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【小説】健子という女のこと(26)

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「アッ!つながった!お父さん!」留守宅の息子からだった。母親の電話がつながらないとのことだ。田端は言葉に詰まった。おそらく、母親がこちらに来た本当の理由を、知らされていないんだろう。詳しい話は避けて、急病で入院することになったと告げる。
「大丈夫なの?」母親思いの息子は、今からでも神戸へ行こうかと、心配な声を出す。「今のところは、大丈夫だから・・・ところで、何の用だ?お母さんに」「おじいちゃんが、お母さんを捜して来るって聞かないんだよ」「そうか・・・」田端は携帯を握りしめ、俯きながら、絞り出すように言った。「明日はオレ仕事だし・・・」息子はヒステリックに言う。
 急遽、埼玉にいる冴子の妹に、来てもらうことにするからと告げて、電話を切った。しばらくして、また携帯が鳴った。
 今度は、救急隊員からだった。冴子の入院先を知らせてきてくれたのだ。
「冴子の容態はどうなんですか?」田端は一番に聞く。「それは・・・」はっきりしたことは、電話で話せないので、早くこちらに来てほしいとの思わせぶりな返答に、田端の胸は激しく騒ぐ。健子の手術は小一時間ほどかかるだろうとの担当医の診断だった。とりあえず、冴子のところへ向う。
 冴子の入院先は下呂駅の近くで、JRの線路を隔てた宿泊先ホテルと反対側の、市立下呂病院だった。呼び出したタクシードライバーの通い慣れた道だったんだろう、無愛想だが、手際よくその病院に着けてくれた。

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 深い秋の宵の暗がりに浮かびあがた<夜間緊急患者入口>の文字が、田端の瞳を鋭く射った。そして、萎える気持ちを、より一層沈ませた。健子の大けがも、冴子の脳しんとうも、自分の所為なのだ。消えそうな腕力を使って、鍵のかかっていない、重い鋼鉄製の扉を開いて中へ入った。
 ナースセンターは、入院棟の三階にあった。当直の看護師が、向かい合って、引き継ぎ事項を、読み合わせしているところだった。その終わるのを待って「田端と申しますが・・・」一人の看護師が、無表情で田端を振り返って見る。「先ほど、救急車で運び込まれている・・・田端のウチの者で・・・」もう一人の看護師が、立ち上がって、田端の方へ歩み寄りながら、「あ~はい!田端さんですか?」「何号室ですか?」田端の問いに二人の看護師は、顔を見合わせながら応えなかった。「失礼ですが、ご主人様でしょうか?」年輩の方の看護師が、問い返してきた。
 田端がウチの者って、曖昧ないい方をしたからだろう。田端にとって、ついつい今の心境が言葉に現れたのだ。<家内>でもなく、<カミさん>とも違う。今の田端にとって、冴子は、まさに<ウチの者>っていう言い方が、妙にしっくりいくようで、心の中で一人納得していた。
「こちらへどうぞ!」年輩の看護師が、ナースセンターの隣の小部屋へ、田端を案内した。二人掛けの長椅子ひとつと、ひとり掛け椅子と、長いテーブルだけの殺風景な部屋だった。「当直医が回診中ですので、しばらく、こちらでお待ちください」年輩の看護師は、そう言い残して、足早にセンターの方へ戻っていった。
 田端は、長椅子の真ん中に腰掛け、両手をテーブルの上で組み、その手首に俯せて、静かに瞼を閉じる。

「あなたが先よ!」
「よく言うよ!おまえの方が先だったじゃないか!」
「同時だったのかナァ・・・」
田端は冴子と結婚してから、そんな会話を何度かしたことを思い出していた。どちらが先に惚れたのか?こんな時に、そんなことを想い出している、自分の心境を不思議に思いつつ、微睡んでいた。

 ドアを叩く音がした。


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