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光男の枠下人生~第4章~墓参り

光男はオカルトやスピリチュアル系のyoutube動画にて「お墓参り」の大切さを学んだので祖母と母の眠る墓へ向かった。光男はおよそ5年単位で各地方の工場を行き来する派遣社員だが、ちょうど現在の派遣先と祖母の地元が割かし近い隣の県に有り、車で2時間で行くことが出来る距離であった。その墓は光男が14歳の時に他界した母と祖母が眠っている。
そして光男にはひとつ上の姉が居た。3年前に咽頭がんで他界した義父、つまり育ての父親であり、祖母の2番目の夫であった。その義父と祖母に訳あって事実上育てられた姉と光男であったが、その義父の死について擁護派の光男と反対派の姉で意見が別れた。
義父はあくまでも我々を不憫に思い、高校卒業まではなんとか面倒を見るが、その後は他の女性と暮らしたいと打ち明け、祖母と姉は祖母の故郷の県へ行く事になる。そこには祖母の兄弟達もまだ健在だったので自然っちゃ自然な流れなんじゃね?と光男は思っていた。
だがそこへ同行する事に関して光男は激しく反対し、半ば強引に振り切る形で光男は1人で生きて行く事になった。結果、姉はそれから十数年にも渡り祖母の介護をやらされながらレーズンバター工場で働かされる事になる。光男や大阪に住む実父は申し合わせをしながら同行しない代わりに毎月10~20万円の支援をして勘弁してもらっていたが、祖母はそのお金を生活費には充てずに「山田五十鈴デザインのバッグ」やら「高級カツラ」やら、「勝手に光男名義の墓」等に遣ってしまいトラブルが絶えなかった。周りの親戚にも大盤振る舞いしながら姉を召使いの様に扱っていた。祖母の死後、姉は光の速さで大阪の実父の元に身を寄せた。
光男としては「そりゃ義父も見限るわ」と義父に同情していた。しかし姉としては「私と祖母を捨てた男で私がその尻拭いまでさせられている」と、義父を恨みに恨んでいた。だので義父の死を境に
「祖母の田舎の(こんな)お墓は私が閉じる!」と激怒して以降、連絡先も全て変えられてしまい絶縁されてしまった。捨てたと言えども我々を肉体労働で養ってくれた故人をねんごろにご供養しただけなのに故人が入る予定も無い墓を閉じる、、気でも触れたのか?大阪に行って気が大きくなったのか?
だが光男にとって兄弟など、姉などぶっちゃけどうでも良かった。私以上にメンヘラ気質の姉の事だ、そしてどうせ口だけでぎゃあぎゃあ騒いでるだけだろうと思っていた。
霊園に到着し、祖母と母の眠る墓に向かった。
だがしかし墓はキレイサッパリ消えていた。
姉はどうやら本気だったようだ、そっとしといてやればいいのに、どうやら本気でご乱心したようだ。
光男は近くのホームセンターで買ったお供えの花を隣りの親戚の墓に全てお供えし手を合わせ「なんだかすいません」とだけ呟きその場を後にした。
祖母方、母方の故郷であるこの街は過疎化が進み、親戚のひと回り上の「〇〇兄さん、〇〇姉さん」世代もみんな何処かへ居なくなってしまった。本家の代目を継いだはずの2代目の実家も跡形もなく駐車場になっていた。
中立的な立場だった子沢山のおじさんの家も表札も家も全く違っていた。つまり、母方の親戚はもう誰1人消息不明、大阪で実父と暮らす姉がこれを機に決別するのも少しうなづけた。「そりゃそうか、我々はそんな大人達の身勝手に今まで散々振り回され他のだからな、、」光男は立ち寄ったコンビニでタバコに火を付けなんとも言えない表情で曇天を見る他無かった。「祖母はともかく、母の墓参りも出来ない今の自分は、どうしようもなく逃げてしまった自分への仕打ち、報いかな、供養すらままならないのか、そうだよな、自分だってそうやって自分の都合で生きて来たのだから、自分の気分でお墓参りだなんて甘かったか、、姉にも自分勝手させてやらなきゃな、、」「自分、自分」と相変わらず年相応の語彙力が備わって無い光男はもう二度とこの地を訪れる事は無いだろう。
もしも祖母や母、その兄弟世代が生きていたならば、姉はくそみそに言われていたことだろう。「なんで大阪に骨持ってかなきゃならねえんだよ、ふざけんなこのやろう!」と怒鳴られていたに違いない。姉はきっと自分を散々振り回した祖母や母、義父、そして非協力的な弟の光男に逆襲したかったのだろう。しかし光男はなんだかそんな恨み節の姉に絶縁されてむしろホッとしていた。いくらなんでも闇が深すぎる。そりゃそうか、預けられた家では「おしん」みたいな事を子供の頃からさせられて嫌悪感を抱かれながら育って行けばどこかしら歪んでしまっても仕方のない事だ。現に光男も姉の陰に隠れ狂った性格の祖母からの直撃回数は少なかったものの、それなりに歪んでしまったのだから。子は親や環境を選べないとはこのことである。
「みなさんで紅茶を飲みましょう」のような、マカロンの味はよくわからないがマカロンのひとつでも出て来るようなお家柄であればその将来は少しはお互いに変わっていたかもしれない。
読書好きの両親だとか、夏休みにはバンガローにキャンプに連れってくれる父、劇団四季なんかのミュージカルに連れてってくれる母、河原で豪快にボンレスハムを炙り「わんぱくでもいいから食え!」とか手渡して来る父、料理研究家の母、「ああ、そんな感じがよかったのかなきっと、、」と光男はありったけの想像をした。そうであれば姉もこんな人生恨み節にはならなかったかもしれないと。しかし、しかしである。
光男には現在、介護する両親は無く、とっくの昔に亡くなってしまっている、もしくは籍を抜いてしまって絶縁しているので法的にもその義務は及ばない。
光男は現在社会問題にもなっている介護離職とか考えられない程苦痛に思っていた為皮肉にも安堵していた。
そして自分がもしもこの先70、80歳まで生きたとしたらこの国でも安楽死法が適用されているだろう、これで誰にも迷惑はかからない代わりに感謝することも、される事も無い人生を選んだのであった。
それでいい、そのひとつの結果が今日の風景だ、お墓も無ければ親戚の家も無い、そういえば20年前にパチンコ狂いの祖母の妹のスミコおばさんに貸した50万円、返って来ないなぁ、、クスッ、、、光男は独り笑っていた。
「金貸してくれ」でも交流は交流だし、他の情報も入って来ただろうし、もっと大らかにしてやりゃよかったのだな、、おばさん、スマン、、、」
帰路に付く車内で光男はぼんやりと、しょうもない母方の親戚の面々を思い出し懐かしんでいた。
祖母の介護を15年以上させられていた孫にあたる姉は祖母の死後、大阪の実父や、その兄弟の元に身を寄せたのだが「よく頑張った」と歓迎されていた。良かったじゃないか、光男は姉の現在に安堵していた。
父方の家系は良家が多く、インターネットの世の中になるだいぶ前からペギー葉山似のちょっとお説教くさい父方の姉や妹などのおばさん達がセコセコと株式投資をやっていて、その息子達も皆国家公務員だったりする。今じゃ父の終の棲家にと新築のマンションを購入するくらいにお金持ちらしい。
姉は介護福祉士として働いてはいるものの、その恩恵は大いに受けている生活をしている。若い頃の光男も散々大阪に誘われペギーから、いや失礼、おばさん達からお見合いの話しもあったが、なんとなしに実父が信用ならなかったというか、単純に色々と背負い込むのは真っ平御免だった。中学生の頃にそんな大阪のおばさん達から「勉強するんやで!光男君!」と頂いた大量の図書券も全てエロ本に遣っていた光男。そんな光男が今更父方の代目を継ぐ資格が無いのは光男本人が自覚していた。
参考書を買っているはずだと思い込んでいるおばさん達を裏切って「スーパー写真塾」や
「アップル通信」を買い漁っていた訳だから
本屋の店主も内心呆れ返っていたことだろう。
そんな光男にとって理想の母親像は「しっかりしなさい!」的に肩を押してくれる八千草薫さん的な母親であったがそれとは程遠く、母もとっくの昔に居ない。
当時にインターネットさえ有れば良くも悪くも「知恵」や「気付き」は得られたかもしれないが、若さ故に白痴な光男は全て己の判断で沢を登るか降りるかの決断を迫られ、ひたすら沢を下って行く事になる。知らないという事は恐ろしいし、罪である。
しかし沢下りも遭難する危険は多いがまんざら悪くも無い。
「お墓参り行けないのは少し寂しいけど、オレはきっとそういう役回りで生まれて来たのだからせいぜいそれを楽しませてもらうぜ!?」
給料日前日の光男はいつになく強気であった。「今晩は法事で喪服姿でテーブルの下越しにマンチラで誘惑するおねいさんシリーズにしよう!」
そして更に調子づく罰当たりな光男であった。あの時おばさんに頂いた図書券のおかげで多感な年頃に「エロス」と出逢えた光男は歪みながらも大いに学校じゃ教えてくれない事を学べたのではないだろうか?いや、学べてる訳が無いだろう、、。














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