くに3

少年の国 第24話 萬守叔父さん戦場へ

戦争が膠着状態になると、米兵の姿も見られるようになった。映画『マッシュ』で見られるように、米兵は現地の子どもたちとよく遊ぶ。僕たちも米兵とは仲良くなった。

 近くの橋を防御するために、土嚢を積んだトーチカのようなものがあり、機関銃を据えた米兵が警戒にあたっていた。夜になるとこっそり家を抜け出し、そこへ遊びに行くようになった。寒さしのぎに、彼らはガソリンを入れた缶にそのまま火を点けていた。やはり、アメリカ軍の物資は豊富なのだった。

 彼らは顔慣れた僕がやって来ると、弾を抜いた拳銃と懐中電灯を僕に渡して、自分は眠ってしまう。僕はそれらを手に、橋の下に不審な奴が現れないか、子どもながらに真剣に見張り番をした。

 やがて朝になると、今まで居眠りをしていたアメリカ兵はチョコレートやガムをご褒美にくれる。僕は憧れのアメリカ兵の一員になった気分で少し優越感に浮かれ、貰ったチョコレートをかじりながら家路に向かう。

 戦争の合間には、こんなのんびりした時間も出現する。何だか不思議な気分だったが、数キロ先では激しい銃撃戦が展開されているのも現実だった。

 そんなある日、兵役訓練を受けている萬守叔父から手紙が届いた。

 白内障で字の読めないハンメに代わって、僕はその手紙を読んであげた。初めは明るい顔でそれを読んでいたが、やがて読み進むにつれて僕もハンメも震えが止まらなくなっていた。そこには、叔父が近々戦場へ向かうことが書き記されていたのだ。

「何で萬守が! まだ訓練をはじめて一ヵ月も経ってないのに?」

 ショックのせいか、ハンメはその場にしゃがみ込んで、ハアハアと苦しそうに息を吐いていた。そんなハンメの姿を見ながら、僕も不安と恐怖に震えていた……。

「萬守叔父さんが、戦場へ行っちゃう……」

 その晩、大好きな叔父が死んでしまうかもしれない、僕はそんな恐ろしい気持ちに脅えたり、そんなことはない、叔父さんは元気に戻ってくるんだ、そう心に言い聞かせたり、交互に繰り返しているうち気がつくと朝を迎えていた。

 隣で寝ていたハンメもきっと眠れなかったのだろう。何度も何度も布団の中で大きなため息をついていた。

 翌朝、僕はハンメの手を引いて駅に向かった。何時になるか、会えるかどうかも分からないが、戦地へ向かう叔父の姿を一目でも見るためだった。

 しかしそこで僕は、忘れようとしても、忘れられない光景を、目の当たりにすることになる。

それは線路脇を歩きながら南へ向かう、想像を絶する数の避難民の群れである。汽車はすべて軍用物資や兵士を運搬するために使われているため、北から避難してきた人たちはすべて徒歩で線路脇を歩いていた。中には年老いてやっとの思いで歩いている人や、ボロボロの衣服をまとった小さな子どもたち、どの人たちも薄汚れた顔に疲れ切った目を光らせながら、ひたすら南に向かって歩き続けていた。

 そして彼らの周りには、親戚や知り合いがその避難民の中にいないか、必死に捜している人たちもいる。

「××はいませんか!」

「ソウルからの人はいますか?」

 さまざまな声が飛び交っている。なかには再会を果たして号泣しながら抱き合う家族もいる。避難民同士でも、はぐれた家族や親戚を捜し回る人もいる。

 戦争が始まったといっても、それまで田舎町で遊んでいた僕にとって、目の前に現れたその光景こそ、まぎれもなく朝鮮戦争の現実の姿だった。

 一方、その避難民のすぐ脇に沿った幹線道路は、北に向かう米軍の軍用トラックが列をなしていた。荷台には武器が満載に詰め込まれ、装甲車や戦車を載せた車輌もあった。

 やがてたくさんの兵士を乗せた軍用トラックが姿を現した。

「ハンメ!」

 我に返った僕は慌ててハンメの手を引くと、そのトラックの通る軍用道路の脇に立った。 僕たちと同様に他にも同じ思いの家族がたくさん集まっていた。

 新兵を乗せたトラックが次から次へと北へ向かって走り去って行く。周りの人たちは一斉に自分の家族の名前を叫びつづける。そんな中、僕は目の悪いハンメの代わりに、懸命に叔父の姿を探した。

「叔父さん! 萬守叔父さん!」

 次から次へと通り過ぎていくトラックの荷台に向かって、大声を張り上げ続けた。

「だめだハンメ、みんなおんなじ軍服姿で、分かんないよ!」

 あきらめかけたそのときだった。

「海守!」

 通りすぎる最後のトラックの荷台から大きな声がした。

「あっ!」

 そこには軍服姿でヘルメットを背中に下げた、萬守叔父の姿があった。

「叔父さん! 萬守叔父さん!」

 僕は大声で叫んだ。

「海守! 海守!」

「萬守叔父さん! ハンメ、萬守叔父さんだ! あそこに、あそこに」

「本当かい。萬守の姿が見えるのかい?」

「うん、あそこ、あそこ! 叔父さん、叔父さん!」

 遠ざかるトラックの荷台の中で、叔父は懸命に手を振っていた。

「海守、萬守は元気そうか? 元気そうか?」

 ハンメは何度もそう言いながら、不自由な目でトラックの方を見ていたが、叔父の姿を確認する視力はなかった。それより何より、ハンメの目は涙で盛り上がっていて、視力があっても、遠ざかるトラックの中など見えなくなっていただろう。

「萬守や、萬守……」

 泣き崩れるハンメを抱きかかえるようにして、僕は人垣から離れ静かな場所へと出た。

 ハンメはよほどショックだったのか、夕暮れの帰り道、何度も何度も叔父の名前を呼んでは、手拭いで涙を拭っていた。

「ハンメ泣かないで、泣かないでよ、大丈夫だよ。萬守叔父さんは帰って来るって約束したじゃないか……」

 僕はハンメの手を引きながら、必死に訴え続けた。しかし、トラックの中で手を振っていた叔父の姿を思い出すたび、涙があふれ出してきてしまう。僕はそんな涙をハンメに分からないよう、そっと薄汚れた袖で拭いながら、ひたすら元気そうに歩き続けた。

 どうにか家にたどり着いた僕はハンメの手を引いて、部屋の中へと導いた。

「疲れたでしょ、ハンメ……」

「海守、ありがとう。ありがとうね」

 ハンメは泣き疲れたのか、部屋の隅に座り込むと、じーっと見えない目で遠くを見つめていた。僕はそんなハンメの姿を見ているのがつらかったので、

「僕、水を汲んで来る」

 そう告げると、水桶を持って、共同井戸へと向かった。

 夜も更け、井戸の周りはひっそりと静まり返っていた。僕は静かに水を汲み上げながら、ぼーっと物思いにふけっていた。

 戦場から逃れて来た避難民の人たちの姿が、頭の中から離れなかった。戦火を逃れて来た、あの人たちの脅えきった恐ろしい顔を思い出すたび、胸が詰まって息が苦しくなった。

 そしてその恐ろしい戦場へ、大好きな萬守叔父が向かう姿を思い出すたびに、今まで我慢していた涙が止めどなく流れてやまなかった。

「海守……」

 聞き覚えのある優しい声が響いてきた。振り返るとそこには、疲れた顔で水桶を抱えている善花の姿があった。

 僕は彼女の姿を見たとたん、抑えていた気持ちがあふれ出すように大声で泣き出してしまった。

「海守、どうしたの?」

 善花はそっと水桶を置くと、優しく僕の背中をさすってくれた。

「叔父さんが、萬守叔父さんが……」

 僕は甘えるように、今日の出来事を語った。善花は静かにうなずきながら、そっと僕の話を聞いてくれた。優しい善花のおかげで僕はどれだけ救われたことか。叔父のことを話し終え、無言で井戸を見つめている僕を心配して、彼女はずっとそばにいてくれた。

 やがていつものように、彼女を呼ぶ父親の声が響き渡り、僕たちは共同井戸を後にした。僕は善花につらかった思いを話すことができたせいか、その晩は静かに眠ることができた。

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