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学ぶということ、教えるということを学ぶ立場で学ぶ

私は、3月まで、一応、職業=先生、だったわけですが(今でもそうみたいですが、あまり自覚的でない)、

今、自分が教える機会よりも、
いろいろなことを、いろいろなパターンで「一から教わる」
機会の方が多くて、「学んで」います。
それはもう、
本当に実感として「学ぶ」とはどういうことかを学んでいます。
既にこういうときはこうなると知っていたことも改めて「感じて」います。

できたときの気持ち。できないときの気持ち。
できる人とできない人の差はどこで生じているのか。
一斉授業や個別最適化のそれぞれの状況で、教わる側が何を感じるのか。
周囲から取り残された時、教えてもらえないとき、声をかけづらいときの生徒の気持ち。
先生と生徒との関係、先生と先生の関係を、生徒はどう受け止めて、どう対応するのか。教室内の力動が学びにどう影響するのか。
先生と生徒の人数による学びの違い。
ほめることと叱ることの学びに与える影響。
情報提供のタイミングと方法。つまり、先生がやる場合、見せる場合、生徒にやらせる場合、放置する場合、先生がやってしまう場合。
主体的に学ぶための条件はなにか。
効果的な宿題と自主勉強。
オンラインと対面と録画教材における学びの違い。

毎回、自分の学びに伴う感情と付き合いながら、
よき生徒であろうとする自分とそこから離れるときの自分を観察しながら、そこに関わってくる多変量を質的に解析しています(と書いておく)。

最初からそんなことを考えていろいろと学び始めたわけではない
のだけれど、
自分が物を教わる立場であるということを改めて強く意識していると、
本当にいろいろなことが感じられるのです。
町の子どもたちもお店の人たちも、
あらゆる人たちが私にいろいろ教えてくれている、ということにもあらためて気づき始めました。

ちなみに、今の私の学びの場にいるのは、ほとんどSNSと関係ない方たちです。
そして、現実は、無器用でのろまでついていけない、
できの悪い生徒として必死な自分と格闘していて、
そこから距離を取るために知性化を図っているだけなわけです。
てへべろ(・ω<) 

#J .ロックランに学ぶ教師教育とセルフスタディ
#教えること #学ぶこと #教えることと学ぶことを教えること  
#先生 #生徒 #教師教育学  

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