少年の国 第25話 善花の兄さん
しかし、その翌朝、善花もつらい思いを胸に秘めていたことを知る。
僕はハンメが生活のため不自由な目で縫い上げた、数枚の子ども用のパジチョゴリ(韓国の服)を駅前の市場へ納めるため、大きな風呂敷包を抱え、再び避難民の人であふれる町へと向かっていた。そこで善花とその家族の姿を目撃したのだ。
「あれ、善花?」
思わず声を掛けようとしたが、彼女とそのアボジ、オモニの思い詰めたような表情は、何やら人を寄せ付けない雰囲気があった。僕は、彼らに見つからないようそっと後を追った。
やがて善花たち家族は、南下する避難民の流れのそばに立ち、「善基ー! 善基ー!」と大声で叫び始めた。
善花はアボジとオモニから少し離れたところへ移動すると、「お兄さん! 善基兄さん!」と何度も避難民の群れに向かって呼びかけた。
僕は思わず言葉を失ってしまった。
(そうだ! 善花のお兄さんは、師範学校へ通うため、ソウルに残っていたんだ!)
思い起こすと、戦争が始まってから、善花と会う機会はほとんどなかった。昼間のぞいても彼女の家は静まりかえっていたし、井戸で会ったのも昨晩と、その前に僕が釘を研いでいたときのたった二度だけだった。
(あのとき善花が泣いていたのは!)
僕はあの釘を研いでいた日、善花の泣いていた意味が初めて分かった。
戦争が始まってから今まで、善花家族はソウルに残っていた善基兄さんを捜し続けていたのだ。
僕は何も知らずに泥団子戦争に夢中になっていたり、善花に自分の悲しい思いばかり打ち明けていたことに恥ずかしさを感じ、彼女に話しかけずにはいられなかった。
「善花……」
突然声をかけられた彼女はハッと振り返った。彼女の目は涙で潤んでいた。
「善花ごめんね……。お兄さん、ソウルに居たんだよね……」
「海守……」
善花は小さくうなずくと、ぽろぽろと涙をながしながら、
「お兄さんの学校が爆撃されたの……。善基兄さんもその友だちも連絡がとれなくなっちゃったの」
そう言うと顔を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
「何かあったら、蔚山へ逃げてくるって約束したのに、もうひと月以上捜してるのに、全然戻って来てくれないの……」
「善花……、僕も手伝う」
「海守?」
僕は善花の隣に立つと、「善基さん、善基兄さーん!」と大声を張り上げた。
「どなたか善基兄さんを知りませんか? ソウルの師範学校の様子を教えてもらえませんか?」
善花も声をからしながら叫び続けた。しかし、避難民の群れはただ黙々と南へ向かって
進んで行く。そんな中、僕と善花は一生懸命大声で善基兄さんの名前を叫び続けた。
どれだけ叫んでも、一向に手がかりは掴めない。
(これじゃ声がかれるばかりで、遠くの人に聞こえないや。何か作戦を立てないと)
僕はふとあることを思いついた。
「善花、僕に考えがある。後で井戸で会おう」
そう叫ぶと、善花と別れ大急ぎで町を後にし、ある場所へと全力で走っていた。
僕が向かった先、それは困ったときの親友頼み、龍大の家だった。
「龍大ー!」
大声で叫びながら龍大の家の門をくぐると、彼は弟に手伝わせながら薪割りをしている最中だった。
「何だ海守、血相変えて?」
「龍大、頼みがあるんだ。一緒に手伝ってくれ!」
僕は手をバタバタさせながら善花のお兄さんのことを話した。
「善花はお前の好きな子だもんな。俺としても手伝わないわけにはいかないだろ」
「好きな子って? 善花はそんなんじゃ」
「嘘ついたって無駄だよ、お前のことなんかぜーんぶ分かる。俺たちはチング(親友)だからな」
龍大はにやにや笑いながら、弟に大鉈を手渡すと、
「よし作戦会議だ!」
「ああ!」
僕と龍大は牛舎の脇で、ぼそぼそと密談を始めた。
その夜、僕は井戸の側で善花を待った。
「どうだった?」
約束通り水を汲みに来た善花に僕は声をかけた。善花は黙って首を振るだけだった。
「善花、明日から僕らも手伝うから」
「ぼくら?」
「ああ、龍大も手伝ってくれることになったんだ。それにさっき二人で作戦も考えたし、きっと善基兄さんも見つかるよ」
「ありがとう海守……」
善花は、そっとうなずいた。
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