【勝手に人生相談 No.46】 資格しか価値認めない母(和歌山県・20代女性)
雑誌や、新聞などに掲載され、高名な先生方の回答済みの人生相談の中から、この【勝手に人生相談】にピックアップ。身の程知らずの<やまのぼ>が、その相談に対する、独自の回答を試みています。
▼ご相談内容▼
20代の女性会社員です。
大学では国文学を専攻しました。好きな作家について研究して作品の解釈を深めるなど、学ぶことは楽しかったです。
でも母は、文学は「資格が取れないから価値がない」と言います。例えば看護学校を出て看護師になる、栄養士の資格を取って栄養士になる。母にとっての価値とは資格の取得なのです。
活用するか否かは関係ありません。
何か取れば母は満足すると思って国語の教員免許を取得すると、一時的に母も認めてくれました。私の就職先は無関係な職種ですが。
私は社会人になった今でも文学が好きで、好きな作家の全集を読んだり関連する論文を探したりしています。
でも母に「そんな本を読んで何になるの」「同じ読書なら資格を取れるような本を読むべきだ」と言われると反論できません。
資格に直結しない、自己満足でしかない文学の価値は何だと思いますか。(和歌山県・20代女性)
▼やまのぼ回答▼
そもそも、「文学」と「資格」の価値を比較すること自体が、大きな間違いなのです。言い換えれば、どちらも、価値があるのです。
お母様の仰るとおり、資格を取ることは、その道を究めた証になり、将来を生きる糧になります。一方、ご相談者の仰るとおり、好きな作家について、研究を深めることも、将来の生き方に参考になるという価値があります。
ところで「文学」とは、言語表現による芸術作品のことを呼ぶのが一般的です。ときには、文芸とも呼ばれ、詩・小説・戯曲・随筆・文芸評論などが典型的な文学の例です。また、それらを研究する学問も文学と称されています。
ご相談内容からすれば、あなたはどちらかというと、文芸作品を単に堪能するだけでなく、それらを深く研究するのが、お好きなようです。
さて、文学の価値はなんでしょう?
文学は、人間そのものを研究する行為だと思います。自分以外の人の考え方や行動を通して、自分の生き方を考え直す道具のひとつだと思います。
人は、身体というハードに、心や感情というソフトを備えている動物だと思います。丁度、パソコン機器というハードにOSなどのソフトを備えることで使い物になるように。
パソコンにソフトウエアーが重要なように、われわれ人間には、心と感情も重要なのです。文学もそのソフトウエアーを育むために不可欠なのです。
お母様の資格取得の価値判断を否定するのではなく、全面的に認め、ソフトウエアーの重要性を、お話すれば、お母様にも納得していただけると思います。
そもそも、資格も文学も、同じソフトウエアーなのですから。否定し合うことは、ナンセンスなのです。
★次回の【勝手に人生相談 No.47】は、奈良県・30代女性のご相談です。「姑に子の緊急預かりを断られ」を、予定しております。★
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