主体性は育むものではありません。
主体性を高める、主体性を育てる、主体性を身につける。
こういう言葉が普通に使われています。
でも、
そもそも主体性というのは健康に身体が動く赤ちゃんであれば、
誰でも持っていて行使しているものです。
(このイグアナだって主体的に動くと思います)
人は誰でも赤ちゃんでした。
つまり、主体性のない人間などいないはずなのです。
それなのに、主体的でない子どもや大人が日本にたくさんいるとしたら、
それはなぜなのでしょうか。
赤ちゃんは、この社会が、自分を取り巻く世界がどうなっているのだろうと知りたくて知りたくてたまりません。好奇心の塊です。
毎日、体を動かしてみては、新しいことをどんどん学び、
ものすごい勢いで次のステップに進みます。
おもちゃで少し遊んでも、そのおもちゃがどういうものかがわかったら、
すぐに飽きて泣きます。次の何かが欲しいというのです。
構ってもらえないと泣きます。新しい体験がしたいのです。
どんなにおとなしい赤ちゃんも、
その子の発達に合わせた刺激を与えれば、必ず反応します。
だから、もし、主体性がない、主体性に乏しい、という子どもがいたら、
それは、
成長の途上で失われてしまった!!
剥奪されてしまった。
ということなのです。
主体性を奪った何か、がある、ということです。
その子どもの周囲に、主体性を奪った人がいたか、環境があったかです。
主体性を奪っておいて、それをもう一度取り戻すよりも、
最初から奪わないでいてあげられたら、その方がいいと思いませんか。
でも多くの大人は、
まさか自分が子どもの主体性を剥奪しているなどとは思いません。
みんな子どもの成長を願って、あーすればいい、こーすればいい、
と考えて接しているのです。
ヨチヨチ歩きの赤ちゃんが、少し年上の赤ちゃんの遊んでいる手押し車のところに近づこうとしたとき、お母さんが後ろから引き止めました。
いわゆる羽交い絞め、です。
せっかく、好奇心を持って主体的に歩き始めたのに、
お母さんは、争いごとになってはいけない、別の子の邪魔をしてはいけない、危険なことがないように、と、その主体性を剥奪したのです。
こういうことが繰り返されると、赤ちゃんは、自分が何をしていいかの判断ができなくなります。間違えてはならないし、冒険もしてはならないと学びます。大人がいいよと言ってくれたことだけをするしかないのです。
大人たちは、子どもをよく伸ばそうとしてひっぱります。
でもだいたいそれは子どものやりたいことではなくて、
大人がさせたいことです。
急に抱き上げたり、おもちゃを与えたり
気をひいてみたり。
いえいえ今はやりたいことがあるんですけど。
でも大人は巧妙だから、赤ちゃんはすぐに気を逸らしていうことを聞きます。聞かん気な子どもは叱られ続けます。
保育園や学校で、目標やめあてを作ってそれに向けて育てようとしたり。
例えば、今年は主体性のある子どもを育てようとか、
授業は主体的に学ぼうとか。
そうじゃなくて、必要な目標は、
主体性を奪わない大人でいよう
なんですけれどね!
主体性を育むとか言っている人は、
まず自分を疑ってみるといいと思います。
来年度の学校教育目標は、
主体性のある子どもを育てる、ではなくて、
主体性を奪わない大人を育てる、にしてみてはいかがでしょうか。
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