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【小説】健子という女のこと(33)

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「こんなにまで愛していたのに・・・興味がなくなった玩具のように、棄てられてしまった、お母さんの仇を取ろうと決心しました」
「待ってくれ!知らなかったんだ!健子!おまえが生まれたことを・・・」
健三の言葉には、何の効力もなかった。
 健三はあのころ知り合った冴子の快活さに、魅せられ惹かれていく自分を、どうしょうもできなかった。若かったといってしまえば、それまでだが、それは健三の身勝手な理屈だろう。
 恵美子と過ごした時間も、それなりに楽しかった。

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「内緒ね!」
 初詣の晴れ着姿の恵美子が、こっそり引いたおみくじを、健三に見せないで、傍らの木立に結びつけながら、意地悪く笑う。
「何だって?恋愛運は?・・・どうだって?」
健三は恵美子を、どこまでも追うのだが、追いつけない。

 帰らざる遥かな過去から、訪れた恵美子に健三は叫ぶのだった。
「エミ!悪かった!知らなかったんだ!・・・何もかも」

 健子の話は続く。
「幸せな家庭で、幸せに暮らすあなた達から、その幸せを奪い取ってやることが、お母さんへの何よりの供養になると思ったの・・・」健子は<女>を武器に、健三の<男>を標的に、近寄ったと言った。
 健三は、その策略にまんまと嵌ってしまったのだ。初老の男健三が、女ざかりの健子に、溺れるのに、そんなに時間は要らなかった。
「あくまでも、お父さんという感覚はなかった」健子は近寄って行ったときから、今日まで、ひとりの初老の男としか思えないと、吐き捨てるように言う。
 健三にしてみても今更、父親と言われてみても、目の前の女性は、恋人健子でしかない。だが、母親の仇討ちとして、自分に近寄って来た、健子の強かさに、健三は舌を巻いた。
 だとすると、健子と暮らした、甘い日々はすべて、偽りの愛情であったのだ。健三は冷え切った両手で、自分の全ての内臓を、捏ね回される思いがした。
「健子!おまえと言うやつは・・・」健三は健子に、不憫な子だと言ってやりたかった。
「こんなに愛していてくれたら、お母さんは幸せだったのに・・・」健子は、健三に抱かれるたびに、思っていたのだと、ため息とともに吐露する。
 健三は健子の話を聞きながら、知らなかったとは言え、自分の娘の虜になっていた、自分の男の性に嫌悪感を抱く。巡り逢った当初は、情欲だけで健子が欲しかった。しかし、時の流れとともに、お酒を飲み、訳もなく健子に暴力を振う夫を、殺害してでも健子を、幸せにしてやろうとも・・・そんな風にまで昇華していた、健子への愛情が行き場を失って、暮れかけた常願寺の墓地を彷徨っている。
「わたし、実は結婚なんかしていません・・・誰とも」
「それまでも・・・嘘だったのか・・・」健三はやっとの思いで、言葉を絞り出した。「お友達に頼んで、東京の奥さんのところまで、行ってもらったの・・・」健子は意地悪い笑みを湛えて言った。「おまえっていうヤツは・・・」健三はそう言ったきり、両肩を落とした。

 初冬の一陣の風が、健三の冷たい頬を掻きむしった。

「冴子までも殺したいほど、憎かったのか」「・・・」健三の問いかけに、健子は応えなかった。



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