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少年の国 第26話 善花と善基兄さん

 翌日、龍大の家に行くと、彼は物置の前に、大きな布を広げて待っていた。布の中央に大きく「朴善基」と書いてあり、その脇には、前の日に僕が話した善基兄さんのことが、あれこれと書かれていた。

「すごい。よくこんな布があったな」

「まあな、こいつをこの竹竿に付けて、高く掲げれば目立つだろう。俺たち二人で持つんだぞ」

「さすが、龍大。これなら捜しやすい」

 僕らは意気揚々と町に向かった。駅の近くには善花たちが行っているはずだから、僕らはもっと先の方に行くことにした。

線路の上には、避難民が列をなして続いている。疲れ切った顔で、目だけがぎょろぎょろしている。とくに子どもたちは疲労が激しいようだ。

 僕らは竹竿に巻いた布を広げ、高く掲げた。同時に、「朴善基を知りませんか。ソウルの師範学校の学生です!」と大きな声を上げた。小一時間もそれを続けたろうか。僕らにも疲労がやってきた。

「これさえあれば、すぐに手がかりくらいは見つかるって思ったんだけどな」

 龍大は、必死に大きな布のぼりを抱えて立っている僕を見ると、

「海守だいじょうぶか? 重いだろう」

「大丈夫だよこれくらい!」

 そうは言うものの、風が吹くと布のぼりは吹き飛ばされそうになる。僕は必死に竹竿を

握りながら、

「朴善基! 朴善基!」

 かろうじて名前だけを呼び続けた。

 それからも時間が過ぎるばかりで、めぼしい情報はなかった。

「駅に行ってみよう」

 龍大を促して善花たちのいる駅に行くことにした。駅は人の群れでいっぱいだった。みんなが大声で避難民に呼びかけるために、名前を呼ぶ声もはっきり分からないほどだ。

 ようやく善花を見つけて声をかけた。善花の目は真っ赤になっている。

「俺たち、少し北の方で捜していたんだけど……」

「ありがとう。それは何?」

「龍大が作ったんだ」

 いったん、群衆をかき分けて人混みの少ない場所に出て、例の横断幕を見せた。

「すごい! わざわざ作ってくれたんだ。龍大くん、海守、ありがとう。私も作る。作って善基兄さんを捜す」

「善花の場合は、少し小さめがいいかも」

 僕は竹竿を握りながら、苦笑いした。

「善花! 何をやってるんだ!」

 善花のお父さんの怒鳴り声が聞こえた。

「男と話なんかするんじゃない!」

「アボジ、今日は違う。この子たちは善基兄さんを一緒に捜してくれているの。しかも、こんな大きな幕まで作ってくれたのよ。私たちも作ろうよ。これで、兄さんを捜そうよ」

「何? お前らが作ってくれたのか。なるほど、これなら目立つ。大声を出すより早いかもしれない。善花、今夜作ろうな。それで善基を捜そうな」

 善花のお父さんも泣き声だ。

「ありがとうな、お前たち」

 僕らは初めて、善花のお父さんと打ち解けた気分になった。しかし、この日は懸命に声を張り上げ、横断幕を掲げたが、何の情報も得られなかった。

 落胆と疲労で僕たちは足取りも重く家路に向かった。やがて龍大の家にたどり着くと、そこにはハタキを逆さに握りしめ、カンカンに怒って立っている龍大の母親の姿があった。

「やばい、オモニだ!」

「龍大! このバカ息子が! 大事な布を盗み出して何をしていたんだ! あっ⁉」

 オモニは僕が抱えていた、たくさんの字が書かれた横断幕を目にすると、

「このバカたれが、こんな落書きをして、もう使い物にならないじゃないか!」

「違うよ、落書きじゃないよ!」

 慌てて逃げようとする龍大の襟首をオモニは掴まえると、手にしていたハタキで龍大の太ももをビシビシと打ち始めた。

「痛い、痛いよ、オモニ!」

 こんな大きな布は貴重品だ。龍大の母親が怒るのも当然だった。僕は慌てて横断幕を納屋に立て掛けると、龍大をかばった。

「オモニ、違います! 龍大は悪くないんです、僕たち善花の兄さんを捜してたんです」

 必死にオモニの腕にしがみついた。

「善花の兄さん?」

 オモニはハタキの手を止めると、立て掛けられた横断幕の字に目を向けた。

「朴善基? ああ、たしかソウルにいるって言ってた……」

「はい、戦争で行方が分からなくて、一緒に捜すために龍大が書いてくれたんです」

「なんだい龍大、そんな大事なこと何で先に言わないんだい!」

「先にって、言う暇もくれなかったじゃないか」

「ははは、そうかい、それじゃあ仕方がないね。その代わり、しっかり捜してあげるんだよ」

 さすが龍大の母親は、女手ひとつで龍大を育てているだけあって、豪快に笑うと、

「さあ、夕ご飯だよ。海守、あんたもお腹すいてんだろ、一緒に食べて行きな」

 と、何事もなかったように家に入って行った。

「よかったな、分かってくれて」

「そんなことはないさ。海守が一緒だったから我慢してるんだ。後でもっとひっぱたかれるよ」

「本当かよ、なんか悪いことしちまったな」

「気にすんな、俺のももは鉄でできてるんだ、あんなハタキなんか痛くもかゆくもない」

 龍大は強がりながらも苦笑いを浮かべた。

「それより、お前も飯食って行けよ」

「いや、いいよ」

「遠慮しなくていいんだぜ、どうせ大したおかずなんてないけど、食って行けよ……」

「ありがとう、でも、ハンメが待ってるから」

「そうか、それじゃ明日も頑張ろうな」

 龍大は大きく手を振ると、薄明かりのついた家の中へ入って行った。

 心配になった僕は、そっと隠れて様子をうかがった。するとしばらくして彼の予想通り、オモニの怒鳴り声と龍大の泣き声が響いてきた。僕はそんな声を聞いているうちに、ふっと寂しい気持ちになり、

「オモニ……」目に涙を浮かべながら、思わずつぶやいていた。

 やがて僕は汚れた袖で目の周りをごしごし拭うと、家路へと急いだ。家にたどり着いたとき、あたりはすっかり暗くなっていた。

「ハンメ、ただいま」

 僕はやかんの湯冷ましで喉を潤すと、明かりのついた部屋の中に入って行った。

「海守! ちょっとこれを読んでおくれ」

 ハンメは僕の顔を見ると同時に、おろおろした様子で一枚の電報を差し出した。

「今しがた電報が届いたんだけど、ハンメには字が小さすぎで見えないんだよ」

「電報?」

 僕はそれを受け取ると、中に印字されている細かい字に目を移し、思わず声を失ってしまった。

「どうしたんだい、何て書いてあるんだい?」

「叔父さんが、戦場で撃たれたって……」

「……!」

 ハンメはその場に崩れ落ちてしまった。

「とにかく釜山の病院にいるって書いてあるから、明日一番で会いに行こう」

 ハンメは呆然とした顔でうなずいていた。

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