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だから僕は「サグラダ・ファミリア」をここで建てることにした

「自分の文章なんて、外に出せるようなもんじゃないよ~」 「恥ずかしくてnoteなんか書けない…」「完璧にしてからじゃないと人に見せたくない」

めっちゃ分かる。なんなら最近、自分の文章にある言葉を言われて、めちゃくちゃ自信をなくしたし、悔しすぎて実は泣いたことがあるぐらいで書くのが嫌になった。(この話はいずれ書くと思う)

採用広報として「書く」が仕事になって1年半ぐらい。有り難いことに、社内外のいろんな人に助けてもらってここまで来たんだけど、誰かから「書く」をちゃんと教わったこともなく、ほぼ独学。

とはいえ、基礎?から体系的に学んできたわけではない。在宅勤務になって家で過ごす時間が増えたこともあり、有意義な時間の使い方として改めて「書く」と向き合い、基礎の基礎から学び直そうと思い始めた今日この頃。

良い文章とは「自分にしか書けないことをだれが読んでもわかるように書いたもの」

「書く」ってなんだろうな~、「良い文章」ってなんだろうな~と考えていると、ある本の読書会に出会った。

読み進めるとこんなフレーズと出会った。

文書を書くときに最も大切なことはなんだろうか。それは、他の人には書けないこと、自分にしか書けないことを書こうとすることである。

さらに読み進めると、「良い文章」についてもこんな記述が。

良い文章とは、
①自分にしか書けないことを
②だれが読んでもわかるように書く
という二つの条件を満たしたもののことだ。

超シンプルな定義に安心した。②に関しては、「小学生にも分かるように書きなさい」とよく聞くので意識付けで改善しやすい。

だけど、①の視点で自分が書いた文章を読むと「これって自分じゃなくても書けるんじゃないか」「誰がこんなの読むんだろうか」と思って、冒頭のような「人前に出したくない」「恥ずかしい」という気持ちになってしまう。

自分にしか書けないことの見つけ方

「どうしたら自分にしか書けないこと」が分かるのか。なんとこれについても書いてある。すごいぞこの本。

ではどうしたら”自分にしか書けないこと”を見つけることができるのだろうか。一言で言えば、そのためには、それなりの訓練と準備が要る。後に述べるように、書くときには前もってメモを取ることが必要だが、この文章読本では、メモから下書きへ至る作業のことを表現の”現場”と呼ぶ。その目的は何よりも”自分にしか書けないこと”を見つけることにある。それは、最も孤独な、深い思索の時間である。

要は訓練と準備、それはつまり考えること。良い文章を書くには魔法なんてなくて地道にやっていくしかない。ああ、なんて厳しい言葉。自分が甘かった。

”自分にしか書けないこと”を別の箇所ではこうも言っている。

”自分にしか書けないこと”、自分だけの発見や経験をできるだけ正確に言葉に表現すると言うことを指している。

では、自分で考えて見つけたことが、自分”だけ”の発見や経験だと認識するには、どうしたらよいのか。それはその内容を他者に話すなどして自分の外に出す必要がある気がしてきた。「実は僕○○な経験をしたことがあってこう思ったんだよね」「え、それあなただけの経験だよ。」って普通の会話でもよくある。

書くから離れてしまうが、確かに下世話な話だと合コンや飲み会でウケる数少ないエピソードトーク。まずは知人同士の会話で「こんなことがあってさ~hogehoge」とちょろっと話してみる。「うわ、そんな話聞いたことない!」というリアクションをもらったら、「あ、これは僕にしか喋れない鉄板ネタなんだな」と気付いて持ちネタになることが多い。

他人が読んで分かるように書いたとき、初めて自分の発見や経験が本人にも正確に見えてくるし、書く前よりもさらに深められたり、鋭くなったりするのである。

話を戻すと、つまりは他人が読んで分かるように書く、これを意識するだけでなく、他人に向けて実際に文章を書き、そしてそれを他人に見せたときに、より”自分にしか書けないこと”が磨かれていくのだ。

noteで僕のサグラダ・ファミリアを見せていく

超ざっくりまとめると、良い文章のためには、①と②を繰り返すことなんだと思う。

①”自分にしか書けないこと”を見つけるために深く考える
②考えた内容を他人が読んで分かるように書く
→”自分にしか書けないこと”が深まり、鋭くなる=良い文章

「自分の文章なんて、外に出せるようなもんじゃないよ~」 「恥ずかしくてnoteなんか書けない…」「完璧にしてからじゃないと人に見せたくない」

もし、本当に良い文章を書きたいのであれば、上記のようなことを言って①で立ち止まってしまうと、いつまでたっても良い文章を書けるようにならないと悟った。まさにサグラダ・ファミリアである。しかも誰にも見られないまま。

そんなサグラダ・ファミリアがここまで有名になったのは、建物の美しさだけでなく、未完成ながらも完成に向けて長年建築し続けていく様をさらけ出していることが大きいと思う。だって他にも綺麗な教会や歴史的建造物はあるのだから。

時間がかかってもいい。良い文章を作っていく様を、”自分にしか書けないこと”を見つけるプロセスを、こうやって外に出していくことを恥じる必要はないし、むしろとても価値のある尊いことなんじゃないだろうか。

だから僕は”自分にしか書けないこと”を見つけるために文章を書いていく、サグラダ・ファミリアをここnoteで建てていくことにした。という決意で締める。

最後に、サグラダ・ファミリアをつくったガウディの言葉。

“Mi Cliente no tiene prisa.”(神は急いでおられない)

PS:度々引用していた本はこちらから。

・このnoteを書いたきっかけ

僕が参加しているsenteceというライターコミュニティで企画された読書会で上記の本を読んだからです。
音読+みんなで意見交換してとても学びあるものだったので、感謝の気持ちと共に、感じたことをひとまず書いてみました。
他にもイベントやコミュニティでの活動が活発なので興味ある方はぜひ~



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