ひとにやさしくするのを5日間やる。プーさんたち。
プーさんの提案です。
これから5日間、みんなそれぞれ、ひとにやさしくするのはどうかな?とプーさんが言いました。
みんな賛成で5日間やってみた結果、何が起こったのかというと…
ひとにやさしくすると、なんだか気持ちが良くなってくるようです。
自分に返ってくるというのはこういうことですね。
ひとにやさしくするのは、自分にやさしくすることと同じなんだろうと思いました。
僕はいつから、どうしたことか、ひとにやさしくという考え方がズレてきているように感じました。
お父さんとお母さんに教えてもらってるはずです…
しかし、どっかでズレました。そうとしか考えられない。
ひとにやさしくすることは、その先があって、裏があるとか、何か企んでいるとか…
やさしくすると買ってもらえるとか、いい儲け話を教えてもらえるとか思ったりしてたような気がします。
例えば…
ここで、やさしくしておけば、いつかお金になるとか、安くてしてもらえるとか、、
損とか得とかです。
ああ、思い出しました…
「割りに合わない」などと思うのです。
その金額での仕事で、ここまでやると、それは割りに合わないよ!という感じです。
こういう考えなので、ひとにやさしくとなると…どうなるかというと…
ひとにやさしくして、メリットあんの?
それやったらいくら儲かるの?
なんのためにやるの?目的は?
なんでやってんのか明確化しないと怪しいよ!
プーさんたちは、そんなこと考えてませんね…だだみんなが良くなるように、みんなのために!と考えて行動してみただけです。
みんなのためにと言っときながら、結局は、自分のために…どうなん?これ?間違ってないかな…あってるかなぁ僕?
と思ってますね…あぁ恥ずかしい…
だから、プーさんたちみたいにならないんですね!
プーさんたちは
なんだか、気持ちがよくなってきた!
なんだか、たのしかった!
なんだか、幸せな気分だった!
です。
僕の場合
なんだか、気分がわるくなる。あれだけやってあげたのに…
なんだか、たのしくない。分かってない。僕をみてない!
なんだか、損!ずるいよね。理不尽。
たとえば、最近流行っていた、なんとかチャレンジとかこれをアップすると、僕って凄いんじゃないかな…あいつ見てるから、すげーてなるんじゃなあかな?
とか…
考えることとかを、誰かの為にと置き換えて、ひとにやさしくしてるし、僕は。
などと思っていたりしてですね…
プーさんたち、
ひとにやさしくってどんなことをするのかな?と思ったら、みんなそれぞれで、遊び相手をしてあげたり、仕事を手伝ったり、あの人これ使うかもしれないから、持っていってあげようとか思ったり。
プーさんたちは、
100パーセント相手のことを考えて行動していて、自分へのメリットとか利益とか思ってない。
その結果、プーさんたちみんなが、気持ちがよくなって、たのしくなって、幸せな気分になれた。
ピグレットが困っているイーヨーをみつけて、プーさんを呼んで、プーさんがみんなを集めて、困っているイーヨーを助けてあげた。
それから、また困っているひとの話を聞いて、できることやるんですね。
明日からいいことを5日間やろうとなると、ちょっと考える…僕。
なんか大きなことをやらないといけない気がしてきて、それはできるかな…となる。
例えば、毎日ゴミ拾いをするとか…
声をかけて困ってる人みつけてとか…
こんな発想が間違ってるんだと思う。
すぐ、こんな発想になる。
プーさんたちは、相手のことを考えて、これが今欲しいだろうなと思って行動している。
なんで、ゴミ拾いなん!僕!
なんで、声をかけて…なん!僕!
それは、こういう大きな、誰もしないような誰でもやるようなことをすると、映りがいい。
なんとか映えするからとかね。
よくよく考えてみて…
この「よく考えてみて」というのがもうおかしいんだと思うのですが…
身近な人。
家族や友達が今何を求めているか?それを自分ができる範囲で行うとかなんだろうな…と。
たとえば、
肩揉みをしてあげるとか。
ご飯を作るとか。
プーさんのようにですよ。
ひとにやさしくできることはいっぱいあるんですが、なんでてきないんでしょうか?
プーさんにできて、僕にできないのはどうして?
5日間、ひとにやさしくすればどうなるか?
プーさん曰く、
気持ちがよくなり
楽しくなってきて
幸せな気分になれる
ということなのです。
これはちょっとやってみる価値がありますね。
てね。
ほらまた、価値があるとかのこの発想になるのはどうして??
ひとにやさしく
5日間チャレンジ!
やってみようと思います。
よろしくお願いいたします。
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