

 入り口に到着して内部に入る。暖房が効いて外との温度差が激しい。二人はジャケットのジッパーを下ろして体温を調節する。

「プラネタリウムの開園は14時半です。少し時間がありますね」

 アヤノが室内の掲示を見て言う。

「展示室もあるようなので、それを見ましょう」
「そうですね。菅野くんは初めてですか? この天文台は」
「はい。一度見てみたいと思っていたんです」
「私は何度か来てますが、何度来ても飽きません。では行きましょう」

 二人は展示室とプラネタリウムのセット券を購入し、展示室を歩き始める。展示室には惑星の模型や本物の隕石などが並べてある。壁や床に星空や銀河を投影したコーナーもあり、子どもたちが楽しそうに星を追っていた。アヤノも初めて展示を見るような様子で、じっくりと鑑賞している。
 二人は三階にある大口径の望遠鏡観測室まで足を運んだ。望遠鏡の名前を見たタケルが反応する。

「『ひとみ望遠鏡』だなんて、ずいぶん可愛い名前ですね」
「公募で決められたらしいですよ。あと口径が1.3mだから『ひとみ』」
「なるほど」
「あ、そろそろ時間です」

 タケルとアヤノは一階に降りてプラネタリウムの入り口に向かう。
 プラネタリウムの内部はタケルが想像していたよりも小さな空間だった。

「意外と小さいんですね」
「私たちは体育館の広さに慣れ過ぎているのかもしれません」

 タケルとアヤノは隣り合った指定の座席を見つけて座る。アヤノは座ってすぐに席をリクライニングさせた。席は上を見やすいように深くリクライニングできるように設計されている。タケルも同じように座席を傾けた。
 しばらくすると、マイクを持った天文台の職員が座席の前方に現れ、これから流れる映像について説明をした。1月は冬の星空の映像をメインに構成されているとのことだった。
 タケルとアヤノは何も映っていない天井のスクリーンを黙って見つめている。薄暗い室内の照明がまた一段と暗くなり室内もシーンと静まり返った。ほどなくスクリーンに仙台市内の夕暮れが映し出された。職員による解説とともに東の空が徐々に暗くなり、ゆっくりと星空が姿を現す。
 冬の夜空を代表する冬のダイヤモンド。シリウス、プロキオン、ポルックス、カペラ、アルデバラン、リゲル。紹介された星が煌めく。天井のスクリーンには普段の街中からは見ることができない満天の星空が映し出された。タケルとアヤノは思わず感嘆の声を漏らす。
 映像は地上からの視点から離れ、遠くに見えていた天の川を飛び越えて銀河系を俯瞰する。『天の川銀河』とは太陽系が存在する銀河の名称だそうだ。
 解説の声はタケルの耳に届いていたが、その内容はほとんど頭に入ってこなかった。タケルは天井に映し出される偽物の星空に見惚れていた。およそ45分の上映が終わり、館内が徐々に明るくなる。終了のアナウンスに我に返ったタケルはアヤノの顔を見る。タケルの視線に気が付いたアヤノはタケルを見て顔を強張らせた。

「菅野くん、涙。涙が出てます」
「え」

 タケルが右手で自分の頬を触ると、微かに濡れた感触があった。

「ハンカチ貸しましょうか?」
「いえ、自分のがあります」

 ジーンズのポケットからハンカチを取り出して涙を拭く。

「まずはここを出ましょう」
「はい」

 二人はプラネタリウムを出て、そのまま外の惑星広場へ向かい、少し色褪せた緑の芝生に隣り合って座った。

「感動の涙ですか?」
「はい。偽物の星空だって分かっていても感動してしまうものですね」

 そう言って弱弱しい笑顔を見せるタケルの目に涙はなかった。

「菅野くん。泣きたい時は泣いた方がいいと思いますよ」

 アヤノの言葉にタケルは頷き、フウと息を吐いた。

「あの、アヤノさん」
「何でしょうか?」

 ほんの少しの間を開けてからタケルは話し出す。
 
「6月にゼミを早退したその日、妹が死んだんです」

 アヤノは黙ってタケルの顔を見つめる。タケルはそのまま話し続ける。

「風邪をこじらせて肺炎になって、そしてそのまま戻ってきませんでした」

 タケルは抜けるような青色の空を見上げた。タケルの目から再び涙があふれ出した。
 それを見たアヤノはスッと立ち上がり、座っているタケルの正面に回った。そしてタケルに向けて右手を差し出す。タケルも右手を伸ばしその手を握る。アヤノはタケルの右手を両手で掴むと、グイっと力強く引っ張ってタケルをその場で立ち上がらせた。

「やっと話してくれたね」

 タケルの右手を両手で握ったままアヤノは言った。アヤノの目からも涙が零れ落ちる。

「アヤノさんは泣かなくてもいいんですよ」
「涙が勝手に出るんです。自分でもよく分かりません」
「いい大人が昼間っから向かい合って泣くなんて、滑稽ですよ」
「滑稽でもいいじゃないですか。大人だって泣きたいときはあります」

 二人は手を繋いだまま気持ちが落ち着くまでじっとしていた。しばらく経って、タケルは繋いだ手をパッと放す。

「すいません、握りっぱなしで」
「いいんです。私から差し出した手ですから。それとも、手を握られるのは嫌でしたか?」
「そんなことはないですけど……」
「では、そろそろ帰りましょう」
「はい」

 アヤノが駐車場へ向かって歩き出す。タケルもアヤノの隣に並んで歩く。車に乗り込み、仙台の市街地に向けて車を走らせる。

「契約のことですが、継続させてもらって良いですか?」

 助手席に乗ったタケルがアヤノに聞く。

「もちろんです。やっと菅野くんが心を開いてくれたのですから。ようやくスタートラインに立てました」
「もったいぶった訳じゃないんですが……。じゃあ次回はアヤノさんの行きたいところに行きましょう」
「そうですね。ちょっと考えておきます。あとは……」

 少し先の話になりますが、とアヤノは前置きする。

「私をインカレに連れて行ってください」
「はい、インカレですね……え? インカレって新しいお店の名前じゃないですよね?」
「冗談はやめてください。もちろん全日本学生選手権のことです。菅野くんたちバスケ部の目標ですよね」
「はい。行きたいとは思ってます」
「行きたいと思っただけで行けるほど甘くないですよ。もう戦いは始まってます。来週からガシガシ指導していきますから」

 アヤノはそう言ってアクセルを踏み込んだ。急加速にタケルは思わず腕に力が入る。
 ハンドルを握るアヤノの横顔には、タケルがこれまで見たことのないような不敵な笑みが浮かんでいた。 

  
 

第十六話につづく

 

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。