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自立の証は実家の朝食に

実家の朝ごはんが無限に食べれるようになることが自立した証なのだ。ぼくは、無限に食べれるようになった。

いまは親元を離れ、ひとり暮らしをしている。経済面でも生活面でも、自立した生活を送っている。しかし、月に二度ほど実家に帰るようにしている。衣替えで服を取りに行ったり、顔をみせに行くことが目的だ。

ぼくが帰る予定だと連絡すると、決まって晩御飯を用意しておいてくれる。ぼくの仕事は深夜に終わるので、一緒に食事は出来ない。台所にラップをかけて置いておいてくれる。昨日は餃子が置いてあった。

実家で食べるご飯はどうしてあんなに美味しく感じるのだろうか。ただの野菜のサラダまで美味しく感じるのだから、恐らく脳内物質がドバドバ出て何でも美味しく感じるようになってしまっているのだろう。お腹いっぱいなのに必要以上に食べてしまう。

ぼくは3兄弟なのだが、3人とも今は実家にいない。みんなほぼ同時に家を出た。その当時、母はよく食事をつくる量が調節できないといっていた。作り過ぎてたくさん冷蔵庫におかずが残っていた。いまは少ない量に慣れてきたのか、残り物も少なくなってきた。

だから逆に、ぼくが帰る時につくる量が多くなりすぎるという調節の逆転現象が起きている。餃子は3人前くらい残しておいてくれた。余裕で平らげた。

そんな深夜にフォアグラ状態になって眠りにつくのだが、朝起きると摩訶不思議。朝ごはんがめちゃくちゃ食べれるのだ。元来、ぼくは朝ごはんを食べることが苦手で、高校生の一番食べ盛りの頃も朝ごはんはコーヒー牛乳が限界だった。

そんなぼくでも食べれてしまう。これはまさに、旅行先の旅館の朝食めっちゃ食べれる現象に他ならない。

ぼくにとって実家はもう、一泊二日の旅先なのだ。GoTOも真っ青の、一泊二日朝夕食付きでお値段税込み0円なのだ。

実家が旅先の感覚。これは自立した証といえるだろう。


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*あとどれだけ母の手料理が食べれるのでしょうか。

*とにかくおいしく感じるんです。怖いほどに。


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