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見える幸せ

note始めて4ヶ月程。
自己紹介の時も書いたが、改めて自分の持病である〝黄斑変性症〟についてまとめてみる。

とは言っても、素人の説明では分かりづらいのでGoogleに頼り1番初めに出てきた説明はこちら

簡単に言うと見えない。

全く光を感じない〝失明〟とは違うのだが、生活において支障をきたす〝社会的失明〟の原因になるものだ。

見え方はこんな感じ↓

              出典:千住町眼科

見づらい!

一般的には年齢が高くなってからの発症が多いので《加齢性》黄斑変性症と言われているが、若くてもなる人はなる。

まさに私がそう。

今から15年前、24歳の時に発症した。

今でも覚えている。
テレビを見ていると突然、画面が歪み出した。
そして、気持ち悪くなってきた。

なんだ!?

これが素直な感想。

一度目をつぶってから開けるが変わらない。

片方ずつ開けてみると、どうやら右眼が歪んでいるようだ。

寝れば治るかな?と信じ、ひとまずその日はそのまま過ごした。

翌日、目を覚ましたが変わりない...

流石に病院に行こうと思い朝一で眼科へ。

そして、聞いたこともない病名を伝えられる。

黄斑変性症

近所の開業医の眼科だったのだが、うちでは難しいと言われ医大に紹介状を書いてもらう。

もう、なにがなんだかわからん。

そして、2度目の受診。
そこで詳しく話を聞く。

今ではかなり一般的?になった病名だが、当時は(病院の先生の話しでは)それほど浸透していなかった。

しかも、若年性での発症は症例的に少ないと言われた。

本当にかなりのショックだった...

発症の2ヶ月ほど前に世界一周の旅を終えたばかり。
その旅で考え方がガラリと変わり、何でも受け入れるようになっていたが、さすがにキツかった。

とはいえ、旅の効果に加え父が先天性の難病を持っていたこともあり

何がどうなろうが、なったもんはしょうがない

という考えに落ち着いた。

その後、右眼は何度か出血&網膜剥離、左眼も軽度の黄斑変性症になって現在に至る。

こんな感じの私の眼だが、そのおかげでいい経験・学びができた。

旅の間に気になっていた写真。

帰国後に趣味としてやってみようか。と考えていた時期の発症だった。

少し見えるようになった際に

『せっかくなら、見えるうちに見える世界を残しておきたい』

そんな思いで写真を始め今では1番の楽しみだ。

その写真を通して多くの出会いがあった。

もしも普通の眼だったら、こんな風に楽しんでいなかったかもしれない。

それに、嫁との出会い。(惚気ではない)

確かに視力は悪くなった。
が、そのおかげで見た目だけではなく見えないところを感じられるようになったと思う。

嫁と付き合い始めた時、もちろんデートする。

医師からは、様々なリスクが高いので禁止ではないが車の運転はあまりしない方がいい。と言われている。

なので、私が運転して何処かに行こうとは言いづらい。

そんな時に嫁が

『病気なんだからしょうがないでしょ。私、運転好きだし気にしなくていいよ』

そう言ってくれた。

一般的にとかどうかは関係なく、2人のことは2人で考えていけばいい。という考え。

こんな風に思ってくれる人のことは大切にしないといけない。

嫁にとって私はどう見えているのか

このことも、私の眼がこうなっていたからこそ気づけだと思う。

そして、今は娘たちと楽しく暮らしている。

黄斑変性症の完治の方法は未だに発見されていないが、少しずつ治療法も増えてきている。

いつの日かはっきりとした治し方が出てくるのかもしれないが、それはまだ分からない。

でもこの病になったからこそ、見えるということの幸せを感じている。

健康の大切さ・ありがたみは何の病であろうがなったからこそ気づける。

無いものは利用できないが、有るものは利用できる

自分にとって黄斑変性症という病は、当たり前と思っていることが幸せなんだ。と気づかせてくらるキッカケなのかもしれない。

今回まとめたことで、自分はどんな風にこの病を考えているのかが分かってきた。

これからも、なったもんはなったで受け入れて過ごしていこう。

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