教育のリフレクションのポイント(2)
1.教師として自ら成長しようとする力
教員は、理論と事実に基づいて自分の実践についてのリフレクションを行い、教員としての専門性を高めて成長し続けます。
02 日々の授業や継続的な研修を通して専門家としての成長を図っている。
このブログを読まれる方にとっては、あまりにも「あたりまえ」なことだと思います。すでにルーティーンワークになっていれば、特に考える必要もないことかもしれません。
そこで、ちょっと新しい話を。
デンマークの対人援助職「ペダゴー」の養成にあたって大切なキーワードが3つあると言います(デンマークのペダゴー養成のテキスト
Om pædagogiske miljøer og aktiviteter「教育環境と教育活動」から)。
(ペダゴーというのは、保育士、介護福祉士、小学校低学年の2人担任のうちの生活面を支える1人、特別支援教育の教員、学童保育指導員など、人のウェルビーイングをサポートしていく専門職で、大学で3年半のコースを修了して国家資格を取得します)
1.ペダゴジー
2.ダンネルセ
3.クリティーク
今日は、この3つについて考えていきましょう。
1.ペダゴジー
ペダゴジーというのは、教育学、教授学、教育方法学、などと訳されるのですが、日本の教育=エデュケーションの意味よりも、力点が「学び手が学ぶことを支える」方にあります。どうやって教えるか、というよりも、「どうやって学び手が学ぶような状況を作るか」ということを問いかける意味合いがあるのです。
この言葉を知っていると、今日の授業を振り返ったとき、「うまく教えたな」という自己満足ではなくて、「子どもたち一人一人はどう学んだかな」という視点で授業を捉えることができるようになります。
2.ダンネルセ
ダンネルセというのは、生涯かけて学び成長していく人という存在が形成されること、形成していくこと、つまり、知識やスキルという認知的な成長だけでなく、総合的な人間としての成長 というような意味です(意味が深すぎて、これで言えているかちょっと不安)。日本語で陶冶と言われるドイツ語のBildung とつながる言葉ではないかと思います(詳しい方に教えていただければ幸いです)。
ペダゴジーを実践していく際に、どんな人間観をもって、どんな対象をどのように育て、教え、扱うか、ということについて、しっかりと考えるための基本的な概念です。
教員は、他者の成長を助け、自分自身もまた、教育活動や実践に参加することを通じて成長していく専門職です。その人間理解、価値観、目標、課題、方法がどのようなものかが、教育のあり方に反映されます。教員自身が、歴史や文化や社会に根差しているわけですから、その社会における教育観に影響を受け、時には縛られているのです。
ですから、自分の授業は、これまでに出会った様々な教育のあり方に強く影響されて出来上がっていて、自分ではその影響に気づけないことも多いのです。ヒドゥンカリキュラムという概念がありますが、隠れたカリキュラム、つまり、意図せずして行っていることが、授業に反映されてしまっているわけです。
ですから、リフレクションをするときには、かなり注意深く、そこで何が起きていたか、を吟味する必要があります。いい悪いではなく、そこで何が起きているかについて、自分の視点以外の第三者の視点をいくつ置いて、検討できるかどうかが大事であり、そのことを意識することが必要なのです。
そうすると、生徒に対して、自分がこの授業で伝えたことはなんだったのか、どんな隠れたメッセージが伝わったか、その生徒の一生の中で、今日の授業がどの部分を担ったのかをときどき振り返ることが必要だということがわかるでしょう。
3.クリティーク
教師は、自分を形作っているさまざまな要素や自分の教育を取り囲んでいる地域文化に基づいて授業を行っているわけですが、そのことをいかにクリティークに振り返ることができるかが大事です。
実践を改善し、変革し、発展させるためには、今ここで何が起こっているのかを、幅広く深い視点で議論し、検証し、評価し、判断しながら実践に関与していかなければなりません。社会で起きていることに対してもクリティークな目を向け、その中でやっている自分の授業に対してもクリティークな目を向ける、というのは、なかなかに難しいことです。
周囲の人たちは全く気がつかずに「これがいい」と思ってやっているかもしれないけれど、他の視点を持った人から見ると、はて?と思うことだったりするのです。
あるとき、カナダからのゲストが小学校低学年の朝礼を見学しました。
その方は私に言いました。
100人以上の子どもたちがじっと座って話を聞いているというのは自然じゃないね。ほら、靴の紐をいじっている子がいるよね。発達段階を考えると、あの子が普通。それなのに、ずっと先生の話が続いている。これはどういう教育なんでしょう?
日本では、たとえつまらなくても偉い人の話を長時間、静かに聞くことが求められます。それは、日本社会の中では当然のことですが、もしかしたら、つまらなかったら「つまらない」という方が自然かもしれません。それができることが、社会に出たときに成功するために必要かも知れません。
あるいは、それがつまらないと感じているのだとしたら、聞き流しているのだとしたら、なぜ登壇者はそのことに対応せずに「上の空の生徒たち」を相手にずっとしゃべり続けているのでしょうか。子どもたちがあきらめて、静かに待つようになると、「我慢する力がついた」ことになるのでしょうか。
日本社会では従順なことが大切なので、そういう子どもたちを育てることがいいことで、先生たちはそれを目指して、「子どもたちにとってつまらない話」を延々としているのでしょうか。
海外の自由度の高い教育の世界から、日本の教育を見ると、ちょっと不思議な光景だったわけです。ここでどちらがいい悪いと言いたいわけではありません。ただ、日本の中にいてあたりまえになっていることを振り返るには、クリティークな視点が必要だし、その上で、自分は何に影響を受けてこれをしているのか、これを自分で選択してやるのか、やらないのか、それは子どもたちにどういう影響を与えているのかと考えることは、教育者として必要なことだと思います。
リフレクションをするときに、「今までの自分の思考の中だけでリフレクションをしても見えてこないこと」があります。どれだけクリティークな姿勢を持っていられるか、世間の思考、自分の言動に対して、「はて?」と立ち止まれるかが大きな改善ポイントになるのです。
今回のリフレクション「02 日々の授業や継続的な研修を通して専門家としての成長を図っている」の意味するところは、実は簡単なようでいて、そうではない、ということが伝わりましたでしょうか。
リフレクションを身につけるというのは、特別な手続きで特別なことをするというのではなく、自分の内外にたくさんの視点を持っていて、振り返る姿勢を常に持ち続ける、それがルーティーンになっていて常に自然に行われている、という状態を作り出すことなのです。
※ 撮影 室伏淳史氏
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