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風のトビラ 2024/06/25

いつでも、どこでも、何度でも。
そのトビラは開いている。
気付いていない間は、気付かなかった。
だから、そのトビラは、
いつでも、どこでも、何度でも、
開き続け、誘い続けてくれた。
わたしが、そのことに気付くまで。

気が付けば前に進んでいるとき。
気が付けば思いもよらないところにいるとき。
知らなかった感覚がここにあるとき。
もしかしてここから先は
進んだことがないのかもしれない、と
不安や恐れがまとわりつくとき。
それに気付かないふりをして、
なんとか自分の分かる範囲で
事を終わらせようとしているとき。

どんなときも、そのトビラは
ただ開いてわたしを待っている。
待ってくれていた。

いつだって怖いのは自分だけだ。
世界はそんなに狭くないし、
そんなに怖いもので溢れてもいない。

でも、自分はそう思っている。
そう観察している。
未経験のことがある。
そう思わないと、あるいは
そういうことにしておかないと、
気が狂いそうな悲しみや怒りが
わたしの奥底に沈めてあるから。

その悲しみや怒りに触れないように、
触れずに済むように生きてきた。

でも、本当に触れたくなかったのは、
悲しみや怒りではなく、
それを包み込むhug自己受容の感覚
だったのかもしれなかった。

本当に怖いことほど、
その怖いが頭で造り上げられた
過去の痛みに纏わる妄想であるほど、
実はそれは起こらない。
ちなみに、自己分析や自己理解、自己受容の
どこかの段階までは(それが再現されることで
気付かねばならないことがある間は)、
繰り返されることもある。
※つまり諸説ございますというか
  自分がしっくりくる感覚に委ねるのが大切。

怖いなら、そのままそこにいることだ。
自分を飾らず取り繕わず、
良いように見せようとせずに
ただ、そこにいることだ。

コントロールの力は、怖ければ怖いほど大きくなる。
そのコントロールは、自分を守っているようで
その実、自分を傷付けているコントロール
だったりする。
問題に直面させないということは
自分に対する過保護さの表れでもあり、
セルフネグレクトでもある(と思う)。

風のトビラ、というタイトルが浮かんで
そのトビラは閉じることなくいつも
開いていることがわかってを感じて
ああ、風が吹いていると思った。

自分の中に、細胞の隙間に、
思考のあわいに、開きたい心に。

トビラ、といっているが元々
トビラなるものは付いていないのかもしれない。
通り抜ける場所、ターニングポイント、
運命の輪のまわるところ。
終着駅のような通過駅だったり、
舞瞬はじまりのようで、
その刹那ごとにおわりへ向かいつつある今とか。
共有される日常と非日常とか。

☺️

そのまま、そのまま。
今ここにいる、
ここまで歩いてきた、
この先も歩いていく、
ただのわたしと一緒に。



2024/06/25 (150/366)


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