ことばは有機物として世界を循環する。

「この人に話しても、きっと1ミリも伝わらないだろうな。」

そう思って、本当に伝えたいことを諦めてしまう人がいるのではないだろうか。もしかしたら、伝える勇気がない人もいるかもしれない。

そんな人に、ぼくが考える「伝える」ことの意義を書こうと思う。

ぼくの話なんて誰も理解していない。

職業柄、ぼくの会話は95%が子どもたちとのものだ。小学校4年生から高校3年生までの子なので、10〜18歳の子どもたちと会話をしている。

他愛もない話もすれば、真剣な話もする。

もちろん伝わるように最大限の努力はする。それでも、年齢差が10もある人間のことばを理解しろというのは酷な話だ。

伝わらないのは、ぼくのことばが数Ⅲみたいに難しいからでも、深すぎるからでもない。10年の体験の差があるだけだ。

それでもぼくは、一貫して「その子にとって必要だと思ったことを、そのままはなす」というスタンスを崩したことはない。

相手が10歳だろうが18歳だろうが変わらない。

これはこども扱いしないという話のように感じるが、少し違う。ぼくは誰にだろうと思ったことを伝える。

このポリシーは、ぼくのこの原体験が深く関わっている。

ぼくだって理解していなかった

先日こんな記事を書いた。

この「縁は努力しないと続かない」というフレーズは、ぼくが23歳のときに、まぎれもなく、ぼくの中から出てきた言葉だ。

あえてフレーズと書いたのにはわけがある。

この本は、ぼくが18歳のときに、誰かのすすめで読んだ本だ。この本を最近になって読み返してみると、中にはこんなことが書かれていた。

いい出会いをするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。

まさに僕が考えていたことと同じだ。しかし、ぼくはこの一節が書かれていることなんてすっかり忘れていた。

18歳のぼくでは、きっとこのことばの意味が分かっていなかったのだろう。

5年の歳月が経ち、たしかに、そのことばは「縁は努力しないと続かない」という僕のことばになったのだ。

あなたのことばもいつか必ず

落ち葉が土に還り、有機物として吸い上げられ、長い時間を経て新たな葉になるように、あなたのことばも必ずそうなる。

そして、その相手のなかで芽吹いたことばが、また次の誰かにことばを落とす。そうやって、ぼくたちは誰かのことばに救われて、誰かをことばで救うことができるのだ。

ことばは有機物となって世界を循環する。

ぼくはそう信じているから、いますぐ伝わらなくても、そのままをことばにして伝える。

あなたのことばも、きっと誰かを救うよ。


*ぼくのnoteにおけるテーマは「考えるきっかけをつくる」です。大喜利のお題みたいなものです。ぜひフォローしてください。そしてみんなはどんな風に考えるか教えてください。

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