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与えられた条件 苦しんだからこそ得たもの

ふっと思ったこと
書いてみました。


毒親の本を読んだり
アダルトチルドレンの本を読んだり
繊細さんと言う言葉を知ったりすることで

自分の生きづらさは、駄目なんじゃなくて
って
自分がダメ人間だから、生きるのが大変なんじゃなかったのかもしれないと

自分を大切にすることを知った
心も少しづつ癒やされ始めた


それと


親が毒親であろうがなかろうが
繊細さんであろうがなかろうが

自分の気持ちをわかってくれる人はいない

とか

自分は、なんかみんなと違う

って思うことはあるんじゃないかなと思える


毒親育ちではない
繊細さんではない
アダルトチルドレンではない

そういう人はみんな
人生、楽しんで謳歌しているのか
できるのか

っていえば
そうではないのかな

いろんな条件を
一人一人が抱えて
生きている


20代の頃は、みんなと同じようにって必死だった

周りがそうだったからって

痛むだけ損なのに髪の毛染めたり(3日もすれば傷んでゴワゴワ、くくるしかなくなる)

お金がないからブランドのバックとかは買ったことないけど

服装も、みんなみたいにって思っても

規格が違うかったのよね根本的に(笑)

背も高くて手足も長いから
快適に着れる服なんてなかったのよね、当時は

ブラウスは袖が短い
ズボンは丈が短くてなんか変
親にはあんたが大きすぎるからと嫌な顔をされ怒られた記憶がある


さらに姿勢が悪かったから

似合う服がほとんどなかった

外反母趾で幅広の甲高の足
大きな足が恥ずかしくて
合わない靴を
我慢して履いたり(これは、選ぶ余地もなかったんだよね)

結婚をして
実母には頼れない、パートナーもお坊ちゃまな男尊女卑‥
そんなことも知らずに

子供たくさん産みたいという
楽を選ぶより
挑戦したいことに挑戦する人生の作り方を始めたんだけど

タイヘンなことがたくさん

道を誤ったと思うこともしばしばあった
いっぱいひとりで泣いた
理解者がいなくていっぱい傷ついて
自分が駄目だからか‥となっとくするしかなかった

そんな、時間を過ごす中で

今は
ノーメイク
ビリケンの靴しかはかない(大きく見えるけど気にしない、逆にそれが今はいいバランスと思って楽しんでいる)
服装はオーバーサイズに動きやすさを最優先して

それに加えて

自分が心地よく相手にも不快や圧迫を与えないもの
そんなものを選ぶようになつて
誰とも比較する必要もなく
楽で楽しい

自分にとっても孤独との戦い
辛いことばっかりだった10年だったけど

きっと学ぶものがあるんだと
なぜか、それだけを、信じていて
諦めることができなかった

もちろん

いよいよ倒れてしまって

また自分は人生の作り方を間違ったのか、と認めざる得ないような

できない自分ではいけないと必死だったけど
自分は結局は不器用だなと、認めざる得なくて、がっかりしたような心境でもあったけど


なんでも話せる友人を得たし

安堵したのもほんと

もうみんなと同じ道を歩もうとしなくていいんだと
私でも無理なく歩める道を選ぼうと





パートナーに助けてもらうにはどうしたら?と、繊細さんと言う言葉を知り
私はこういうことに苦しんでます、とつたえてみた(あんまり意味なかったかな)

子育てが大変になって
毒親という言葉を知り
自分はもしかしたら‥とおもうようになり

最近
アダルトチルドレンについて知った


人生が大変だったのは、
繊細さんの気質があったり
毒の強めの親に育ったことは
無関係とは言えないとは思う

でも


繊細さん、毒親育ちだからこういう生き方しかできないのではなく

繊細さんと、毒親とかからくる生きづらさが

私はほんとはどういきたいのか
の道標であったような気がしてならない



私が生きたい生き方を知るために
繊細さん、毒親育ちという条件が必要だった
そんな気さえする

人との比較から離れ
より自然体での暮らしを求め
必要以上に人間関係を広げることもしない
昔と違って今は服のサイズもたくさんだし
なんぼでもオーバーサイズの服が手に入って
心地よく服を着ていられる


まだまだ子育ても大変だし
パートナーとの関係には耐え難いものもあるし、
忙しさにおいては、過去と比べものにならないし
ぶっ倒れてしまう日もある

でも

心は比べ物にならないほど
自由だし


たくさんのことを、引き受ける力を得た

人に惑わされず自分を守ることができる力を得た

苦しんだ10年
無駄では
なかった

きっと


意味が通じる文章なのかな
最後まで読んでくださり
ありがとうございます

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