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『平安貴族の夢分析』倉本一宏(著)

夢のお告げを信じ、加持祈祷にすがったとされる平安貴族。しかし彼らの日記からは、用事をサボる口実とするなど、夢を巧みに利用した姿が浮かび上がる。彼らが夢にどう対処したのかを探り、平安貴族の精神世界に迫る。

『はじめに』で、フロイト、アーグラー、ユングらの夢分析や、脳生理学の話が綺麗にまとめられていた。
レム睡眠中にみる夢は、日常の莫大なデータから、不要なものを削除する作業との事。
それらを踏まえて、本編では、平安の貴人10人の夢が分析される。

当時の貴族(男)は日記(個人的なものではなく、子孫に向けた業務日誌的なもの)をつけており、それが今では当時を知る重要な資料となっており、それらの裏書きに夢の話がちょろちょろ出てくる。なので、真にプライベートな夢は全然なくて、ちょっと残念かな。

ちなみに、朝イチのルーチンは、鏡を見て、暦を確認し、歯を磨き、神仏に祈り、暦の余白に昨日の日記を書き、食事をし、頭を整え、爪を切る、という感じ。生活に組み込まれており、話を盛る必要がないため、かなり正確な情報が残っている。

本編での分析は、これは捏造であろう、仕事のストレスであろう、サボりの口実であろう、とバッサバッサでどれも結構面白いが、藤原道長と藤原実資の話がぶっちぎりで面白い。

道長

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」なんてうたっちゃう権力の頂点の人が、「人の夢想が宜しくない」といって仕事を休んでおり、自由っぷりに嘆息する。作者も「こんな理由で欠勤できたらよいなあと、いつも思うのであるが」と言っており笑った。
そして、家でおとなしくしてるのかと思いきや、馬を見に行ってたりする所が最高である。
道長の章は、○○せず、が延々と続き笑える。
これは夢だけピックアップしてるからで、他はもっと真面目だと思われる。他も読んでみたくなるし、平安時代がどんどん好きになる。

ちなみに、この道長の日記「御堂関白記」は直筆も残っており国宝。

実資

道長も気を使う実務のトップ藤原実資。
実資の日記「小右記」は、作者にこの時代を知る最重要資料と言わしめる。 

これに夢が出てくる回数ではぶっちぎりトップで、他の人はせいぜい数十なのに、180近くの記載が残る。
この人も道長同様、夢想が悪いといって仕事を休んだりしてるが、「仕事に行くべきではない夢をみた」ときちんと説明するところに性格の差がでており面白い。

印象深いのが、夢を政治の道具としても使っている所。
当時、夢想の悪さが神事に関わる場合、延期や祈祷が必須なほど、真剣に対応しており、夢の神性を思わせるが、平気で政治的主張を折込み、人を動かしている。
一条天皇の御幸に関して、早く行くべきと夢想が出ている、と急かしたり、反対派は、夢想が悪いから延期すべきと反論する。
一旦延期が決まるも、不快の夢想があったと続いてゆく。
最終的には、御幸を行うならば、近々起こる内裏の火災に護助を与える、という託宣で、つまり、御幸を行わないと内裏を焼くぞ、という脅迫で、当初の予定通りに事は終息するのだけど、スゲー脅迫だな、とビビると同時に迫力があって面白い。
実資はこれらを淡々と書いており、夢を本気にしてない事がありありとわかって楽しい。

霊牛

源経頼の左経記に、関寺に霊牛が現れたエピソードが語られ、これまた最高である。

関寺の再建のため、労働力として牛が働かされていたが、出来上がった頃には、病気で死にかけていた。しかし、この牛が聖人の生まれ変わりであり、もうじき入滅する、という夢想が人々にあった、という話が広まり、貴人も下人も皆こぞって牛を拝みに来たという。
道長だけでなく、実資までもが結縁に来ていることから、どれだけの人気イベントだったか察せられる。
これまた、夢をキャンペーンに使ったのであって、強かに利用しており、当時の人のたくましさが楽しい。

八咫鏡

夢とは直接関係ないが、内裏の火事で八咫鏡が失われる話が出てきて吃驚。以前下の図を見て、オリジナルがずっと残ってたのかと思ってたが、ちょくちょく失われてる様子。真の日本史が学びたくてしょうがないよ。


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