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言い訳みたい。姿が見えないから感謝を忘れてただなんて¦日記 #16

朝の荒んだ心に、優しく染み込む車内アナウンス。
冬の相棒コーンポタージュと、焼きたてのトーストを朝食に食べたときみたい。黄色いとろとろのコンポタにトーストを沈めると、濃厚な甘さと温かさがじんわりパンに浸透して、幸せで包み込んでくれる。

「皆様おはようございます。本日は〇△線‪✕‬‪✕‬行きにご乗車くださいましてーー」
毎日使う電車の聞き慣れた車内アナウンス。"おはようございます"から始まるだけで、こんなにも優しい気持ちになれるのか。暖房で濁った車両の空気が少しだけ澄んで、外の冬の空気に少し近づいた気がする。

今までの電車のアナウンスは、覇気のない声で言葉をギュッとくっつけて喋るようなものが多かった。モールス信号を打ってるかのような聞き取れなさ。
けれど、1時間に1本程度の田舎の電車を使う顔ぶれは毎日ほとんど変わらないから、多分誰も問題ない。2つ隣の駅の高校に通う学生、いつも同じところに立っているスーツのおじさん、最近ジャンパーを着始めたお姉様。みんな常連で駅は覚えているし、そんなアナウンスにも慣れっこだった。


「皆様、この後もお気をつけてお出かけください」
電車が終点に到着する際に添えられた言葉に、背筋が伸びた大人はこの車両にどれくらいいたのだろうか。優しくて、だけど強くて元気な声。放送をしてくれている貴方が本当に元気かどうかは分からないけど、私は確実に貴方の声で元気になれた。顔をあげられた。前を向けた。凍える朝の中を、歩き出す勇気を貰えた。

"ありがとう、車掌さん"
思えば初めて電車を動かしている人たちに、感謝したかもしれない。非日常も日常も、ずっとお世話になっているのに、恥ずかしい。

毎日当たり前のように走ってるいるから。誤差みたいに小さな遅れでも、大罪を犯したように謝ってくれるから。
私たちはいつからか無意識のうちに、自分自身をお客様だと思ってしまっているのかもしれない。

飲食店でご飯を食べれば、会計の時に「ご馳走様でした」が言える。ショッピングモールで買い物をしても、商品を手渡される時に「ありがとうございます」が言える。けれど、電車は切符を買うときも乗車するときも降りるときも改札を出るときも、「ありがとう」を伝える機会がほとんどない。
言い訳みたい。姿が見えないから感謝を忘れてただなんて。

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