見出し画像

元バルサのコーチが語る フットボールの前提

今回の記事は、「元バルサコーチが語る シリーズ」の第二弾となります。

第一弾では「日本の選手を見て感じたこと、スペイン人の強み」、「スペイン人から見た、日本人の傾向」「日本の選手が学ぶべき要素」、「フットボールをする上での日本人の強み」などをまとめました。

今回も、前回に引き続き、彼(スペイン人指導者)がインタビューを通して語った「日本で指導して感じたこと」をまとめています。フットボール大国のスペインが考える「フットボールの理解」についてや、「チームワークの定義」についての考え方は、スポーツの域を超えて、仕事という側面から見ても大いに参考になるものでした。

世界のフットボールでは「日本化」が起きている

少し前、国際親善試合イングランド対フィンランドの結果は、0対0で終わった。イングランドはハリー・ケインをはじめとする主力選手が多くプレーしていたけど、結果は引き分け。

何が言いたいかというと、現代フットボールは日本人の選手のように、選手の特徴や、能力が平均化されてきているんだ。僕としては少し残念なことなんだけど、違いを作れる選手がだんだんと減っているね。もちろん、「メッシ」「ロナウド」「ネイマール」のような素晴らしい個性を持った選手はいるけど、段々と選手たちから個性や特徴が差し引かれていってるよね。

例えば、昨シーズンのアヤックス。
アヤックスは、チャンピオンズリーグでレアル・マドリーを倒した。現在バルセロナでプレーしている「デ・ヨング」はいたけれど、今のレベルではなかったように思う。彼一人の力だけではなく、他の選手との相性や協力するという事を通して自分の力をうまく発揮していたね。

現代のフットボールは、今言った流れ(選手の能力均一化)が主流になってきているように感じる。どういうことかというと、前よりもクリエイティビティーが失われてきているんだよ。しかし、選手の能力均一化自体は悪いことではないと思う。そのおかげで、ゲームスピードは上がったし、選手全体のクオリティも高まった。クリエイティビティは失われつつあるけれど、他の側面から見たら、いいことも沢山あるからね。

しかし、「何かが成長したら、何かの成長が止まる」ということを頭に入れておかなければならない。全て完璧はあり得ないからね。一つだけ注意しなければいけないのは、選手の能力均一化が極端に進もうとしていること。だからもう一度、ストリートでプレーする感覚や、選手のイマジネーションを育む育成を取り入れていかなければならないと思うんだ。

画像1

組織のあり方、クリエイティビティの育み方

日本には、「これが日本!」というスタイルがないよね。監督が変わる度に、方針が変わっている気がする。それでも、今の日本代表は評価を上げているし、世界から徐々に認められてきている。とても素晴らしいことだと思うよ。
けれど、相変わらずゴールを決めるのに苦労しているように見えるかな。「上手いけど、怖くない」というのが、僕たちヨーロッパ人が、日本に対して抱いてる感想。日本のスタイルは、僕たちスペインのスタイルと似ていると思う。
ボールを動かそうとするし、コンビネーションをうまくつかってプレーしようとしているね。
しかし、なかなかゴールが決まらない。

ゴールを奪う為に必要な能力ってなんだと思う?
それが、クリエイティビティーなんだよ。
日本人に欠けている能力だね。フットボールのゲームでは、常に状況が変わるんだ。ゲーム中は、自分たちのスタイルを基に、状況や瞬間に応じて、個人が「決断」しなくてはいけない。
想像力を発揮して、それを早いスピードで実行する必要があるんだ。

チーム内で、クリエイティビティーをうまく発揮させる方法は、そんなに難しくないんだ。
それは、様々なパーソナリティー、様々なタイプの選手をチーム(組織)に入れること。様々な考え方は、多くの解決策をくれるんだ。皆に同じこと、同じ能力を求めるのは間違いなんだよ。
後になって、その求めた能力が役に立たなかったら、もう誰も対応できなくなってしまう。
そうなってしまったら後戻りはできないからね。
違った特徴やアイディアを持った集団は、一つの可能性が絶たれても、他の解決策を生み出せるんだ。

クリエイティブに!というと、日本人は真面目だから、みんなでクリエイティブになろうとするけれど、そういうことじゃない。様々な価値観や、考え方を持った人を集めて、より多くの解決策を生み出す。

個人レベルでの話しだと、スペインではストリートでボールを蹴るんだ。それがクリエイティビティーの源になっていると思うね。ストリートでは、誰もプレーの仕方を教えないから、自分でプレーの仕方を見つけていくしかないんだよ。
教わらないことが、個人の想像力を育むんだ。
誰も教えてくれないんだから、自分で考えながら学ぶしかないでしょ?日本の子供達を見て、教わりすぎていることを感じた。情報を与えられているだけなので、なぜその情報が必要なのかを自分で理解できていないんだ。

「これはこう」、「君はこうしなさい」ってね。
教えることも大切なんだけど、それがいき過ぎてもいけない。「こうなってるから、僕はこうする」の連鎖が大切なんだよ。知識や情報は、それらがあることによって、自分にとってベストな選択ができるものでないと意味はないんだ。
だから、子供が教わった知識を検証できて、自分のアイディアを試せる場が必要だと思う。

「戦術」と「フットボール」を別で考えない

スペインだと、子供がサッカーを始めてからすぐに、大まかの「戦術」を教える。まず基本を教えないと、後で苦労するからね。メッシのようなテクニックがあったとしても、戦術を理解できていなければ、試合で活躍することはできない。
戦術理解ありきのテクニックなんだ。

戦術を教えるのも、いきなり難しいことは教えないんだ。あくまで、僕たちスペイン人が解釈している「フットボールとは」ということから段々と教えていくよ。例えば、20m四方くらいのグランドを作り、中でボールを回させる。
ボールを持っているチームには決められたポジションでプレーしてもらい、ボールを奪うチームは中のスペースを消しながらボールを奪いにいくというシンプルなことから教える。
それを初めに教えるだけで、大きく変わるね。

去年の夏、バルサキャンプでの出来事。
ゲーム開始前は不安があったチームが、相手より良いポジションにつき、スペースをうまく使えていて、結局最後はゲームで勝ったよね。
攻撃時は、正しいポジションについて、グランドを広く使う。守備時は、コンパクトに中を絞り、グループで守っていたチームが最終的にゲーム大会で勝っていたんだ。フットボールはチームスポーツだから、チームとして機能しているチームが勝つ可能性が高いんだ。技術はあくまでも、「試合を支配する確率を高めるもの」なんだよ。

画像2

フットボールというゲームを理解するには

フットボールを理解することは、「君だけが主役ではない」ということを理解することなんだ。
あくまでも主役はチーム。例えば、君がもし1日中ドリブルやテクニックの練習をしていたとするよね。そうすると君が主役になる。君だけがボールを支配しているからね。この状況は、フットボールというチームスポーツでは、絶対に起こらない現象なんだ。日本の選手は特に、フットボールにおいての主語が、「自分」というマインドセットが強く見られた。しかし、フットボールでの主語は「私たち」なんだよ。

フットボールをプレーすることは、
「君と同じように、チームメイトも主役になる」ということなんだ。僕には、ほぼ全ての子供が自分のチームで誰が一番うまいかを探しているように見えた。選手とボールの関係性を一番に重視していて、「どの選手がボールとの関係性がいいか」というところばかりを気にしていたんだ。

逆に、スペインの子供たちは「みんなが主役」になれるチャンスがあることを理解しているんだよ。誰でもゴールを決めれる可能性があるし、「誰でも主役になれるぞ!」ってね。反対に日本の子供たちは、誰が主役かを探していた。
そしてその主役に、責任やチームでのやり方を決めるプロセスを任せていたんだ。「みんなできるぞ!みんなで考えよう!」ではなったね。
うまい選手に任せて、どうなるか見てみようという感じだった。僕が日本で見て驚いたのは、チームの主役がボールを失った時、誰もその子に対して何も言わなかったこと。

しかし、チームで上手くない選手がボールを失ったら、その子に対して文句を言っていたよね。
スペインだと、上手い選手がボールを失っても、うまくない子供がボールを失っても、怒る選手は同じように怒る。選手の技術レベルで対応が変わるなんてことは起こらないんだ。
なぜかと言うと、「テクニック」は選手を評価する上で、あくまで一つの要素でしかないことを、みんなが理解しているんだよ。それぞれが、それぞれの個性で主役になれる瞬間があることを分かっている。

スペイン人にとっての「チームワーク」の定義

さっきの話しと被るころがあるけど、僕たちにとってのチームワークは、「君がいつも主役とは限らない」ということを理解すること。もちろんどこかのタイミングで必ず主役になれる場面は存在する。けど、チーム全体の利益のために自分が働く必要がある時もあるんだ。例えば、僕が君とプレーしているとする。僕は君よりも活躍したいから君にパスをしないとする。しかし、君にパスをして君がゴールを決めれば2人の成功になるよね。
それを理解できていれば、僕は君にパスをする。
これがチームワークだよ。一人の成功ではなく、全体での成功を考える。君も笑って、僕も笑うということ。それぞれが何かに秀でていることを理解し、協力しながら何かを成功させることを目指すことがとても重要だね。

スペイン人にとっての「謙虚」の定義

僕たち(スペイン人)にとって「謙虚」とは、
「君が思っているより君の力は小さい」ことを理解すること。ちなみにアメリカでは、「君は素晴らしい。しかし学び続ける必要がある」ということを理解するということだった。国が変わると、解釈や世界の捉え方は大きく変わるよね。
同じ「謙虚」という言葉をとってもこんなに違うんだ。僕たちスペイン人にとっては、アメリカの「君は素晴らしい。しかし学び続ける必要がある」は「謙虚」ではないんだよ。どちらかというとそれは「野心」という言葉になる。
日本だと、「自分には能力がない」ことを認めること、譲ることが「謙虚」ということに感じたな。だから、言葉をそのまま飲み込んではいけないと強く感じたよ。違う文化をそのまま解釈するとおかしくなるんだ。だから、使われている言葉を自国の言葉にすると、どのような意味になるのかを理解しなくてはいけない。

画像3

スペイン人にとっての「リスペクト」の定義

他人を、自分と同じように大切に扱うことが「リスペクト」。誰かを特別扱いするのは、リスペクトではないかな。例えば、僕が君に何かアイディアを言ったとする。そうしたら君が「もっとこうした方がいいんじゃない?」と僕に提案してきたとする。その状況が起きた時に、君の意見を受け入れ、フラットな目で2つの意見を比較することが「リスペクト」だよ。誰かを特別扱いするのは、文字通り特別扱いだね。

スペイン人にとっての「努力」の定義


「もうできない。」と思った時に、もうちょっと力を振り絞ってみる。自分が疲れていても、仲間が困っていたら、自分と仲間のために力を貸すこと。「努力」とはその人の内側から生まれるものだね。やるべきことをやること、誰かからやらされたことは努力ではないね。
チームにとっての利益や、自分の成長のために、プラスアルファで力を出そうとすること。
あくまでも、自分の内側から生まれる「プラスアルファでやろうとする気持ち」を大切にして欲しいと思う。


第三弾に続く・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?