ドリル思考。

nobo mathです。

さて、前述でドリルについて

触れました。


漢字ドリル、計算ドリル、など思いつきます。

小学生の算数と呼べるものは、

「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」

「図形の問題(見た目の問題)」「文章題」

が、まあ範囲。


多くの子供は、そりゃあ読解力など

世間的に通用するほど身に付いているはずがなく。

小学生で学ぶ「国語」も、ある意味ドリル。


ここでのドリルの意味は、

無意識で、無我で、数多く触れていく事。


多くのひとが、知識は無いので、

取り敢えず穴を掘っては、面白くも無い土の状態を

見る作業をする。

小学生のときは、それがノルマの様な教育だったので、

やれば、遊べる!との感覚でやっていました。


それが中学生以降になると、

そういう所から複雑なドリル構造となして、

あ~、小学生のときはカンタンだったのになあ~、

と、思ってしまったり、、、


自我が、そういう思春期に芽生え始め、

頭で何かを考えてしまいます。


そうなると、ドリルがうっとうしくなるんですね(笑)

中学生以降の出てくる問題が、

小学生でやっていた計算すれば答え!という単純に、

問題を読解して、求めたいものを知って、

システムを組んで、計算して回答する。。。という、

複雑さが、小学⇒中学への移行でカルチャーショックを

受けることになります。

*大学では数学はもっとカルチャーショックです(笑)面白味はありますけどね。


文章題を高級感あるように思えて、解く事に拒否反応を示す、

そんな方は大人でも多くいます。


思えば、多分、、、

学習指導要領が悪いのです。

ちゃんとそこもドリルを作ることが大事だったのでは?

と、勝手に思ってます。


文章題のドリルを問題数少な目に単元で用意する。

中学入ってから、そういうものがありません。

当時、、、本当に不親切なのは、、、教科書。


例題は良しとして、問題に対しての解法が

巻末にも記載がなかった。。。

*今はあるかどうかは知りません。


宿題で、そのまま写してくるにしても、

写経という考えがあるので、

解法について細かく書いておく事って

凄く大事です。


実際、受験勉強は大抵写経。

万物は、全てパクリ〈オマージュ〉から始まり、

似たものを創出(オリジナルとして)する。


何も分からない人は、

まず写しなさい!と伝えてあげることが肝要。

予習ってまるで凡人には無意味です。時間の無駄です。


知恵・知識がないのに、新しい単元の発想・理解を思いつくこととは、

すなわち、その法則・道理を解明した天才たちと同じレベル。

・・・無理でしょ。。。


天才未満の人達の勉強は、

「ドリル思想」による作業が一番適当です。

それから応用が効いてくるから。





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