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地域おこし協力隊としてのコラム。

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2022年4月から着任している地域おこし協力隊での活動を通じて、感じたこと・考えたことを綴っています。
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#コラム

コミュニケーションの体系化。

2009年に設立された地域おこし協力隊は、知らぬ間に誕生から丸15年を数えようとしている。それなりの歴史を重ねた制度であり、徐々に世間へ広まりつつもあり、令和5年度時点の隊員数は7200人だという。 それだけの隊員がいれば、当然さまざまなデータが集まる。基本的に最長3年といわれる任期を満了した後の“進路”、そのひとつが変わらず地域に居続ける定住率、あるいは自ら起業する割合。またネットで出回るのは大概わるいニュースだなあと寂しい感覚も僕にはあって、すなわち地域に馴染み、そして

地域に居続けられる仕組みを。

久しぶりに連絡した地域おこし協力隊の仲間が、任期満了を待たずに退任していたようだ。彼と僕はそれぞれ違う自治体で活動していたが着任時期が同じ“同期”で、研修やイベントで顔合わせることが少なくなかっただけに、寂しく感じられもする。 ずっと模索していたという起業の可能性に見切りをつけ、今は奥さんと日本各地を旅しながら次の定住先を見定めているという。起業を断念したのは「マネタイズがむずかしかったから」とのことで、そりゃあ自身の生活費を確保できなければ、新天地を求めて当然ではあるだろ

地域おこし協力隊の「3年」について。

地域おこし協力隊として、3年目のシーズンを過ごしている。2022年4月に東京からUターンして1年任期を締結し、そして更新すること2回。10月からは、いよいよ“残り半年”という状況となる。 一部例外はあれど、「1年契約で最長3年」というのが基本的なあり方である。すなわち、必ずしも3年勤めることが定められているわけではない。任期中に起業や就業を決めるなどして、あくまで定住することが目的である。協力隊を知ってくれている人の中でも、この“誤解”はしばしば生じている。まあ、もう今では

企画が行き詰まったときは。

自分から企画を動かす機会が、少なくない。地域おこし協力隊は、ある種「具現化」が大切な仕事のひとつである。自分や誰かが考えたアイデアを企画して、実際に落とし込んでいく役割を担う。 とはいえ、一筋縄ではいかないことも地域というフィールドではよくあることである。まあ、すんなり企画が実現するならそこまで苦労もないはずで、さまざまな人や文化、また自分自身と対話をしながら進めていくわけだ。最近の僕でいえば、この“一筋縄ではいかないこと”を進めていくのが、地域の面白さでもあるとすら思える

理にかなった異質。

地域という社会を見てみれば、行政や学校、民間企業、そして住民と、さまざまな属性の人がいる。その中で、地域おこし協力隊は“よそ者”としての役割が求められていると思う。地元へUターンする隊員もいるけれども、誰もが絶対的に移住者であることに変わりはなく、それまでに地域を変える“起爆剤”のような役割が求められているだろう。 ただ、ここまで協力隊として2年以上活動してきて思うことは、地域はそう簡単に変わってくれるフィールドではないということだ。たとえば僕がアイデアを示したところで、そ

守られた環境。

攻撃は最大の防御、という言葉がある。語源は知らないけれど、べつに僕自身が体現しているわけでもないけれど、言いたいことはわかっているつもりだ。たとえばサッカーで言うなれば、ボールを支配して攻撃し続けることが、相手の時間を奪うこと(=防御)にもつながるということだろう。リオネル・メッシやシャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタらを擁した、ジョゼップ・グアルディオラ監督が率いたあの頃のバルセロナをイメージしてみてほしい。 まあ、それはそれとして。 きのう、個人事業を展開して

クリエイティブとコミュニケーション。

先週、地元の中学2年生の男子生徒6名が地域おこし協力隊のもとへ職業体験に来てくれた。昨年度、我々の存在に目をつけてくれた先生が授業に呼んでくれて、講話と体験学習を行なった学校。当時は中学1年生を対象としており、つまりそのとき授業を受けてくれていた一部の生徒が、今回は職業体験のフィールドのひとつとして選んでくれたわけである。 オファーを受けたときには別に断る理由も感じなかったし、なんなら学生とのつながりを持てる良い機会だと思っていた。しかしながら徐々に日程が近づいてくると、何

地域おこし協力隊が入り込むべき“隙間”。

いかにして、地方自治体と住民の間に入り込むか。これこそが地域おこし協力隊が求められている役割ではなかろうか。 きょう、とある事業者さんのもとへ話を聞きに行った。おもに宴会での料理を軸とした飲食業を営むその方は、コロナの影響で売り上げが激減。ただ、お弁当としての提供に切り替えたことで、なんとか事業を保ってきたという。僕が生まれるずっと前から美里町で活動しているそのお店の方々には、地域の知識や人脈が豊富だ。当然ながら、先月着任したばかりの僕たち協力隊なんて比べ物にならない。そし