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【ちょっと昔の世界一周】 #5 《私の旅》

バンコクで始まった旅人としての私の生活。

とはいえラオス行きのバスが出るその日、その時までは特に目的も無い。

バスのチケットを購入後、私はひとまず当てもなく歩いてみた。

話には聞いていたがカオサンロードは想像以上の刺激だった。

無駄に店(屋台)を覗いて歩く。

端まで歩いたがとりあえずは片方の歩道沿いを歩いてきただけなので、反対の歩道沿いを歩きながら戻ってみることに。

看板を見る限り、宿・レストラン・旅行会社がびっしり。
それらが入っているビルにはその他の店も入っている。

さらに建物の間を見ると路地の先にも様々な店がある。

それに加えて道を埋め尽くす屋台。

そこに私も含め旅行者、地元の人たちのようなお客さんが歩いている。

『歩くだけで楽しい』

ただ歩く。
それだけで刺激を感じる。

旅の初日ということもあるが自分の中では大満足。

〝自由〟という時間を受け入れ始めた私は改めて〝旅〟を楽しんでいた。

そうしているとまたカオサンロードの終点、始めに道を渡ってきた場所に戻ってきていた。

『ひとまずチケットを置きに宿に戻って、持ってきているガイドブックを見て観光スポットにでも行ってみようかな…』

そう思い、宿に向かって歩こうとした私の目にある看板が目に入った。

【Internet】

インターネットカフェ。
通称〝ネット屋〟

海外を旅する旅行者にとって、家族や友達との連絡・旅先の情報を調べる大事な存在(2008年当時)だ。

そうだ、家族に連絡していない。

そのことを思い出し、これから何度もお世話になるであろうネット屋に足を踏み入れた。

インターネットカフェといっても日本とは雰囲気が違う。

入り口に受付といった感じで店員がいる。
その奥にパソコンがズラーっと何台も並んでいる。

プライベートな空間ではない。

店員に声をかけると番号を言ってくれるので、その番号が書いてある席に座る。

そうすると店員が自分のパソコンを操作し始め案内された席のパソコンがネットに接続される。

利用する方は各々用事を済ませ帰る際にもう一度店員に声をかけ料金を払う。
大抵1時間いくらというように書いてある。

私が声をかけると店員(私よりも若い感じの青年)が番号を言ってくれた。

席に座り接続を待つ。
画面がパッと変わり一般的なデスクトップの画面になる。

まずはブラウザを選びメールにを見るためにログイン。

旅用に作っておいた自分のアカウントを開けばいいと思っていたがここで問題が…

日本語が表示・入力できない。

調べておいた方法を試すもそもそも日本語が入っていない…

どうしようもないので、店員に声をかけると親切に彼も試してくれたがやはり日本語が文字化けして表示すらされない。

と、ここで別のパソコンにしていいよ!と言ってくれた。

日本人らしい旅行者がこっち使ってたから、これ使ってみな!

そんな感じで案内してくれた方を使うと無事に表示・入力される。

一安心し到着のメールを送る。

とりあえずネット屋デビューは終了。

改めて宿に戻り、その後はバンコク観光。

翌日、翌々日も様々な場所を訪れた。

基本は歩きだが、気になっていた水上バスにも乗ってみた。

これがなかなか気持ちがいい。

思い返してみたが、こういう形で船に乗ったことがない。

水を間近に感じながら進む。
かといって観光という雰囲気ではなく、生活感がある雰囲気。

私のような貧乏旅行者(旅行している時点で貧乏ではないのだが...)はバスの方が節約にもなるのだが、私にとっては水上バスのほうが性に合っていた。

*****

色々と見て回っているうちに考えさせられることもいくつかあった。

観光スポットを見終わり、近くにあるもう一つの場所に行こうとしていた時のこと。

歩き始めてすぐにタイ人らしき男性に声をかけられた。

タイらしい満面の笑みで挨拶してくる。

そして

「〇〇(目的地)二イクンデスカ?キョウハオヤスミデスヨ。イイバショオシエマスカ?」

【海外旅行時に気をつけること】に書かれていそうなほど、典型的なボッタクリの気配が漂っている。

あいにく、それまでいた場所で水を買った際に次の場所の話を聞いて、開いてることも確認済み。

さらにこちらはすでにボッタクられたことがあるので、それなりに用心している。

相手にせずに行こうとするがしつこく声をかけてくる。

「オニーサン、シンジテクダサイ」

なのでこう答えてみた。

「一度〇〇に行って閉まっていたら戻ってくる。オニーサン、シンジテクダサイ!

OK...そう答える彼の顔から笑顔は消えていた。

やはり、旅行者という存在は特別なのだろう。

〝特別〟…そう、色々な意味で…

そして、もう一つの出来事は〝物乞い〟

至る所で手を伸ばしている。

もちろん想像はしていた。

しかし、これほどとは…

だが私には考えがあった。

旅のスタイルとしてはいかに節約していくか。
イメージとしては貧乏バックパッカー

そうは思っていても旅をする時点でお金はある

しかしそれは今まで仕事をしてきたから。

ただ手を伸ばし得たお金ではなく、それをもらうだけの労働をした対価として手に入れた物。

人それぞれ事情はあるだろう。
だからといって何かしらをして働ける可能性はある。

ただ座り手を伸ばす。
そうすることで収入を得ることを覚えさせてはいけない気がした。

私ぐらいの年齢の者が言うのは変かもしれないが、これは自分の信念として決めたこと。

なので物乞いにお金を出すことはしなかった。

あとでバスのチケット買った旅行会社の店長に聞いた話だが、タイの物乞いを取り仕切っている団体・組織があるらしく、そこに集まった中から女性と障害児の組み合わせで物乞いに行かせ【障害のある子供がいる母】というキャラを作って同情してもらおう。そういう動きがあるらしい。

ふざけるな!と思ったがそれがここで生きていく術なのだろう。

もちろん、純粋な物乞いもいる。
しかし、私のような甘い考えの人間では判断できない。

旅行者という〝特別〟な存在である以上、私は私の考えで進んでいこう
その考えが強いものになった。

*****

こういったこともあったのだが、素敵な出会いもあった。

朝食は縁のあるスタッフがいるので宿で食べていたが、それ以外は気になるものを食べ歩いていた。

宿からカオサンロードに行くまでの道に屋台が出ているのだが、初日の夕方にその中の一つでタイの焼きそば〝パッタイ〟を買った。

味も良かったのだが何よりその店は男の子、それも14、5歳ぐらいのお兄ちゃんと10歳ぐらいの弟で作っていた。

陽気な兄弟。
私も含め近くを歩く旅行者に声をかけていた。

何気なく買って、近くの木陰で食べると美味しかった。

「Good !!」

と言い親指を立てる。

向こうも笑顔でやり返してくる。

その日も数人の物乞いを見た後だったので、彼らの姿がとても心にしみた。

翌日も昼頃から店を開けているらしく何度か見かけた。

なので、夕飯はここで買おう!

そう決めて毎日通った。

お互いに会話が成り立つほどの英語はできない。

だが、言葉ではない〝何か〟で通じ合えた気がする。

バンコクで過ごした日々は数日。

しかしこの数日で今までの何年分に相当するのだろうといえる体験をしラオスに出発する日を迎えた。

ラオス行きのバスは夜行。

出発は夜なのだが、荷物は旅行会社で預かってくれるので朝食を食べチェックアウトをする。

例の従業員とも目が合う。

「Bye !!」

どちらからともなく挨拶をしハイタッチをして見送ってくれた。

さぁ、新しい場所へ向けて出発だ!

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