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自己紹介

前回初めてnoteで投稿したのですが…

始めた理由を色々と書いて公開しましたが、
自分のことを何も書いていなかったと!気づき
改めて自己紹介したいと思います。


"Nobu-Oh" (のぶおー)

1985年、福島県出身
家族は嫁&娘2人(小3&小1)
趣味は写真
その他にお酒(子育て中で行けませんが)が好きなおじさんです。

プロフィール

2008年に世界一周の旅
翌年右眼、その後左眼の病気(黄斑変性症)で視力低下・視野欠損になったことがきっかけで、自分の目で見える世界を残しておきたいと思い写真を撮り始める。
2011年に旅を通じ好きになった国であるボリビアの幼稚園でボランティア。
帰国して2012年に嫁と出会って5ヶ月で結婚。
2014年から北海道在住。

プロフィール2(長めです)

仕事〜転換点まで

学生時代の自分を一言で表すと“陰キャ“です。
今思えば友達はそこそこいたりイベント自体は好きなのですが、それよりも自分の時間を楽しんでました。
その後、高校を卒業し実家のパン屋(町のパン屋さんというよりもそれなりに大きい工場)で働き始めました。
祖父が店を始め父も働いていたので周りからはそのまま私もあとを継ぐと思われてました。そう思われて当然だと思いますが実際は違いました。
父は経営・営業職として色々な動きを作っていましたが、先天性の病気や事故が重なり片足の切断・車椅子生活をしていたのでパンを作ることが難しい体でした。
祖父にとってはその状況に満足していたようですが、30年間会社をやってきて家族に自分のようにパン職人がいないことに少し虚しさを感じていたようでした。
祖父はとても厳しくもあり優しい、大切な人でした。パンを作るのは楽しそうだし、そんな祖父に恩返しのような意味を含めて私は実家で働くことを決めました。
(そんな理由で就職したこともあり、家業だから。ということも特になく、今は実家を離れ全く関係の無い仕事をしてます)
自分で言うのもなんですが、パン作りの才能があったようです...色々と順調に仕事をこなせていたのですが、仕事を通し様々な人と出会いや経験をし、ふと

そうだ、世界へ行こう

そう思い世界一周を決めました。
(きっかけはあるのですが長くなるので今回は省略します)

自分探しとかそんなかっこいい理由ではなく
ただ世界を見てみたかった

世界と自分

2007年の春に思いつき用意を始め
2008年の夏、誕生日に世界一周の旅を開始しました。
一人旅はほぼしたことがなく、海外も1度きり…
とりあえず行けば何とかなると思い世界一周航空券を使って8ヶ月ほどですが旅をしました。

世界一周航空券とは
世界一周航空券は1枚ではないのです。航空券が何区間・何枚も集まった束になったもの一式を世界一周航空券と呼びます。
航空券の束といっても、回数券のようなものではありません。出発地から世界を巡ってまた出発地に戻るまでの連続した区間数分の航空券(ルート)です。

例えば、
 1枚目: 東京-北京
 2枚目: 北京-バンコク
 3枚目: バンコク-ローマ
 4枚目: ローマ-フランクフルト
 5枚目: フランクフルト-ニューヨーク
 6枚目: ニューヨーク-サンフランシスコ
 7枚目: サンフランシスコ-東京

この7枚の区間数の集まりが世界一周航空券です。
出発地から世界を一周して出発地に戻るまでの連続した航空券の区間数(1セット)の集まりが世界一周航空券なのです。

出典:世界一周堂/世界一周旅行専門店

世界一周と言っても期間中、6ヶ月は中南米にいたので中南米の旅と言ってもいいくらいですが、この時に訪れた南米のボリビアでの日々は大げさではなく今の自分の生き方・考え方の軸になるような経験でした。
旅という環境なので上辺だけかもしれませんが、人として大事なことを多く学ばせてもらえました。

その後の旅の間や帰国後も自分を変えてくれた国であるボリビアに何かできないか?そんなことを考えて過ごしている時に現地の幼稚園でのボランティアがあるという情報を見つけ、気づけば飛行機に乗っていました。
行ってなにができるか、何になるのか。ただの自己満足と言われようが子どもたちと遊びながらも約半年を過ごし、前回訪れた時よりも多くの大切なことを教えてもらい帰国しました。

ボランティア先は街の外れ
ボリビアでは中心部から離れるほど低所得世帯が多く未舗装道路もたくさんある

旅を通じて言葉では表しきれないほどの学びを世界は教えてくれました。
・人としてのつながりの尊さ
・大切な人の為に自分がすべきこと
・なるようになるさという考え
そして何よりも
言葉や国籍は違えど人と人は楽しく笑って暮らせる世界が好き

この考えは今でも私の生き方です。

見えるという日常が奇跡

旅は多くのことを教えてくれましたがもう一つ、私にとっての学びがあった出来事があります。
それは、世界一周から帰ってすぐに目が見えなくなったことです。
突然、シャワー越しに見ているかのように視界が歪みだす。初めは何が起きたかわかりませんでした。わけもわからず病院に行き診断結果は“黄斑変性症”

黄斑変性症とは、目の中にある『黄斑』と言われている部分がダメージを受け、視力の異常を引き起こす症状のことです。

ものが見える仕組みとして、目の中に入ってきた光を網膜という組織で刺激として受け取り、その信号を脳に送るために視神経に伝達します。

その網膜の中心部分が黄斑と呼ばれ、黄斑は、ものを見る力をつかさどる重要な細胞が集中しています。

加齢とともに黄斑がダメージを受けると、ゆがんで見える、視野の中心が暗くなる・欠ける、視力の低下、などの症状をきたします。

また黄斑の中心部には中心窩という最も重要な部分があり、この部分に異常をきたすと、視力の低下がさらに深刻になります。

出典:先進会眼科

正直、もうどうでもいいや...と考える日々でした。少なくとも、旅の前の私の考え方では終わっていたかもしれません。でも、見えないなら見えないでなるようになるさ。の考えで気持ちを切り替えることができました。

中心部が見えないが周囲は少しは見えるので
メガネはかけたり外したり

この頃から、見えるという奇跡を見えている間は大切にしていこう。見えなくなったら見えないなりの生き方をしていこう。という考えで過ごしています。

自分の世界を残す

今は趣味は写真とはっきり言えるのですが、昔の私は趣味といえば、読書(小説もマンガも)・ゲーム・テレビ。
なぜ写真になったかというと、旅と目がきっかけです。インドア派の自分にとっては旅=記念写真のイメージがあったのでとりあえずカメラを持っていこう、そのかわり防犯対策でポケットに入るような小さい物にしよう。そんな感じで小さいコンデジが旅の相棒でした。
当時はデジタル一眼レフが普及し始めた時代。たまに一眼を持ってる旅人をカッコいい!と思ってみてる感じでした。
帰国後、目のことがあり見えている世界を大切にしようと思った時に急に一眼を持った旅人を思い出し、自分の見えている世界を残すのに写真がいいんじゃないか...と思いつきました。

そんな理由で写真を撮り始め気づけば10数年...
今や自信を持って(内容は別としてですが)趣味は写真です!と言えるようになりました。

目のことがあって以降、旅や非日常の面白さもいいのですが“いつもの日常”の大切さを感じることが増えた私にとって、何気なく過ごしている自分の世界を残すことのできる写真という趣味は続けていきたい大切なものです。

まとめ

自己紹介なんてそんなにないかな。と思って書き始めましたが、意外と長くなってしまいました...
とりあえず、今までの私はこんな感じで過ごしてきました。

文章にまとめていて感じたのですが、どうやら私は一度思いつくと止まらない性格のようです(笑)
そんなこともあってnoteも始めたので、できるだけ続けていきます。
更新頻度はどんな感じか自分でも予想できませんが、よければまた見に来てください。

上手くまとめられず読みづらい文章になっていると思いますが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。

2023/10/9 追記
家族と写真の紹介も作りました。


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