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第一章 戦時中の記憶 ●国民学校と戦火の中 その日、僕の足取りは少し緊張していた。国民学校(小学校)の入学式に向かっていたからだ。初めての体験はだれでも緊張する。同時にどこかわくわくする気持ちにもなるはずだ。それが、緊張感が先にくるのには理由がある。それは今日から僕の名前が変わるせいだ。 それまでは「岩田」という日本ではごく普通の名前だったが、学校では「金」と名乗るように父から命じられていた。それがなぜだか当時の僕にはわからなかった。 「お前の本当の名前は『金』という
●さよなら、祖国 永遠に続くのではないかと思われた戦時下の生活は、秋の終わり頃のある日、突然断ち切られることになった。 その日、僕と龍大は少しでも食べられるものを探そうと、収穫の終わった田圃でタニシを採っていた。これがまた歯ごたえがあっておいしくて、スープに入れたり、酢味噌であえて食べたり。小さいながら当時の僕たちにとってごちそうの一つであると同時に、貴重なタンパク源だった。 夜明けとともに頑張ったおかげで、その日は大量にタニシが採れた。 「これなら、永吉の家に
やがて砲声も収まり、僕は元の場所へ戻ると静かに眠りについた。初めは腹が立ったおじさんのおかげで、こうしてぐっすり眠ることができたのだった。 「おい、起きろ……。早くしたくしないと、またバスが行っちまうぞ」 おじさんの声に目を覚ますと、あたりはすっかり明るくなっていた。僕の体には薄汚れた毛布が掛けられている。 「これ、おじさんが?」 「朝方みたら、あんまりにも寒そうにしてたからな……」 「ありがとうございます!」 僕は深々と頭を下げると、慌てて毛布をたたんでおじ
その後も僕たちは、善基兄さんを捜し続けた。しかし、来る日も来る日も、大きな進展はなく、疲れ果てて家路に向かう毎日が続いた。 そんなある夜、みんなと別れ家に着いた僕は、一瞬目を丸くした。そこには今まで見たことのない一家が疲れ果てた顔で寝ているではないか。お客なのかと思ったが、様子をみると明らかに避難民だ。夫婦と幼い子どもが二人もいる。そこへ奥の部屋にいたハンメが姿を現した。 「お帰り、海守。善基さんの手がかりはつかめたかい?」 「ううん……それよりハンメ、あの人たちは
翌朝、僕はハンメの手を引いて釜山行きのバスに乗るため町に向かった。途中で龍大の家に立ち寄り、彼に理由を説明して、ハンメと一緒にバス停のある幹線道路へ向かった。 バス停でどれだけ待ったことか。やはり戦争の影響か、なかなかバスは来ない。やっと来たバスは満員だった。ガイドと思われる女性が「満員だから乗れない」とあしらうように僕とハンメを追い払おうとしてきた。僕は必死で叫んだ。 「叔父が釜山の病院にいます! 負傷兵なんです。ハンメの息子が死ぬかもしれないんです。お願いですから
翌日、龍大の家に行くと、彼は物置の前に、大きな布を広げて待っていた。布の中央に大きく「朴善基」と書いてあり、その脇には、前の日に僕が話した善基兄さんのことが、あれこれと書かれていた。 「すごい。よくこんな布があったな」 「まあな、こいつをこの竹竿に付けて、高く掲げれば目立つだろう。俺たち二人で持つんだぞ」 「さすが、龍大。これなら捜しやすい」 僕らは意気揚々と町に向かった。駅の近くには善花たちが行っているはずだから、僕らはもっと先の方に行くことにした。 線路の上
しかし、その翌朝、善花もつらい思いを胸に秘めていたことを知る。 僕はハンメが生活のため不自由な目で縫い上げた、数枚の子ども用のパジチョゴリ(韓国の服)を駅前の市場へ納めるため、大きな風呂敷包を抱え、再び避難民の人であふれる町へと向かっていた。そこで善花とその家族の姿を目撃したのだ。 「あれ、善花?」 思わず声を掛けようとしたが、彼女とそのアボジ、オモニの思い詰めたような表情は、何やら人を寄せ付けない雰囲気があった。僕は、彼らに見つからないようそっと後を追った。
戦争が膠着状態になると、米兵の姿も見られるようになった。映画『マッシュ』で見られるように、米兵は現地の子どもたちとよく遊ぶ。僕たちも米兵とは仲良くなった。 近くの橋を防御するために、土嚢を積んだトーチカのようなものがあり、機関銃を据えた米兵が警戒にあたっていた。夜になるとこっそり家を抜け出し、そこへ遊びに行くようになった。寒さしのぎに、彼らはガソリンを入れた缶にそのまま火を点けていた。やはり、アメリカ軍の物資は豊富なのだった。 彼らは顔慣れた僕がやって来ると、弾を抜い
僕たちの「泥団子戦争」は血を見ることなく平和的に終わったが、南北の戦いはさらに続いていた。 日本での戦争は米軍機の空襲が主だったが、こちらは地上戦である。軍用トラックには武器、弾薬などが満載されている。道路が舗装されていないところでは、でこぼこ道でトラックは大きくバウンドする。すると荷物の一部が荷台から落ちてしまう。つまり、子どもたちの目の前に本物の銃弾が出現することになる。正泰の事件は、こんな環境が引き起こしたことの一つにすぎない。 子ども、とくに男の子は、こうし
翌日、龍大が僕の家にやって来た。嬉しそうな顔をしている。 「どうだ、海守、すごいだろう」 龍大は小さな袋から、自分で研いだ釘を取り出した。 「やっぱり、研ぐと全然違うな。昨日の夜中まで研いでたんだぜ」 龍大は、釘の頭を持って、地面に叩き付けてみせた。釘は地面にぐさっと刺さった。 「凄いだろう。海守のも見せてみろよ」 「ああ……」 僕が袋から、夕べ研いだ釘を取り出すと、龍大はそれを奪い取るように手にして、 「うおお、これも凄えな、これなら矢の先に付けたら
●泥団子戦記 僕の通う福山小学校は、急遽野戦病院として使用されることになり、校舎での授業はできなくなった。代わりに鶴城公園での青空授業が続くことになる。教育内容も、かつての反日教育だけでなく、反共が声高く叫ばれるようになった。先生の声もややヒステリックになり、その緊張感は子どもたちにも伝染した。 近くの中学校では、軍事顧問による軍事訓練も始まって、緊張感がさらに高まっていった。 こうなると子どもの気持ちも荒んでくる。近くで大人たちが戦争をしていれば、子どもたちも真似を
ある日、数人の米兵と韓国軍の兵士が村に現れ、盗まれたケーブルを探し始めたのだ。兵士たちは村の家々に顔をだしては、盗んだケーブルを隠し持っているものを知らないかと尋ね歩いていた。 当然、僕の家にも兵士が訪ねて来た。家の入口で兵士とハンメが話をしているのを、僕は部屋のなかからこっそり盗み聞きしていた。 「どうやら、この村にも北のスパイが潜入しているようだ」 「スパイ?」 詳しくは聞き取れなかったが、ハンメは兵士としばらく話をした後に部屋に戻ってきた。 「ハンメ、スパイっ
●子どもたちと戦争 戦争は大人の世界だけでなく、子どもたちにも容赦なく襲いかかって来る。食糧事情の悪化は食生活を脅かす。子どもたちにとっては直接の脅威だ。停電が多くなり、電灯もつかなくなった。そこで、鮫の肝臓を天日で干して油を搾る。その油を綿に染み込ませて電灯代わりに燃やすのだが、暗いし、煙がひどく天井もすぐに真っ黒になった。 そこで、龍大や永吉たちと線路の土手下にあるガソリンの油送管を狙うことにした。継ぎ手の部分をゆるめてガソリンを盗むのである。夜になると瓶を持って
第三章 戦争が始まった 先に述べたように、朝鮮半島には北部を支配する朝鮮民主主義人民共和国と、南部の大韓民国が樹立していた。両政府は、ソ連とアメリカの援助の下で、着々と軍備を増強していった。一九四八年末には、ソ連軍が撤退し、翌年六月には米軍も撤退した。南北の対立は激化し、韓国ではパルチザン活動も活発化していった。 そしてついに一九五〇年六月二十五日、朝鮮人民軍は宣戦布告なしに38度線を越えて大々的な攻撃を開始し、朝鮮戦争が始まった。朝鮮人民軍の戦意は旺盛で、開戦三日目