日本の受験と「偏差値至上主義」について

幼稚園から小学校まで日本でアメリカンスクールに通い、中学は家族でオーストラリアに移住し、高校から大学までアメリカへ単身留学した私にとって、日本の『受験』は未知の世界でした。そして去年、長女の高校受験を通じてちょっとした疑問が浮かびました。

「なぜ、日本人は偏差値が少しでも高い学校に子どもを入れたがるのか?」

我が家には4人の小〜高校生の子どもがいますので、全員大学まで通わせるとなると、最低でも8回受験させないといけません。そこで子どもたちに伝えているのは、

偏差値の高い高校を選ぶ必要はない。自分が最も楽しめる高校を選びなさい。
社会に出たときにどこの高校出身かなんか誰も見やしないから。
そんなことより、大切な高校時代(思春期)をしっかり楽しみになさい。
ただ、自分が行きたいと思える学校を「選べる」立場になれるよう、勉強をしっかりしなさい。

思い返せば自分自身、アメリカの高校を受験した際に、合格した中で最もランクが高い高校に行くように言われました。私自身は別の高校に行きたかったのですが、周りの大人の意見を覆すことができず、受験した高校の中で全米ランクが最も高い高校に行くことに決めました。結果的には行って良かったと思いますし、素晴らしい経験をさせてもらいましたが、15歳で大きな挫折も経験しました。兎にも角にも周りのみんなが優秀すぎて、自分がいかに井の中の蛙だったかを痛感しました。

目的思考と自主性を育むことの大切さ

別に挫折しないように子どもを守るために偏差値を気にするなと言っているわけではない。偏差値が高い学校を目指すことが悪いとも思わない。ここでポイントなのは、子供の自主性を尊重できているか?ということである。その子が自ら考えて、行きたいと思える学校を選べているか?

なぜなら、

1. 偏差値の高い低いで人の価値は測れないから
2. 努力した過程で人は成長し、目標を持つことで継続的な努力が養われるから
3. 自ら考え選択する意思(決断力)を幼い頃から養わないと、今後の社会で通用しなくなるから

『グローバル化』という言葉自体が既に過去のものである。今後の社会で豊かに生き抜くためには、偏差値至上主義を捨て、目的思考と自主性からくる決断ができる人間に育ってほしい。そうすれば、より豊かな人生を送れるのではないか。

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