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【小説】健子という女のこと(18)

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「お写真を撮られる方は、こちらの場所がいいですよ」冴子の行く手を塞ぐように、ホテルマンが右手をかざして、五、六人の若者たちを誘導しながら、ホテルの正面ドアから出て来た。
 ホテルマンの右手の先には、後部にたくさんの空き缶をくくりつけた、オープンカーが駐車している。その反対側の前方の植え込みに誘導しているらしい。しばらく立ち止まって、様子を窺っている冴子の前に、上下真っ白のタキシードの若い男と、真っ白くて、裾を引きずりそうなドレスを、両手で摘まみあげた若い女性のカップルが、十数人の老若男女に取り囲まれながら現れた。
『結婚式だったんだ・・・』冴子は、満面の笑顔の新郎新婦を見送りながら、『わたしたちも、三十数年前、田端と幸せいっぱいのあんな瞬間があったんだ・・・』冴子は、おめでたい光景を眺めながら、一層気持ちが荒廃する自分を哀れむのであった。
 ホテルの受付カウンターへは、より足が重かった。午前中激しい口調で、田端の部屋に案内するように懇願した折、初めに対応してくれた女性が、訪れた泊り客に接客中だった。

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 その女性は、カウンターに近づこうとする冴子を、ちらっと見るなり、覚えていたとみえて、接客しながら冴子に会釈する。冴子は驚きながら、中途半端な会釈になった。
 女性は、泊り客にルームキーを手渡しながら、「ごゆっくり、おくつろぎくださいませ」といって、立ち去るお客に深々とお辞儀をする。そして、「失礼ですが、田端様でいらっしいますね」といわれ、冴子は再び驚いた。名前を呼ばれたからだ。
 女性は、午前中の対応とは別人のように、「お客様は、まだお戻りではございませんが・・・」と、キーボックスを確認しながら、落ち着き払って、申し訳そうにいう。痴話喧嘩の当事者に対する、ある種の優越感を、冴子に抱いたのであろうか、あるいは女性として、冴子に憐みを抱いているのかもしれない。
 田端たちは、とっくに帰っているだろうと決めていた冴子は困窮した。
「あ・・・そうですか」引き攣る笑顔を自覚しながら、気の抜けた返事をして、カンウンターを後にするしか手立てがなかった。

 カウンターから離れる際、冴子の携帯が鳴った。携帯の液晶画面をみて、冴子の眉間に大きく皺が寄る。 


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