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【小説】健子という女のこと(20)

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 健子は田端の腕に掴まったまま、冴子を真ん前で捉え、深々と丁寧に冴子にお辞儀をする。田端は図らずも、それに釣られて、冴子に対して軽く会釈する格好になった。
 田端は意外な健子の振る舞いに狼狽する。そして、こんな場面、おそらく腕組は即刻解くだろうし、数歩は下がるだろうと思うのだが、普段の健子からはまるで、想像できない行動に、健子の秘めた気丈な、大人の女の一面を見る思いがした。
 冴子は健子のそんな強かな振る舞いに、もうこれ以上お道化てはいられないと思った。冴子は健子の二の腕を鷲掴みにして、田端との腕組を解かせ、自分の方へ引き寄せて田端に叫ぶようにいう。「こちらのお方は、あなたの誰なの」ロビーに居合わせた人たちが、一斉に三人を見た。
 ラウンジで静かにコーヒーを、楽しんでいた宿泊客までも、ロビーの方へ出て来て、遠巻きで三人の成り行きを見守っている。「あなた!どうなのよ」冴子の尋問は、より厳しさを増す。
 遠巻きの人たちの中には、薄笑いを浮かべて立ち去る人もいたが、大方の人たちはその場で、三人の様子を窺っている。「あなた!・・・」冴子が続けようとしたとき、健子が冴子の手を振り解いて、身繕いをしながら田端の横に並ぶ。田端の腕を改めて組んでいった。
「わたしたち、結婚するんです」健子は営業会議で、報告するような口調で穏やかに、冴子に言い聞かせるように小声でいった。「・・・」今度は、冴子が無言になった。「あなたと離婚して」今度は健子が追い打ちをかける。「・・・」冴子は無言ながら、みるみる気色ばんだ。

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 険悪な状況を見て取った、受付の先ほどの女性が、三人のところへ飛んできていった。「誠に申しわけございませんが、他のお客様にご迷惑が掛かりますので、別室をご用意させていただきました。どうぞ、こちらへお越しください」
 冴子は憮然たる面持ちで、周りを見渡したものの、あまりの人だかりに、気恥ずかしくなり、受付の女性の案内に従うことにする。
「いいから!部屋へ行こう!」田端は受付カウンターの方へ、予約している自室のカードキーを取りに歩き出した。

 三人を乗せたエレベーターは、音もなく快調に上り五階で停まった。三人は無言のまま、五階の廊下を進む。カードキーを操作して、まず田端が入った。続いて田端を追うようにして健子が入った。そして、部屋に最後に入った冴子の目に、最初に飛び込んできたものは、部屋に設えてあるロッカーが半開きになっていて、その中に男物のジャケットと、女物のスーツが並んでかけられている光景だった。冴子は激しい疎外感を抱いた。
『泥棒メス猫を追い出して、今夜はこの部屋に自分が泊まる!』と、意気込んで決めていたはずなのに、追い出されるのは、自分の方になるのじゃないかと一瞬思う。
 冴子は、今、このときに、田端の本心が聞きたかった。自分と離婚してまで、このメス猫と結婚しようって、思っているのではない。単なる浮気心なんだからって、田端の謝る言葉が聞きたかった。浮気だったというのなら、なにもかも許そうと、ひとり思う冴子だった。そして、自分自身にも、そうさせた原因が、少しはあるのだからと思う。改めて最近の田端への接し方を、省みる冴子でもあった。


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